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私が小説を書くときの動機が不純なような気がします
- 私は幼いころから絵本や小説を読むのが好きで、幼稚園生のころから自分で絵本のようなものを作り、妹に読ませたりもしていました。今も趣味ではありますが小説を書いています。
- 私は自分が書いた小説を他人に読んでもらい、影響を与えたい、または自分を褒めてもらいたいという理由で主に小説を書いています。自分の小説を介して他人に認められたい気持ちが強いのです。
- 他人を軸にした小説の執筆に危機感を感じ、自分を軸にした小説の執筆に切り替えたいと考えています。小説を執筆している方の動機について教えてほしいです。
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>>自分を軸にした小説の執筆に切り替えないと、私が書きたいことが書けなくなってしまう モチベーションの持ち方は人それぞれです。貴方が『誰かに認められたい』と思う気持ちが書く原動力になるなら、それはそれで大変結構な事です。 それを大前提とした上での話ですが、私個人としては『誰かに』という方向性のモチベーションは、ある種の脆さを抱えているように思っています。特に表現活動においてはそうですね。 何故ならその『誰かに認められたい』という欲求は、容易に「〇〇さんよりも認められたい」「〇〇さんに比べて反応が鈍い」というような、他者との比較論に落ち込んでしまうからです。 こうなると創作の軸は「もっと『認められる物』を書かなければ」「もっと『褒められる物』を書かなければ」という方向に吸い寄せられてしまいます。 繰り返しになりますが、これはこれで大変結構な事ではあります。モチベーションがないより余程いいです。 しかし今の貴女が『私が書きたいことが書けなくなってしまう』という危機感を持っているというなら、無意識のうちにこうした部分を感じているのかもしれません。 私がとある小説家の方とお話しさせて頂いた時には「『どう見せるのか』は読者に合わせなければならない。『何が面白いのか』は自分の中から絞り出さなければならない」という言葉を聞き、非常に得心しました。 そうした観点からすると、「他人を『軸』にしている小説の執筆」というのは危ういかもしれないですね。 ただ表現物というものには、他者を意識する事は絶対に必要です。読者を考えていない物語というのは、到底読めたものではありません。先の言葉で言えば『どう見せるのか』の部分ですね そうした意味では、他社の評価を気にする意識というのも大事です。ただ重要なのは、そうした事を意識しつつも、自らの感じる『面白さ』という核をブラさない事。 要はバランスです。
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- izumi044
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>小説を他人に読んでもらい、他人に何かしらの影響を与えたい これは大事。 作品のテーマは、自分が訴えたいものだったりしますから。 「これを読んで、元気だしてー」という気持ちで、書いたっていいんです。 >他人に自分の小説を読んでもらい自分を褒めてもらいたい こっちは、微妙。 なぜって、人は自分の思っていないところを褒めてくれたりするから。 「なんでもかんでもいいから褒めてくれー!」ということなら構いません。 でも、「ここを読んで、ここを褒めてくれー!」になると、いつか心が折れるかもしれません。 前者の場合は、自分の強みがわかっていない状態です。 強みを褒めてもらうことは、自分を知る上では大事なことだと考えられてはいかがですか。 >私の理想としては、自分が書きたいことがあるから小説を書くというもので、そこに他人への承認欲求とか他人は含まれてほしくないのです。 影響を与えたいは「テーマ」(書きたいことがある)をしっかりと決めて取り組めば解決する話ですし、 他人への承認欲求は、強みを知ることで徐々に薄れていくかもしれません。 今の状態がずっと続くと考えるから悩むのでしょう。 でも、人は成長します。 いずれ質問者さんを取り巻く状況が変わることだってあるんですよ。 影響を与えたいという気持ちを、テーマにこめたり、こんな気持ちになってくれたら嬉しいなと、具体的なところまで落とし込んで作品を書かれてはいかがですか。 自分の書きたいことだけの煩悩で満載の小説より、ずっと人の心に届く作品が書けると思います。 ただし。他人に認められたいからと、自分では望まない展開を書いたとしても、認められることはないと思います。 (構成の話ではなく、ハッピーエンドが好きなのにバッドエンドを書くみたいなものだと考えてください) 同じ書くのなら、自分の好きを大切にして書いてください。
お礼
ご回答ありがとうございます。 難しい話ですね・・・。 他者のことを考えて、こんな気持ちになってくれたら嬉しいなと思ったり、テーマを考えて小説を書くと、自分が書きたいことだらけの小説よりもずっと他者の心に届く作品になりそうだが、他者に認められたいからというだけで自分の気持ちをないがしろにして望まない展開を書いても、他者に認められることはない、と。 他者も自分も、両方を大切にして書くことは自分にはまだ難しいです。 そして、回答者様は「同じ書くのならば、自分の好きを大切に書いてください」とおっしゃるのですね。 他者に認められたいからとただ迎合しただけの作品なんて、確かに認められないだろうと私も思いました。 今はまだ難しいですが、回答者様がご回答に書かれていたように、今の状態がずっと続くわけではないと思うので、そのように思っておきたいと思います。
