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いじめの前後の人生
人生の中で、被害者、加害者、第三者など 何らかの形でいじめを経験した人に質問です (1)いじめをした前後で何が一番変わりましたか? 何を失い、何を得ましたか? (2)いじめのある人生とない人生、どちらを送りたいですか? いじめがない人生はどうなっていたとおもいますか? (3)いじめに対するあなたの考えを教えてください
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少なからず、まったくの傍観者の人生を歩んできた人はいないと思います。 私は大半が被害者というかいじめられた側ですが、同時にもしかすれば、 自分がしたことが誰かにとっていじめられたと思うかもしれません。 第三者のふりをしていたことが結果的にいじめられたと思われていたかもしれません。 いじめられる側からしてみれば、直接害を加える者はおろか、傍観者ぶって、 擁護の手を差し伸べないのも言ってみればいじめです。 いじめを受けて、助けてくれた人か、助けてくれなかった人か、そのどちらかです。 自分が立場が強くなったり、遊びのつもりで、誰かに嫌な気分にさせていたことは 多少なりともあったと思います。それがいじめる側の心境でしょう。 多くの場合、それが自殺につながるほど深刻な問題ではないと思っている。 遊んで自分が楽しい、ただそれだけで、その陰に悩む人がいるかどうかという 憶測すら浮かばない。 今になってみれば、あれはいじめていたな、悪いことしたな、と思うことはちらほらあるからです。 それは子供だったから考えらなかった、というわけではないです。 恋愛と一緒で、夢中になると他が見えなくなるわけです。 今楽しければ楽しい間に辛いことや思慮深くなることはなく、ただ楽しさを追求しようとするのです。 大人だって休日には楽しいことをして、つらい仕事を忘れようとするわけです。 ですから、それ自体は何も悪いことではない。 年をとってくると、という言い方は万人がそうではないので、どうかとは思いますが、 年をとる=知識がつき、思慮深くなると、楽しみながらも同時に考えるようになります。 表面上は笑いながら楽しい想いをしつつも、同時に冷静になって考えている自分がいるようになります。 そこで考えるわけです。 今自分がやっていることが、いじめていることになっているんじゃないか?と、ね。 いじめのない人生、というのは正直存在しません。 いじめられない人生というのは、自分がいじめているのにいじめている意識が無いのと同義ですから。 ただ、考えることによって、今自分がやっていることが、相手の立場になって考えてみて、 いじめられていると思うんじゃないか?と考えることはできます。 もし、それがいじめられているんじゃないかと思うのであれば、やり方を変えてみる、そういった配慮が必要です。 配慮をしてみても、100%いじめることをなくすことは無理でしょう。 でも、減らせる努力はできるはずです。 いじめられることも、いじめることもない人生というのはいってみれば、 人として完璧になる、ということと同じで土台無理な話です。でも、近似することはできるんです。 いじめをした、いじめられたことで失ったものは多分色々あります。 全て気付いていないと思います。自分が気付かぬうちにいじめていたことで相手との友情は 少なくとも失ったでしょうし、相手からの信頼、或いは傍観者からの信頼も失ったでしょう。 でも、失ったものというのは憶測にすぎず、本当にどうか、実はこういった失ったものがあるんじゃないか? というのはタラレバの話なのでわからないわけです。 得たことというのも特にないです。いじめ、いじめられが発端で考えの幅が広がったわけではありませんからね。 色々な人生経験を経て、考えられるようになった。だから、今後のいじめ、いじめられ、に対して 冷静になることができるわけです。得るかどうかはこれからということになりますね。
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- satoshimachi
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(1)いじめをした前後で何が一番変わりましたか? 何を失い、何を得ましたか? 幼稚園、小学生、中学生、高校生時代にイジメをうけました。 そして、中学生時代に一度だけイジメる側に立ちました。 僕は、幸せな子供時代を失い。暖かい友人関係を築ける機会を失いました。 そして、精神障害者となり、福祉のサービスを得られるようになりました。 (2)いじめのある人生とない人生、どちらを送りたいですか? いじめがない人生はどうなっていたとおもいますか? 親友や友人たちに囲まれ、幸せな絵本のような人生だったと思います。 (3)いじめに対するあなたの考えを教えてください 集団で表現する破壊的なコミュニケーションだと思います。 ごく少数だけの人生を下敷きに、自分たちの苦しみを発散させる方法だと思います。
