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友達の作り方
現実では人と接する機会がないため、ネットで友人が欲しくてTwitterで動き始めました。 自分は積極的でもフレンドリーがあるわけでもないので、自分なりの愛情表現としてよくいいねを押しています。 それでは何も進展がないことを理解して、他人を参考にして積極的に一言でも絡んでいったり、同じゲームをしているなら一緒にプレイしたり、せめて行動を起こすようにしています。 しかし、一からアカウントを作っていった他の人たちは順調なのに、自分だけ誰にも反応されず、徐々に独り言になっていくツイートを見て、惨めさと寂しさ、悲しさでそれがコンプレックスとなり、その傷口が開いていくばかりです。その失敗の多さが思い起こされて、その共通の趣味すら楽しさを感じなくありつつあります。 自分は他人にはなれないので、自分がストレスに潰されない程度に参考にしてきたつもりです。 他の人たちと遊んでいる人を見て、自分の愛想のなさを比べられると思うと辛く思う被害妄想もありますが、何もしなければ変わらないと思って何かをしています。それでも一人孤独になっていきます。 一人は気楽で心が休まりますが、無償の愛みたいなものではないとはいえ誰かに尽くすのは好きです。構われると一人の時間以上に安心します。だからきっとこの先、友人がほしいという気持ちは変わらず、行動していくのだと思います。 しかしここまで重ねてきた人生で造られた性格により、それはとても難しい事で、何も得られないまま涙涙の日々で、ストレスの不調で先に死が訪れる気がしています。 愛されるような人間にはなれませんでしたが、なれるように努力する人間では、友人はできないのでしょうか。 一人で生きていれば気楽と思えるほど、強い人間にもなれませんでした。
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- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34518)
まず、Twitterは友達を作るSNSなのかなあという気がします。実名でTwitterをしている人は有名人や何かの活動をしている人を除けばほぼ皆無だし、本当はおっさんなのに「港区の美人OL」を名乗っている人も珍しくないでしょ。「偽装キラキラ女子」なんてのが話題になったこともありましたよね。本当は友達が一人もいないのに、Twitterでリア充のフリをしている人。私にはわざわざお金をかけてそんなことやってる人の意味が分からないけれど。 それに何か不要なことをつぶやいたりおかしなことをすると、たちまちのうちに炎上することもあります。うっかりなこともできないですよね。 だから、基本的にTwitterは「本人ではない別の人格」でやるものだと思います。私もアカウントは持っていますし、一時期は複数アカウントを持っていたこともありましたが、リアルの友達には誰にもそのTwitterアカウントを伝えませんでしたし、こことも連携していません。ここでのエロエロさんとTwitterアカウントはまた別のキャラクターです。消してしまったアカウントもあります。 そして私は友達を作ることに苦労しないタイプなのですが、どうにも質問者さんみたいなタイプの人がおっしゃることでなかなか理解できないことがあるのです。 それは、友達を「作る」って表現なのですよね。作るって、能動的なものじゃないですか。料理を作るとか、本棚を作るとか。自分から何か準備して動いて完成させるものです。 でも、私みたいなタイプは友達(知り合い的な人も含む)って「できる」って感じなんですよね。接しているうちに、なんか仲良くなってる。一緒に行動することが増える。そんな感じ。友達を作るためにいちいちエネルギーを注いでいたらそりゃ疲れるよねって思うんですよね。だってエネルギーを注がないと作れないものなら、維持するにもそれなりにエネルギーが必要じゃないですか。 あと、愛されキャラの人は、基本みんなポジティブな人だと思います。ネガティブな人を愛したいという人は稀ですよね。 出川哲朗さんとか、みやぞんさんとか、ぺこぱの松陰寺さんとかね。イメージとしては太陽とかひまわりとか、そういう明るいイメージですよね。