- もこ猫ミクにゃん(@miku-chi)
- ベストアンサー率31% (3132/9928)
趣味なんだから、動機が不純とか全く関係ありませんよ! 承認欲求で創作する人だって少なくないですし、酔っ払った勢いで黒歴史作品を書き上げて、勿体ないからネットに流してしまった私なんかより凄くマシです。 私の場合は二次創作というか、創作歴史だから1.5次創作で、推しの人物に対する愛情表現みたいなものです。 恥ずかしいし、推しの人物が好きな人にとってみればマイナーな説を採用しているので、受け入れ難いし、お叱りを受けそうですが、それでもちょっとは「こうゆうのもありますよ(小声)」とウチの人を紹介したくなって、こっそりやっています。 承認欲求で書いて、読む人の気持ちを考えて書くと上手くなると聞いたことがあります。 上手くなるための通り道なんでしょうね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 趣味なのだから、あれこれ小難しいことを考えずに、自分が楽しくやれていればそれでいいですよね。 承認欲求で創作する人も意外と多いのですね。 今回質問して初めてそのことが知れました。 それだけでも質問した甲斐がありました。
- humitake7
- ベストアンサー率71% (10/14)
「不純な動機って何だろう?」そんな気持ちで読ませて頂きました。 結論として、全く不純ではないと思います。 『認めてもらいたい』『褒めてもらいたい』そんな気持ちを抱かずに創作活動をしている方のほうが稀ではないでしょうか? 個人的には、承認欲求こそモチベーション維持に繋がるものだと思っています。 金銭を稼ぐ事を目的としても何ら不純ではないですし、他人を軸に執筆と自分を軸にした執筆、どちらも大した違いはないと思います。 どちらかと言うと、自分を軸にしてしまうと"独りよがり"になる可能性もあるのではないでしょうか。 質問者様は、あくまで『趣味』との事ですし、余計に何も気にせず書かれた方が良いと思いますよ。 私の場合は、最近は書いていませんが昔は拙い小説を書いていました。 その時は「こういうのがウケるかな~?」なんて下衆い考えで書いていましたよ。 結果的には誰にも見せることはなかったので、"書いた"と言えるかも疑問ですが…
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに不純な動機ってなんなのでしょうね。 質問している自分でもよく分からなくなりました。 私は趣味で書いているので、回答者様のおっしゃるように何も気にせずに楽しく書いている方が良いですよね。 でも、私がどうしても他人の目が気になる性格の人間なこともあり、趣味なのに他者の評価が気になってしまっていたようです。 いっぱしの小説家を気取っているようでなんだか恥ずかしなってしまいました。
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1154/9141)
夏目漱石は生活を安定させるために朝日新聞に入社して小説を書きました。読者のことを考えなければならなかったはずです。要するにあなたの心配には根拠がないのではと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私の心配に根拠はないですが、なんとなく危機感があったので質問させていただきました。
小説に限らすイラストでもアニメでも映画でも、創作に関し この国はかなりの自由が保障されています その自由の範囲、つまりは他者や公の権利を侵したりしなければ 好きなように生み出したら良いと思いますよ 私は質問文を読んでも、不純だとは感じませんでした 「太宰治」なんかは所謂『クズエピソード』の宝庫ですし ウラジーミル・ナボコフの「ロリータ」は性癖の塊 誰かの為に書いたといことなら「不思議の国のアリス」が有名です 創作物を生み出す動機なんか 誰かに決められるものではないと思います
お礼
ご回答ありがとうございます。 私の動機は不純ではないとお考えなのですね。 確かに動機は人によって自由でいいのかもしれません。 私は少し発想が柔軟ではなかったかもしれないと思いました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 回答者様のご回答を拝見して、大変納得できました。 それは、他者を軸にしている創作だと「もっと認められる、褒められるものを書かなければ」という方向に吸い寄せられてしまうという部分です。 私は趣味で書いていて、特に仕事として小説を書こうとは思っていないのですが、それでも他人の求めている小説を書かなければという思いに支配されてしまっていました。 そうなると他人の評価ばかりが気になって、自分の書きたい事が書けなくなってしまうということに繋がるのだと思います。 創作で他者を意識することは絶対に必要だという回答者様のお言葉はその通りだと思います。 ですが、私はあくまで趣味で書いているので、もう少し自分の気持ちも優先してもいいのかなと感じました。 何事もバランスが大切ですよね。 ご回答が大変参考になりました。 ありがとうございました。