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もし、武器自由化と国民皆兵がセットで来たら
「武器の自由化」と「国民皆兵制度」の採用がセットで法改正されたら、賛成しますか。反対ですか。という質問です。 私は100%賛成ですね。大喜びで大量の武器弾薬を買い溜めします。 日本では武器所持が民間人には禁止され、有事の際に国民一人一人が己が武器を持って戦うことが困難になっています。 敵国が我が国を支配する際は必ず地上侵攻の後の領土掌握・政権奪取することが前提であり、単なる海上封鎖や航空爆撃では国土を損壊することができても、そして国民が飢え死にすることがあっても、我が国の主権はそれ自体では奪われることはありません。 万が一にも日本政府が降伏したとしても、その後必ず敵地上軍が領土に侵入し政権奪取するという順を踏みます。 ですので国民皆兵の国においては、この敵地上軍の侵攻という段階で国民皆が武器を手に抵抗するというのが基本となっています。 場合によっては政府が傀儡政権化し、その配下の自国軍が敵国の下に入った時点では、民間人と傀儡政府軍との間の戦闘が続くわけです。 日本はこういう国民皆兵制度を採用しなければならない時代に差し掛かっています。 この目的のために「武器の自由化」と「国民皆兵制度」の採用がセットで法改正されたら、賛成しますか。反対ですか。 ちなみにこの制度の前提として、民間人に十分な軍事訓練を施すという施策が必要です。
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- kurinal2
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国民が国を使うんであって、逆ではないのよ。
- staratras
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「国民皆兵」とは「徴兵」「徴用」にほかならず、また「武器(所持)の自由化」は豊臣秀吉以来の「日本人に自由な武器所持は認めない」政策に逆行するもので、いずれも日本においては非現実的な議論であり、反対です。 まず「徴兵」は、自国の防衛だけでなく他国への侵攻にも活用されることをお忘れなく。徴兵されたばかりのロシアの新兵が、「演習に行く」と考えていたらウクライナへ送られ、多数が戦死したり捕虜になったりしています。けさのニュースでも、ウクライナの住民が、降伏した若いロシア兵にウクライナ軍に引き渡さないよう懇願され、哀れに感じたと語っていました。 日本の歴史においては大規模な「武器規制」が3度ありました。秀吉の「刀狩り」、明治政府の「廃刀令」、戦後の「銃規制の厳格化(占領軍の武器回収)」です。「国民に自由に武器は持たせない」という政策は、この500年近く一貫して続いていて、現在では銃砲はもちろんかつては「武士の魂」と考えられていた日本刀さえも所持は厳格に規制されています。日本で銃所持が解禁される可能性は限りなくゼロに近いでしょう。まして「万一の有事に備えて」であれば、護身用の小口径の銃にとどまらず、威力のある火器が必要になります。万一の有事の際に多少は役立つ可能性があったとしても、平時の犯罪に悪用される危険性とのバランスを考えれば、自由な武器所持を認めないほうがはるかに懸命です。 アメリカ合衆国憲法は修正第二条で「規律ある民兵団は、自由な国家の安全にとって必要であるから、国民が武器を保有し携行する権利は、 侵してはならない。」と定めています。これが国民の銃所持を認める根拠となっているのですが、その結果「銃を使った犯罪の多発」という社会問題に長年悩まされ続けていることはご存知のとおりです。 けさもカリフォルニア州の州都サクラメントで銃撃事件があり、6人が死亡し12人が負傷したニュースがありました。「たとえ多数の国民が平時に銃による犯罪で生命を奪われても、万一の有事に備えて日本国民が自由に武器を持つ権利を認めるべきだ」と考える日本人はまずいないでしょう。 ロシアのウクライナ侵攻をきっかけに、安全保障問題を考えるのは良いことですが、日本の歴史や現実を踏まえて冷静に議論する必要があると思います。
お礼
どうもありがとうございました。
補足
今ウクライナで防衛戦争が行われていますが、ウクライナは一時期徴兵制が廃止されてましたが最近になって再開され、男性の多くは兵役経験者ですし、民間でも自主的に大規模軍事訓練が行われています。 また平時から銃砲店で銃器弾薬が気軽に販売され、加えて闇でも至極簡単に武器弾薬が購入できてたもようです。 しかしウクライナでは国外への侵略的武力行為は一切計画されたことなく、国民各位は専ら防衛のため、国土保全と自由のために国防目的に限る戦意を維持してきました。 コサックの国で国防意識は非常に高い。 しかし銃を使った犯罪はあまり聞いたことがなかったですよね。 スイスも同様に国民皆兵の国ですが、銃を使った犯罪が多発して困り過ぎる・・・といった話は聞こえてきません。 国民皆兵・武器の自由化と犯罪多発・国外への侵略行為というのは少しは関連するものの、直結的に関係しあうものではないと思われます。 国民性の相違や法体系の違いによるものが大きいのでしょう。
お礼
どうもありがとうございました。