いつも笑顔のイメージですし、それに彼らは叩かれても凹まない強さもありますよね。質問者さんは知らないかもしれないけれど、1990年代の出川哲朗さんは小室圭さんレベルの嫌われキャラだったんですよ。みやぞんさんもバカといわれたことも多かったし、松陰寺さんもメイクが気持ち悪いとかいう人もいますよね。でも、彼らはそれを少なくとも表面上は気にしていないですよね。表情に出さないタフさを持ち合わせています。あと「愛されキャラになりたい」という嫌らしさもないと思います。たまに女性タレントで愛されキャラになりたくて演じて叩かれて逆に好感度を下げる人がいますよね。
- pipipi911
- ベストアンサー率22% (1029/4602)
古代ローマの詩人(=Marcus Valerius Martialis)さんは、 <あなたが一番好きなことを見つけ、それをしている あなたを好きな人に出会いましょう>と提案してくださっています。 このスタンスを採り入れて、ナンバー・ワンか、オンリー・ワンを 創り出してみませんか。 ふろく: 樺沢〇苑さんの 『アウトプット大全』を読んでみることを お奨めしたいです。 樺沢さんは、精神科医です。 「ホスピタリティとは、相手の心に自分の心を沿えてゆく力。 (高野登 元リッツカールトン日本支社長)」 茶道の「一期一会」の精神を身に着けて、あらゆるフェーズ、 シーン、ステージに敷衍することも お勧めしたいです。 「よき友人を得る唯一の方法は、先ず自分が よき友人になることである。 (Ralph Wald Emerson)」 「人づきあいが上手いというのは、人を許せるということだ。 (Robert Lee Frost)」 「喜び上手」「喜ばせ上手」「怡しませ上手」「憩わせ上手」 になりませんか。 『アウトプット大全』は、アナタ様に 救いを齎す筈です。 「The joy of living is the joy of giving. (『Lover Come Back』)」 Good Luck. Adieu.
補足
そうなんですよね。友達は作るではなくできるが本来正しいのだと思います。 劣等感に耐え切れず姿をくらましてしまいましたが、そうする前は間違いなく友達といえる人がいました。その人とは最初、友達を作ろうとして仲良くなったわけではなく、日常的に交流があり、ツイッターで合流してさらに親しくなった感じでした。 その人ほど親しくないとはいえ、そこそこ気を許せる人もいましたが、そちらは作ろうとしてできた友人でした。こちらは行動を起こして奇跡的に仲良くなれたパターンです。 自分はそもそも、他人や場所に合わせた言動や口調になっていくので、素が何かといわれれば、色んな自分がいてもそれぞれ素であって、演じてるキャラクターでもあります。どちらでも通用する感じなのです。 だから根本には自分がいると考えてしまい、何をやってもその失敗をダイレクトに受け止めてしまいます。これは別人格だから、なんて言い訳を上手く自分に聞かせようとしても、上手くいった試しがありません……。 そうなんですよね、どう頑張ったって行動を起こしたって、愛されるようなキャラになりたいわけではないですが(自分のイメージとは違いますし)、そういう人が近くにいて、その人は友人に囲まれているのにという劣等感で逃げ出してしまいました。 その人に嫉妬していた、そういう感情ではないんです。むしろいい人なのだからこの人にもっと友人ができればいいなと心の底から思っています。 ただただ、周りが当たり前にできている事ができない自分が、好きな友人から見たら惨めに思われるのが嫌で怖くて、逃げ出しました。そっちの方が辛いのに後悔してきたのに、またやっちゃいました。友人を大切にできない自分に失望して、あえて傷つく行動を取って泣けば少しは落ち着くという一歩進んで二歩下がる事ばかりしています。 愛されないキャラでも、十分仲良くしてくれた人がいたのに……。こんな自分なのに、どうして仲良くなれたんでしょうね?不思議です。お茶目で悪意がなくて、分け隔てなく接してくれる人でした。 回答しようがない質問だと理解しています。でも他人と接する機会なんてほとんどなくて、自分の価値観がわからない私にとっては、真剣に書いてくださった文章そのものが励ましになりました。ありがとうございます。