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いじめや虐待、その他辛い経験をした方に質問です
- 加害者の人に対する憎しみはどうやって自分の中で整理されましたか?
- いじめや虐待、その他辛い経験をした方に質問です。加害者が憎くてたまりません。
- 加害者達は悪いことをしたという意識のないまま、反省をすることなく一生を終えるのかと思うと、ほんとに腹立たしくてたまりません。
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高2の女子です。。 とても共感します。加害者は何事もなかったかのようになることが多いですよね。 憎いですけど、絶対加害者の不幸とか同じ目にあわせたいとか望まないでください。自分の精神が汚れて絶対自分が不幸なります。 難しいと思いますが、加害者の心が改められて幸せになりますようにと加害者のために祈ってあげたほうがいいと思います。 被害者もすぐに自殺をしないで、自分が何倍も幸せになって見返してやるとか、世界一可愛くなって見返してやるとか新たに目標をもってがんばってほしいです。
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- my3manami
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初めまして! 私はトータル中学3年間イジメられてましたよ。 しかも全員違う人達から^^; 1番ヒドかったのは中1ですね。今思うとホントよく自殺しなかったね!;て自分で思う位苦痛でした。 ホントよくアレで自殺しなかったな…。 が,今私はイジメを乗り越えれて誰も恨んでませんよ。 勿論当時はイジメてるヤツらが憎くて恨めしくて何度殺そうor自殺しようかと思ってました。 だけど何でだろな…ある時に,私がイジメられてても助けてくれてなかった友達を私は恨んでたのですが(逆恨み),一般的にはよく「自分がイジメられたら友達も自分もイジメられるんじゃないかと離れていく」て言うのに,私の友達は私と友達で居てくれてる…有難いんだ!!て気付けたのがキッカケで色々気付いたんですよね。 実は1番の敵は嫌いなヤツら(イジメてくるヤツら)じゃなく,その人を嫌う自分自身。 自分は不幸だと思ってたが本当は生きてるだけで奇跡。 イジメてる人達の事を好いてる人も居る。それはその人達にいい所が有るから。だから勝手な悪口はいけない。 とか(ほんの一例です)。 偽善だと思われるかもしれませんが本当にこう思えて,色々な気付によって私の世界は変わりました。 だからあんだけ憎んでいた人達に感謝出来ました。 色々な大切な事に気付かせてくれてありがとうって。出逢えてイジメられてよかった! 本当にそう思ってます。 だってそのお陰で人の痛みが解る様になって,人の心情とか手にとるように解ったり,一瞬の表情で相手の心が読める様になったり,この人はこんな性格だなって主観抜きで見抜けたりで(ホントよく当たる),高校時代には色々な人の相談に乗って的確なアドバイスをあげれる頼りにされる人になれたから。 イジメられてなかったら未だに人の痛みが解らず,我儘な人間だったでしょう。 彼らはそれを気付かせてくれた。 てかイジメられる前の私って性格メチャ悪かったんですよ。人傷付けてたし; それが還ってきたんです。 だから人は鏡,因果応報は本当なんだと思いました。 そして起こる出来事に偶然は無い事も。 私は変われました。変われて良かった。 だからイジメられて良かったです。 嘘や偽善でなく。 傷付ける側の弱さも,傷付けられる側の辛さも体験出来ました。 これは私の大きな財産です^^ それに,現にイジメられてる,イジメられてた人には悪いですが…それ,過去に誰かにしたから自分に還ってきたんですよ^^;ホントに!残念だけど!; だから本当はイジメって自分を変えるチャンスなんです。 だから相談者さん,私は別にやられ損じゃないですよ。 むしろ本当色々な事気付かせてくれて感謝感謝ですから☆★ イジメられてそれに感謝して幸せになって,そのお陰で人から頼られている人間も居るって事,覚えていて下さい♪ 長々とすみませんでした; では♪
締めてないけど、 まだ納得してないってことでしょうか。 しっかし読ませる文章ですねえ。 質問の形を借りた、持論発表にも見えるけど。 まあいいか。 ちなみに、私がどうしたかというと、 「非いじめられっ子として高校デビュー」です。 元同級生は、別の学科だったし、 同じ中学出身者は、いずれも悪人では無かったので、 高校からは極めて平和な生活でした。 質問者は、「ほっておけません」と言ってるけど、 現実に「いじめられ」をフォローしたことがあるのでしょうか? 無いのですよね。 感情移入で盛り上がりすぎです。落ち着きましょう。 そうそう、それと、気が強い弱い それ以外にも、 肝が細い太い、という尺度もあります。
- ノーバン(@nobound)
