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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本人がクリスマスを祝う理由)

日本人がクリスマスを祝う理由

このQ&Aのポイント
  • 日本人がクリスマスを祝うようになったのはおそらく1945年以後でしょうね。1945年の12月から、かどうかは知りませんが終戦の年からまもなくだと思います。
  • 大部分の日本人はキリスト教徒でもないのになぜクリスマスを祝うのか、その理由を教えて下さい。これは日本人の誰もが一度は抱く疑問だと思います。いまでも日本でキリスト教徒が増えたなどという話は聞いていません。いっぽうクリスマスは廃れる気配はまったくない。当方自身もそれを不思議とは思いません。ケーキとか売りたいから、という理由だけならこんなに続くわけはないと思います。
  • 日本は多神教の国ですらイエス様は外来の神様ということで日本の神々のひとりとなられたのでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

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  • staratras
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回答No.11

萩原朔太郎に「クリスマス」という詩があります。 クリスマスとは何ぞや 我が隣の子の羨ましきに そが高き窓をのぞきたり。 飾れる部屋部屋 我が知らぬ西洋の怪しき玩具と 銀紙のかがやく星星。 我れにも欲しく 我が家にもクリスマスのあればよからん。 耶蘇教の家の羨ましく 風琴(おるがん)の唱歌する聲をききつつ 冬の夜幼なき眼に涙ながしぬ。 朔太郎は1886年(明治19年)に群馬県前橋の裕福な医師の家に生まれています。この詩が自分の幼いころを回顧した作品だと仮定すれば、明治の半ば過ぎには関東の地方都市でもキリスト教を信仰してクリスマスを祝う家庭があったことがうかがえます。 この朔太郎は50歳になった1936年(昭和11年)、12月25日付けの朝日新聞に「クリスマスの悲哀」という文章を寄せています。ご質問の「日本人がクリスマスを祝う理由」の回答にもなっている興味深い文章なので、以下全文を引用します。 クリスマスで町が賑はっている。キリスト教徒でもない日本人がクリスマスを祝祭するとは何事だらう。昔の僕はムキになって腹を立てて、百貨店の前で「このタワケモノ奴等」と怒鳴りつけた。しかし今では、こんな現象にさへも、特殊の必然性を認めるやうになつて来た。 といふわけは、元来お祭好きの日本人が、今日の民衆的祭日さへも無く、その点で寂しがつていることを知ったからだ。西洋には謝肉祭とか花祭とかいふ、年中行事のお祭があり、民衆がこぞって宴楽し、以て生活の憂苦を忘れるのだ。 日本にはこんな風に民衆の享楽する祭りの日はない。それでも下町の町家や職人等には、神田祭や山王祭があるけれども、學生やサラリーマン等の知識階級が、一所に山車をひいて騒ぐわけに行かない。 僕は昔、森鴎外譯の即興詩人をよみ、大學生や知識階級の人々が、市民に伍して宴会するヴェニスの謝肉祭を羨望した。知識階級という者がなかった江戸時代は神田祭等が民衆全般の祭日で、西洋の謝肉祭みたいなものだったらう。 然るに今日の日本には、さうした國民的祭日がないのである。サラリーマン等がクリスマスに浮かれるのは、彼等の「失われた祭日」を回復する爲の郷愁であり、まことに悲しい現代日本の悪文化表象であり、それの皮肉な諷刺畫でもある(引用終わり) なお、この前日12月24日のクリスマスイブには、当時のNHKラジオで「クリスマスの夕べ」という番組を放送しています。(新聞に予告記事)BK(大阪)から「聖しこの夜」などの歌を、AK(東京)から救世軍の吹奏楽や「讃美歌物語」を放送するという力の入ったもののようです。また朔太郎の文章が掲載された25日の紙面には、「テンプルちゃんのクリスマス」という写真記事(名子役と言われたシャーリー・テンプルの可愛いクリスマス)や、「もみくちゃクリスマスイブ」というクリスマスイブの銀座の雑踏の写真付き記事も載っていました。戦前のクリスマスの賑わいがわかります。 ところで星の文学者として知られる野尻抱影が1945年(昭和20年)に書いた「ベツレヘムの星」という随筆の冒頭に次の文章があります。 クリスマスも、七夕祭と同じように商品祭となった。苦にがしいと思うのだが、信者でもない私の茶の間にも、子供たちが蜜柑箱に小さいクリスマス・トゥリーを立てて飾り、私のプレゼントを待っている。いつとなくお年玉をダブラせる家庭行事になってしまったが、子供にはかなわない。(引用終わり) 「キリスト教徒でもない日本人がクリスマスを祝う理由」について、朔太郎の視点に一つ付け加えるとすれば、この随筆のある通り「子どもが中心の家庭行事になったから」でしょう。最初に挙げた朔太郎の「クリスマス」の時代とは違い、多くの家庭でクリスマスを祝うようになれば、我が家だけクリスマスを祝わず、子どもにプレゼントもやらないというわけにはいきませんね。