お礼
私もいじめられた経験といじめた経験があります。 いじめられる前は本当に幸せだったと思います。 ただ、自分自身の欠点にも心の中で気付いていて それでいじめられているという自覚もありました。 なので、いじめによってもたらされた不利益は 結局は自業自得なのだと私は思っています。 私も現在通院していて、毎日何錠も薬を飲んでいます。 ただ、いじめられたことに対する怒りや 他人に対する不信感は今現在も根強く残っています。 いじめに合わなければ、何も知らずに 楽しい世界の中に埋没して生きていけたのだと思いますし 一方で、他人が経験することの無いことを経験し 他人がもつことの無い価値観、考え方を持つことができたので いじめられたことも何らかの形で意味があったのだと思います。 でも、もういじめられたくはないです。
イジメのない世界で暮らしたいです。
- rinrinnonnon
- ベストアンサー率18% (3/16)
中学生の時に虐められた経験があります。 (1)変わったことは、たくさんあります。 まず、精神的にマイってしまって、髪の毛をむしるようになりました。 そのおかげで、20年以上経ったいまでも、髪が薄いです。 もう一つ。かなり優しい人間になりました。こんなことを言ったら 相手は傷つくのではないかと考えて行動するようになりました。 おかげで、今はたくさんの大切な友人と家族に囲まれて幸せです。 十数年前に加害者にばったり会いました。後ろめたかったのか、 下を向いて走って逃げていきました(笑)地味~なおばさんのような 格好をしていましたから、恥ずかしかったのかな? (2)もちろん、辛かったですから、いじめの無い人生がいいとはおもいます。 ただ、人を思いやる気持ちが今よりは持てなかっただろうなとも 思います。 (3)いじめはなくならないと思います。ただ、今報道されている「いじめ」は 「いじめ」ではなく犯罪です。 残酷な中高生。自分が同じことをされたらどうなのか、考えられる教育を 大人が責任をもってやっていかなければならないと思っています。 なんとか自ら命を落とす子供がいなくなりますように。
お礼
自殺をする原因のひとつは、確かにいじめによる苦痛だと思います。 しかし、もう一つの原因は相談する頼れる相手がいないということです。 親や兄弟、先生など心から信頼できる相手がいないから 全てを一人で抱え込み、限界が来て自殺してしまうのです。 いじめが発生する原因は道徳観の不足だとよく言われますが 実際のところはコミュニケーション不足による互いの誤解と 意思疎通ができない不快感からのストレスだと思います。 子供の頃から親と話す習慣がなかったり 友達との接し方について親が正しく教えていないということが 原因の一つだと思います。 いじめを引き起こすのは「相手に対する不快感・嫌悪感」です。 「被害者だから自分は悪くない、悪いのは加害者だ。」 ここまでならまだ理解はできますが 「悪いやつにはどんなことをしてもいい」 そう考え出したらいじめをしているのと同じです。
喧嘩やいじめは人間感情でやるものじゃない!、やるなら電卓叩いて必ず利益を出せ!と言われて、喧嘩やいじめはあくまでも接待なんだから相手を楽しませ、喜ばせて、それに見合った利益を相手の財産からむしり取るんだ!と言われて育ちました。 いじめや喧嘩を遊びと考える人が居ますが仕掛けや落とし穴にはまり、離婚や退職して立場が逆転した時、相手の顔は遊んでいる時の顔からは掛け離れて居ますよ。 加害者と被害者、どちらも面倒なだけなのでいじめが無い方がいいです。 始末が終われば唾を吐き捨ててそれで終わりです。 心境は素足で日本刀の刃渡りってところですか。 労力に見合った報酬が無ければどちらも関わりたくはないです。
お礼
>立場が逆転した時、相手の顔は遊んでいる時の顔からは掛け離れて居ますよ。 「憎まれっ子は世にはばかる」という言葉が示すとおり いじめをしていても必ず不幸になるというわけではないのが現実です。 善悪なんてものは所詮人間が作り出した人間界の定義であって 神仏には関係の無いことなんでしょうね。 面倒だから関わりたくないと言った所で、 気付いたら巻き込まれているのがいじめというものです。 ただ、傍観者として巻き込まれた場合も同じ態度を取るのはどうかと思います。 利益や報酬という言葉がありますが、いじめは確実に周囲に不利益をもたらします。 集団全体の不利益なのですから、集団全体で改善当たるのが妥当ではないでしょうか 解決すれば協調性が生まれるという報酬もあると思います。
- sum37541