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今回ここを利用したのが初めてだったので、「補足」の意味がよくわからなかったのですが、追加質問形式としてまた答えてもいいのでしょうか? 確かに「やめて」をいうことが大変だということはよくわかります。その人の性格的なこともあるし・・・ただ知人とかに対人関係のことを聞くと、特に50代以上の人たちとかは「嫌な関係は拒絶して事務的につきあうのが普通だよ」と、拒絶はできて当然という人たちも結構いるらしく、この落差というか、できて当然か死ぬほど勇気がいるかの違いが人によってものすごくあるんだということを「どうして言えないのか?」という問いかけからも理解できました。この違いはいじめている人たちの起こしている問題ではないような気がします。 結局、いじめる奴らはたくさんいる。→いじめる奴らはひどい~ということは問題なのではなく、ただの事実のような気がします。(どうしようもない・・・ニーチェのころから)もちろんいろいろ言いあうことも大切ですが。それに対して、「やめて」ということが死ぬほど勇気がいる(死ぬという勇気よりも?)人はどうしていけばいいのか?ということのほうがより重要な問題指摘のような気がします。「やめて」という勇気と「死ぬ」勇気と「逃避する」勇気の選択の分かれ目って何なんでしょう?ものすごく奥が深いような。ついでに「救いや助けを求める」勇気も付け加えたいですが・・・
- ノーバン(@nobound)
- ベストアンサー率13% (294/2108)
この質問にかなり共感しながらも、いじめを乗り越える方法は正直難しいだろうなあと思っていました。 ただ、その後好きで今読んでいる話題のニーチェの本、「ツァラトゥストラ」の中で、似たような話があったのでびっくりして書こうと思いました。 それは第一部の「市場の蠅」というところです。 「市場は、もったいぶった道化役者たちによって満たされている。~ のがれよ、君の孤独のなかへ。君は、ちっぽけな者たち、みじめな者たちの、あまりに近くに生きていた。目に見えぬかれらの復讐からのがれよ。君にたいしてかれらは復讐心以外の何物でもないのだ。 かれらにむかって、もはや腕はあげるな。かれらの数は限りがない。蠅たたきになることは君の運命ではない。~ われわれがある人間においてある点を認識することは、その人間のそのある点に点火するということである。だから、小さい人間どもに近づくときは、気をつけよ。 君に向かうと、かれらは自分を小さく感じる。そしてかれらの低劣は、君への目に見えない復讐となって燃え上がる。~」 なんかいい言葉だなあと思いました。偉大なニーチェが弱い者の気持ちをものすごくわかっているという一点だけでも救われる感じがします。 個人的には、現実から逃れないで、そういう人たちと関わっていくためには、どうしても「やめろよ」という勇気が絶対に必要になってくると思われますが、どうでしょうか?なぜその一言が言えないのでしょうか?
- wizluv
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私もいじめのニュースを見ると、「あぁいいなぁ、私も自由になりたい」と思っていました。 小学生のころは誰にも言わずただ一人で泣いて我慢していました。 中学に入ってからは部活でいじめがあり、耐えきれず、親や先生に話して心を開放していました。 今も減りますが、やはりいじめられています。 いじめている人もいまでは他の人立ちにも嫌われています。 それでも、一部はまだいい子だと思っているらしいです。 そんな風に学校でのうのうと生活しているのを見ると脳内でいつも殴りたいのを我慢しています。 せめて学校生活の間は....そう考えて今も楽しくない学校へ通っています。 あなたのいう「加害者」は終わった後でも「被害者」を苦しめます。 反省も無く、楽しく生活しているのを見ると怒りを覚えます。 たぶんほとんどの「被害者」も同じだと思います。 自殺未遂をした事もあります、それでも今生きているのは、 「加害者」以外のみんなの事です。 先輩や後輩、家族 親友 「加害者の友人たち」 皆の後悔する人生を作りたくないと思ったからです。 反省.......「被害者」が一番求めて、一番届かない物だとおもいます。 でも、あなたのように一緒に苦しみを分ち合える人がいるというだけで 随分と気持も助けられます。 これから頑張っていきたいと思います。 いつか「加害者」の上に立ち、自信を取り戻せる日まで頑張ろうと思います。
こんにちは。 私は中学の時いじめられました。 中1の時ノートに落書きされたことを先生に言ったらいじめが始まりした。 まぁクラスの1部だけで収まりましたけど... 言論でのいじめがほとんどでした。 でも、その時の私は私立生徒並みに静かな人だったので耐えました。 地獄の1年生が終わった後はもう性格変えました。 中2になってから全てを先生に報告しました。 そして、いじめた人達の成績全員下げてもらいました(笑) でも、今になっても相変わらず親には言ってませんが(多分行ったら裁判事になるんで...) 中2はみんな明るくてホントに今まで以上に幸せでした。 しかし、中3は最悪です。 とある生徒と転勤してきた先生がホント嫌でした。 伴奏オーディション…私は完璧に弾きあげて、その子は右手しか弾いてないのに受かったんです。 それから、ずっと恨みました。 私の音楽性を認めてくれなかった先生を見返すために音楽高校に入ったようなものです私は…。 高校入学してからはその先生は先生から冷たい目線で見られるようになりました。 (ちなみにその先生…もともと周りの先生から嫌われてましたが) いじめはホントに卑劣な行為です。 でも、人間は優劣を争うのが好きな人が結構多いから仕方ないのかなぁとか思ったりもします。 ですが、内心許せません。 今までのいじめ心に封じてますが時々思い出されて恨んでます。 いじめた奴ら全員消したいとか思ったりもしますが、紙にその人の名前書いて彫刻刀で刺したりして気を静めてます。 この恨みは一生消えません絶対に。 思い出すたびに恨む…の繰り返しです。 ただ、質問者さんのような人がいてくれると少し心が和らぎます。 長文失礼しました。
