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胸を張れるような生き方してきませんでした。
完璧な人生は無いと言いますが、 胸を張れるような生き方をしてきませんでした。 いじめ(加害者)、軽犯罪 など。 今は27才。過去の業を背負って生きています。 今更、いじめの加害者に謝ったとして、許される訳でもなく、過去の行いは消えません。 軽犯罪についても同じです。 これからも私は過去の行いを悔い続けながら生きたら良いのでしょうか。 自分で自分を許す?ハイチャンチャンで終わるものなのでしょうか。
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謝罪なんて加害者側がスッキリするためだけの身勝手なものなんでする必要ないです。 過去の業を背負いつつも、被害者の方がもし助けを求めてきたら助けきることができるくらいの経済力や立場を身に着けてください。 今後も被害者の方と縁がなければ一生かけて身につけたそれらは無駄になるでしょう。 でも万が一にも助けを求められたとき「あなたのために準備していたんです」といえる力を持った人間に成っておくことがせめてもの誠意ではないでしょうか? 今日、悔いることだけで終わっては、明日には悔いただけで終わった過去が増えるだけで、そんなもの被害者にとっては糞の役にも立ちません。 ただただ「過去の業を背負って生きている」などといって自分に酔ってる過去だけが残ります。 努力しなかっただけの何の力のない自分を「過去の業」のせいにして正当化するようになります。 過去の業はともかく今はひたすら己を殺して人の役に立つことにすべての時間を使ってください。 それを27年続ければ、少なくとも何の役にも立たなかった27歳までのあなたとようやくトントンになるくらいの価値のある自分になれます。 胸を張れないにしても、人に顔向けできるくらいの人間にはなれます。 悔いたなら行動してください。 後悔とは止まるための言い分けに使うものではありません。
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愚かな自分に気づいただけでもめっけもんという見方もできます
- DoneDoneDone
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とりあえず被害者に謝るのが先決。反省していることを伝えて。 それが分からないと許しようがない。悪かったと微塵も感じずにのうのうと生きているだろうと思うと…! いつかどこかで見かけた時に思い出したら、きっと居ても立っても居られない。
- Ultra-Hetare
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私など、筆舌に尽くしがたい悪行や ズルや、まじで犯罪・・を繰り返して生きてきました。 今は、極力そうではないように生きていますが、 時々過去を思い出し、なんとも言えない 自己嫌悪に陥ります。 許すとかというのは違いますね。 傷つけられた側や、判定する側の人間ではないですから。 死ぬまで、思い出しては自分の中で恥じ入るということの 繰り返しだと思います。 それでも、日常はささやかな楽しさを与えてくれます。 自分の恥ずべき過去とうまく付き合っていかなければなりません。
- nowaver
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>今更、いじめの加害者に謝ったとして、許される訳でもなく、過去の行いは消えません。 これは、まだ謝っていないということですか? もし「許されるなら謝る」「許されないなら謝らない」という事なら、全く反省しているように思えません。 「許される」という対価のために「謝る」ならできるが、「許されない」なら「謝る」ことはできないと読めます。 業を背負うなんて言うなら、許される、許されないに関わらず謝る、許されるまで謝るという姿勢が必要なのではないでしょうか。