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ハンス・オフト監督の評価はどうなのですか

ずっと前にサッカー日本代表の監督をしていたハンス・オフト氏は、どういう評価をされていますか。 「ドーハの悲劇」で日本代表をサッカーワールドカップに出場させそこねた無能な監督、と言われているのですか。 それとも、一度もサッカーワールドカップに出場出来ていなかった日本代表をワールドカップ出場直前までいかせたのだから、有能な監督だった、と言われているのですか。

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  • eroero4649
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回答No.1

当時の日本のサッカー界は、ワールドカップなんて夢のまた夢。選手はもちろんですが、見るほうのレベルも大変低いものでした。 どのくらい低いかというと、当時にわかでサッカーを見始めた私は、ドレッドヘアーでチャラチャラしていた北澤選手を見て「こいつは真ん中あたりで走り回るばかりで、ちっともゴールを決めないじゃないか。使えないやつだ」と思ったほどだったのです。私のサッカー戦術知識の9割はサカつくが教えてくれました。 当時、オフト監督が日本代表に持ち込んだ概念が「トライアングル」「スモールフィールド」「アイコンタクト」でした。 ボールを持った相手選手に対して3人で三角形を作ってパスを出せないようにしろ、選手同士がコンパクトにフィールドを使え、アイコンタクトでコミュニケーションをとれ。 今現在はちょっとサッカーが強い高校ならどこでもやっていそうなことです。しかし、30年前は日本代表レベルでさえそんなことができなかったのです。それを「徹底」させたのがオフト監督でした。 このオフト監督の「管理サッカー」に誰よりも一番反発していたのがラモス瑠偉さんでした。 当時のラモス瑠偉さんの存在は日本の中であまりに圧倒的な「皇帝」でした。どのくらい圧倒的だったのかというと、彼にポジションが決まっていなかったほどです。試合中に彼がトップ下で動くか、FWとして動くか、決めるのは彼自身。周囲は彼が好きなように動くのをアシストするのが役割でした。そんなワガママが許されるほど彼の技術は当時の日本では圧倒的だったのです。 しかしこんなことをいったら失礼ですが、そんなラモスさんはブラジルではプロサッカー選手になれなかった人。ブラジルでプロ契約をとれなくて失意の中に「日本でプロ選手としてオファーがきている」となり、どうしてもサッカーで食べていきたくて嫌々来日したのが現実です。いっては失礼ですが、そんなレベルでも周囲を圧倒できたのです。今はブラジルでプロ選手になれないような人はJ2でも厳しいんじゃないかな。 日本のサッカーの、基礎を作った人なのではないかなと思います。後にジュビロ磐田が常勝チームになったときも、その礎を作ったのはまだ前身のヤマハ時代に監督だったオフトさんの功績ですから。 ドーハの悲劇の直接の原因は、ロスタイムという重要な時間に雑なロングパスを放った武田さんのせいですよ。今だったらボールを奪われないために時間稼ぎのキープをするのは小中学生でもやってるんじゃないかなと思いますが、当時はそんなことも徹底できていなかったのです。 「そういうプレーをすると、こういうことになるんやで」という教科書じゃないかなと思います。当時リアルタイムに中継を見ていましたが、試合後のテレ東のスタジオのお通夜っぷりは今は伝説となっていますね。キャプテンの柱谷さんのお兄さんがスタジオのゲストで呼ばれていて、絞り出すように「ワールドカップに出場するというのは・・・こんなにも・・・厳しいものなのでしょうか・・・」といったのを今でも覚えています。 でも本来ワールドカップってそのくらい出場するのが難しいものだと思うんですけどね。イングランド代表やフランス代表が出場できなかったときとかもあったんですからね。アフリカだって、ナイジェリアのような古豪も出場が確約されているわけでもありません。南米も確実に出られるのはブラジルとアルゼンチンくらいじゃないかなと思います。 世界のレベルからすると、アジアは2枠でいいくらいじゃないかなと思います。「出られて当たり前」なのはおかしい。

yccgrty
質問者

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