- KQ0061
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「人をいじめるような人は、きっと幸せな人生を送ってないんだろうなあ…」と思います。 まあ、幸せそうな人もいますけどね^^; 「人をいじめてるその姿、好きな相手に見せたいと思うかなあ」 「醜い?人をいじめてる自分の姿はもっと醜いってことに、気づかないんだろうなあ」とか。 ベタでごめんなさい。 いじめって「やる側」じゃなく、「やられた側」が決めるんだと思うんですけどね。 殴ったり叫んだりしといて「加害者じゃない」と言い張る無自覚な人がいるのも事実ですね。 自分も同じことされたら少しは気持がわかるのかな。 私を虐めてた母も、幸せそうじゃありませんでした。 私はいじめられてもやはり母が好きだったから、「私をいじめてても母が幸せならまあいいか」と思ってました。でも私をいじめてる母もあまり幸せそうじゃない。 「子育て期間って限られてるのに楽しい時間をすごせないんじゃ、母子として出会った意味ないよなあ」って思いました。 まあ「虐められてる」と思ってたのは私だけかもしれません。母も「子育てに必死」だったらしいので。 私もガキだったんで、自分の気持うまく伝えられなかったりして、まあ悪かったかなーとは思ってます。 今はもう言っても仕方ないし、まあいいかって感じです。 人間は対等ですが、人を虐める瞬間は人間以下かもしれません。 「かわいそうな人なんだ」と思ってしまうこともあります。 自分もそうならないように、相手の気持を考えようと思って生きています。
- elixir_200
- ベストアンサー率9% (37/405)
世の中にはサイコパスという良心の無い人種が存在し そういった人間がイジメや嫌がらせをしているという事を知りました。 それを知ったのが数年前でしょうか、目の前がぱーっと明るくなりましたね。 だってそういった連中の事が科学的に説明できるんですからね。 しかも、サイコパスの行動はかなりワンパターンなのです。 そして私は、そのサイコパス対策をしてやろうじゃないかといろいろ調べている最中です。 警察にも何度か相談しましたし 結局のところ、対処方法として有力なのは二つあります。 1.引越ししても住所も教えないというのが現在の有力な対処方法です。 2.何かされたらすぐに最寄の交番に通報する。(通報しないのが一番よくない。) という事です。あなたも少しは心が晴れたのでは?
- 11010605
- ベストアンサー率26% (24/90)
高校で三年間、デタラメな噂を次々と流され、それが全校生に広まり、毎日が地獄でした。 自殺未遂もしました。 しかし、当時は憎しみより、苦しさを乗り越えるのに精一杯でした。 大人になった今も、不思議と相手に対する憎しみはありません。 可哀相な人間だなという感情のみです。 それくらい常識では考えられない、馬鹿らしい作り話を次々と流されましたしね。 最初に流したと思われる生徒は、最近、金銭トラブルで哀れな亡くなり方をしたそうです。 人を苦しめると必ず報いがありますから、そう信じてるので憎むことはないですね。 それよりも、質問者さまは本当に優しい方ですね。 トラウマを抱えて生きてる辛さは今もありますが、貴方のような方も存在していることで、気持ちが救われました。
- ucok
- ベストアンサー率37% (4288/11421)
「加害者の人に対する憎しみはどうやって自分の中で整理されましたか?」がご質問ですね。 よく鞭で追われて打たれたり、便器に顔を突っ込まされたりしましたが、その加害者たちとは友達になることで整理できました。 虐待(親から受けたのではありません)については許す気はないので、加害者の行方を探らないようにすることで整理しています。 ボクシングの内藤選手も、いじめによるトラウマを克服するためにボクシングを始めたと、たびたびテレビで語っています。するとある日、打ち上げ会の場に、かつての加害者が現れたのだそうです。一瞬、「自分をおとしめに来たのだな」と思ったそうです。しかし加害者は「あれって俺のことだろ」と言って謝り、二人は和解したそうです。内藤選手ご本人がテレビで語っていました。 私も長年、自殺願望がありましたが(いじめや虐待が直接の原因ではありません)、自殺する人たちには、「どうか死ぬ勇気を、必死に相談する勇気に替えて」と言いたいんですけどね。
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補足
もちろん、自ら命を断つことは一番いけないことです。人間死ぬ気になれば何でもできるって言いますし… しかし、「やめて…」その一言を言うことは、死ぬほど勇気のいることなんだろうと思います。 私はただ我慢するばかりでなく、逃げることも勇気だと思います。