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エディット・ピアフ「愛の賛歌」の訳詞

エディット・ピアフの「愛の賛歌」の岩谷時子さんの訳詞のことなんですが「心とかす恋よ」の部分、歌詞の一番最後のところなんですが、これは「心溶かす恋よ」と「心と化す恋よ」というふたつの意味が含まれているんでしょうか。「心溶かす恋よ」は精神的な意味の愛を溶かしてしまうくらい肉体的な情熱的な愛、いっぽう「心と化す恋よ」はその肉体的な愛が精神的、場合によっては霊的な愛に昇華するという意味、なんでしょうか。それとも全然別な意味ですか。

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  • SPS700
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回答No.2

 原詩の最後の行は Dieu réunit ceux qui s'aiment で、   「神は、愛し合うする人たちを一緒にする」という意味ですから、「心溶かす恋よ」の方が近いです。心と化す、は書き取りの間違いでしょう。

katakana1956
質問者

お礼

原詩に「神は愛し合う人たちを一緒にする」という箇所があったんですか。元の歌詞に神様が出てきたんですか。ならばそうでしょう。「ふたりの心を溶かしてひとつにするくらい熱い恋」というわけですね。ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • eroero4649
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回答No.1

そもそも「恋」は心の問題なんだから「心と化す」という解釈は無理がないですかね? そりゃね、「恋」ってもともと古語では「セックス」を意味する言葉ですから、古語的には「心と化すセックス」は意味が通ることは通ります。でも、現代日本人で「恋の意味はセックス」と知っている人はほとんどいないじゃないですか。「初恋」ってのは童貞・処女喪失を意味していないですから。 「とろける恋」というような表現はあるのですから「心を溶かす恋」と解釈するのが一般的かと思います。歌ですと日本語は音符ひとつに一文字しか入れられないという言語的制約があるので、音符が間に合わない場合は接続詞を略することはよくある手法ですね。

katakana1956
質問者

お礼

当方確かに「恋」=「肉体的な情熱的な愛」=「セックス」の意味に解釈しました。eroero4649さんの解釈の方が自然です。題名の通りこれが「愛の賛歌」であればやはり古典的解釈をして「セックス」の入る余地はないと考えほうがいいです。ご回答ありがとうございました。