katakana1956
質問者

お礼

萩原朔太郎がクリスマスについていろいろ書いていたのですね。そのこと自体が興味深いです。1945年よりかなり前から日本でクリスマスがあった。キリスト教徒でもないのに一般家庭でイエス様の誕生パーティが開かれていた。そして今の人と同じようにそれに異議を唱える人がいた。なんか今とあまり変わらないです。クリスマスがその当時から以前の日本にはなかった子供中心のパーティだったことは新たな発見です。ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (13)

  • KoalaGold
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回答No.3

クリスマスはお祭りです。 仏教でもないのにお葬式は仏寺で、結婚式は教会で挙げる日本人は宗教には寛容なんです。 バレンタインやハロウィーン、なんでもござれです。 クリスマスに神様の話を持ち出す人の割合は少ないと思いますよ。デパートのディスプレイは行事で季節感を出すのに使います。ハロウィンから七五三からクリスマスで正月です。そんなもんです。

katakana1956
質問者

お礼

「バレンタインやハロウィーン、なんでもござれです。」そうですね。そういえば最近「イースター」も出てきました。いくら増えてもかまわない、といったとこです。いずれもその意味を深く考えないのが日本人のいいところ。そもそも神社仏閣だってその由来とかあまり考えないのが日本人だし「これでいいのだ!」で以後もいきましょう。

  • FattyBear
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回答No.2

個人的な意見です。 ”クリスマスは宗教には関係しないただの楽しいイベント”程度の 感覚の人が多いのではないでしょうか。クリスマスの謂れはキリスト 教に絡んだ儀式だとはほとんどの人が知っており「キリスト教徒でもないのになぜクリスマスを祝うのか」と深く考える人は少ないのではないでしょうか。仲の良い人がパーティで集まりケーキを食べてプレゼント交換?をする楽しいお祭り的なイベントですから廃れるどころか盛んになる方向になっていくかも。この風習をやめる理由も皆無かと。

katakana1956
質問者

お礼

そうですね。単純に楽しいからでしょう。家庭内でも街中でも。そのくせ冷やかしでも教会に行く人はまずいない。もっとも冷やかしで来られたら教会関係者も迷惑でしょうけど。つまり日本人にとってはこれはお祭り、お祝い、イベント、カーニバル、フェスティバル、パーティといったとこですか。今後もずっと続くでしょうね。子供たちは毎年この季節になるとケーキとプレゼントを思い浮かべるでしょう。ご回答ありがとうございました。

noname#255857
noname#255857
回答No.1

イエスは伝道者で神じゃないですぞ。 続いた理由はイベント自体が楽しいからです。 楽しい飾り付けと音楽、美味しい料理やケーキ、 子供のプレゼント等。

katakana1956
質問者

お礼

戦後の欧米風生活様式に対するあこがれの現れでしょうか。戦後はより一層日本人の生活は欧米風になりました。家庭内でのあれほどにぎやかで華やかなパーティはそれまでの日本にはなかったですね。外見だけ真似るのがかえって気楽なため、日本中に広まり長く続いているのでしょうか。イエス様についてもあまり深く考えないというのが日本人らしい、と言えなくもないと思います。ご回答ありがとうございました。

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