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日本のクリスマス クリスチャンから見てヘン?
クリスマスとはイエスキリストの誕生日だそうですが、日本ではキリスト教徒がどちらかというと少数のはずなのに、12月になるとまるでキリスト教国かと見まごうばかりにクリスマス一色になります。 こんな日本のクリスマスについて、キリスト教徒の方から見るとどのように見えるのでしょうか。キリスト教徒でもない人たちが、「クリスマス!、クリスマス!」と浮かれているのを見て失礼にお感じではありませんか。 キリスト教徒の方、宗教学をご専攻の方のご教示をいただければ幸いです。
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子供の頃は教会に行ったりしてました。さらにその前は朝起きるとクリスマスプレゼントが貰えている日だった。今は信仰心はゼロです。 教会に行っている頃はキリスト教の宗教行事だと思ってましたが、その後人生の中でむしろ人にプレゼントや親切を分け隔てなく、見返りを求めずに与える方がこのお祭りの本来の本質じゃないかと思うようになりました。 そもそも日がどんどんと短くなりこれ以上夜が長く暗くはならないという時に行うヨーロッパのお祭りにキリスト教が盛んになってからイエスがどうのという生命の誕生や再生の話をこじつけたものじゃないかと。 ましてや日本人にとって「主」やキリストであってもいろいろあるうちの新しい神さまであって、他の行事と並行して行うのはなんの矛盾も無い。 これはキリスト教徒でも同じで、キリスト教徒だから他の宗教信者を邪教の信者だと否定するとか、寺社参拝は一切しないなどという人はあまりいないと思います。 自分がより本式のクリスマスを行なっているという自負心や満足はあっても世間一般が祝うのを冷たく見るなどというのは今のキリスト教には馴染まないように思います。チャリティーというのはキリスト教的な物ですし。 信じない者は地獄に落ちるとおびえていた昔の信者とは違います。 それと仕事を一斉に休んで家族揃って祝う正月はありますからクリスマスに休まなくていい。 西洋でもクリスマスの教会行事など行かない人も多いのでは。 宗教儀式と風俗行事は別という大人な切り替えができている信者がほとんどではないでしょうか。 クリスマス当日に飾りを撤去して正月飾りに替えている近所のスーパーはわかってねえなとは思いますが。それは宗教ではなくて物事の精神性をことさらに否定している、気分をわざわざ壊しているように見えるからです。元旦早々に松飾りを撤去して節分やバレンタインデーの飾りに付け替えるようなもんで信教に関係無くなんだかなあと思います。
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- eroero4649
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元々、クリスマスはキリスト教のお祭りではないのです。 そもそもイエスが何月何日にお生まれになったかなんて記録があるわけではありません。生前のイエスが活動していたのは今のイスラエルです。あそこは砂漠の国で年がら年中暑いので季節感がありません。 しかし、冬が厳しいヨーロッパの人々にとっては、12月下旬には極めて重要なイベントがあります。それは「冬至」です。 1年で一番日が短い冬至は、翌日から太陽が復活していくという極めて重要な日なのです。気温が一番寒くなるのはそれから1か月後くらいですが、とにもかくにも日の出る時間は冬至を境に少しずつ増えてゆきます。 だからキリスト教が伝わる前から、冬の厳しいヨーロッパの人々は冬至のお祭りを盛大に行っていたのです。 んで、キリスト教が普及していくと、元々キリスト教には冬至のお祭りがない。けれどヨーロッパの人々にとって冬至のお祭りをやめろというのも通らない。なので「じゃあキリスト様の誕生日にすべえ」となったのです。 日本でクリスマスが広まったのも、冬至のお祭りだったからです。農耕民族である日本人にとっても、冬至は重要なイベントですからね。 イスラム教圏は中東で砂漠の国が多いので、冬至はたいして重要なお祭りではなかったのでしょう。
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なるほど! 分り易く解説していただき、ありがとうございました。
- nijjin
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日本の場合、宗教行事ではなくクリスマスというお祭りとなっているのでまったく違ったものに見えるでしょう。 外国人が日本に侍や忍者が今もいたり、未だにちょんまげだと思う事を日本人が変と思うのと同じぐらいでしょうね。
お礼
なるほど! 明快なご教示、ありがとうございます。
- KoalaGold
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現在ヨーロッパ旅行中です。クリスマスの飾り付けが出てきましたね。 商店街はそういうお祭り的な飾りですが、あちこちにある教会はかなり真面目です。見学しに顔を出しますがじっと静かに座って祈る人がいたり、邪魔しないようにそっと歩くようにしています。 飾り付けにもカソリックの多い地域ではサンタクロースではなくて聖人誕生のシーンが多くみられます。 日本ではキリスト教のイメージは綺麗なもので十字架に磔されたイエスと遺体を下ろして嘆く教徒などのシリアスで残酷なシーンは使われないと思いますが、カソリックはこの犠牲となったイエスを正面から扱うのです。 キリスト教徒にとっての日本のクリスマスは他の国でもある事で季節のお祭りとして受け入られています。あえてこれはキリスト教とは違うよなどと反論はしません。クリスマス当日が祝日にもならず飾り付けが夜のうちに正月用に一変する日本です。
お礼
なるほど! 分かり易く、丁寧にご教示いただきまして、ありがとうございました。
- 築山 直弘(@1685)
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初めまして。僕はクリスチャン(カトリック)です。僕もクリスマスは教会で過ごしますからねぇ。それで感じるんですが、日本のクリスマスの祝い方はハッキリ言ってとても異常です。何故12月25日だけを盛大に祝うんですか?その他の祝日(教会歴の)は一体どうするんですか?僕達クリスチャンからはこんなにも攻撃材料が在ります!!と言っても僕はクリスチャンですから今年も教会でクリスマスを祝います。
お礼
なるほど! 率直、丁寧にご教示いただきまして、ありがとうございました。
- Sakura2568
- ベストアンサー率42% (2137/5054)
クリスチャンは街へは出ずに教会へ行きますからねぇ。 そしてそこには沢山の同じ仲間がいて讃美歌を歌ったり聖書を読んだりしています 世の中の人が何をしているかなんて見ていないでしょう。 目のまえの人、周りの人、顔を知っている人がみんな教会の中にいるのです。 顔も知らない人が浮かれていようが楽しんでいようが自由では? そりゃ映像を見たり、話に聞いたりはしているでしょう。 でも彼ら自身が体験しているのはクリスマスミサです。 人は自分が体験しているもののほうが遙かに現実として認識されます。 また、どんな宗教でも同じでしょうけど いつかは意味を知り、理解に努め、同じ気持ちになってほしいというのが願いの一つにあると思います。 だとすればクリスマスはチャンスと捉えることはあっても失礼だなんて言うのは何とも狭い考えの持ち主だと思いますよ。 今までどう過ごしていても「悔い改めよ」で「救われる」のですから キリスト教徒がそうでないものに対して「失礼」ととらえるのは教えにそぐわないのでは?「憐れみ」をもって「導く」のが本来のあるべき姿なのでしょう。
お礼
なるほど! 丁寧、詳細にご教示いただきまして、ありがとうございました。
お礼
なるほど! 詳細且つ丁寧にご教示いただきまして、ありがとうございました。