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30代後半の男です。 小学校のころにいじめを受けた経験がありますので、 「被害者」という観点から投稿させていただきます。 >いじめをした前後で何が一番変わりましたか? いじめを受けた、と感じた以降自分の世界観が真っ暗になりました。 廻り全てものが自分を拒絶している、と感じました。 毎日が泥沼のような感覚です。 >何を失い、何を得ましたか? 失ったものは「自分に対する自信」です。 当時の私の学校では日記をつける宿題がありましたが、 日々の題名が 「自分はなぜ生まれて来たのか」 「死んだらどうなるのか」 など自虐的なものがとても多くありました。 一方得たものは思い返せば「廻りに認められたい」という強い思いだった と感じています。 また年齢を重ねるにつれて被害者としての経験をこのように お伝えできる「自分」も得たもののひとつだと感じています。 >いじめのある人生とない人生、どちらを送りたいですか? そりゃあ「ない人生」を送ってみたいですね。 もう一度子供の頃に戻ってあのような泥沼の時期は送りたくないですから。 >いじめがない人生はどうなっていたとおもいますか? いま少し自分に自信のある人生が送れていたのかもしれません。 でも知らず知らずのうちに加害者となっていた可能性もあるかと思います。 被害者の気持ちがわからないまま。 最後にいじめに対する私の考え方ですが、 いじめは大なり小なり存在し、無くなる事はないと思います。 とくに学校でのいじめについては、悪質なものもあるものの、 大半が面白半分でからかうことから始まり、被害者側が「いじめ」 と受け取ることで成立し、状況によっては過度にエスカレートして しまうものだと感じます。 このためどこからが「いじめ」であるかの線引きは人によって様々かと思います。 大事なことは被害にあった際に 「逃げ出さずに自分と向き合えるか、自分なりに消化できるか」 だと思います。 一旦逃げてしまうと、その後の人生も逃げてばかりになってしまうと思うので。 以上経験者の一人として回答いたします。
お礼
被害者としてのご意見ありがとうございました。
- x_kuma_x
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加害者経験ありです 1)得に何もかわらなかったです。 得たものは愉悦感とか楽しい時間ですかねw 失ったものはとくにないです 2)今は飽きて虐めとかくだらないって思ってます。虐めるのは楽しいですけど、虐められるのは辛いと思います。経験ないんですがw 虐めはあって当たり前なんで。 3)虐める方が100%悪いとか言うやつはおかしい 虐められる側に原因があるのが大半を占めているんですから 社会の中で不要な者を排除しようとして何が悪いのか理解できかねます
お礼
加害者側のご意見ありがとうございます。 私も加害者側の経験はあるのですが、特に優越感などは感じませんでした。 ただ、言葉で何度言っても分らない相手に行動で示したという感じです。 子供だったんで、そんなに親しくもない相手に真面目に相手することも 親身になって気長に接するなんてこともできなかったので 相手に対する不快感とじれったさからの行動だったと思います。 いじめる側が100%悪いとは思いませんが その場で取れる選択肢として、道徳的な行動としては とても正しいものだとは思いません。 集団に適応できなければ排除されるのがこの世の道理で どんな理由があろうと相手とのコミュニケーションを適切に取れないことは 互いに不利益と不快感を生み、それがいじめになるのだと思います。 馴れ合いとか偽善とかご機嫌とりみたいな上辺だけの付き合いしかできない人間ばかりです これじゃあ、いじめられても、いじめても、いじめを無視しても当然だといえます。 「コミュ障」という言葉がありますが、いじめを止める事ができる人間以外は 全てこれに該当すると思います。 どこぞの官僚みたいに責任をたらいまわしにして誰もが自分の不備に気を止めない。 加害者は被害者を、被害者は加害者を、傍観者は無関係を装って 心のどこかで自分をかばい、自分にも責任があるということから逃げているのが事実。 被害者でも「加害者なんて嫌い」と人を嫌っています。 人を嫌う気持ちからいじめが発生していることは知っているはずなのに。 世間にはいろんな人がいて、嫌いな人間も絶対います。 そういう人間とうまく距離をとって付き合う処世術、コミュニケーション能力 それがあれば人間同士のトラブルも少しは減るのではないかと 結局中身の無い駄文にて終わりにさせていただきます。
お礼
いじめに対する意見でとても斬新なものだと思いました。 こういう考え方もあるのだと考えさせられる内容でした。 ご回答ありがとうございました。