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関釜連絡船

下関と韓国の釜山を結んだ関釜連絡船のことで伺います。明治の後半から終戦まで、上野駅――パリ、ロンドンという鉄路があり、上野駅で切符が買えたと聞きます。その連絡船のことなのですが、列車も積んだのでしょうか? パルビンを経由してシベリア鉄道を使いヨーロッパへ赴く鉄路なのですよね。区間により線路の幅が違うこともあり、列車を載せても意味がないのかもしれません。詳しい方、ご教示ください。よろしくお願いいたします。

みんなの回答

  • kazu0223
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回答No.1

釜山は、1905年(明38)以降、下関と釜山を結ぶ「関釜連絡船」の発着港として、賑わいました。  当初は私鉄によって開設されましたが、翌年に鉄道の国有化とともに、日本の鉄道省が運航するようになりました。 関釜連絡船「金剛丸」の断面(鉄道車両を乗せるスペースはない) http://www.tt-museum.jp/kongo_21.jpg  これは、大正初年頃(右に見える消印は「大正4年10月1日」-1915年)の釜山港桟橋の絵葉書です。  右端には関釜連絡船、左には列車が見えています。その中央の建物が「釜山桟橋」停車場で、ここから京城(現・ソウル)や満洲方面への列車が発着しており、連絡船を降りた旅客は反対側に停まっている列車にすぐ乗り込むことができました。  この船車連絡は、第2次大戦の終結とともに、関釜連絡船が廃止されるまで続きました。 ・・・ とあるので、関釜連絡船は乗客のみで鉄道車両(客車)ごとの移動ではなく、乗客のみ乗船移動のようです。

TaCiKeDs216849
質問者

お礼

貴重な情報をありがとうございました。 シベリア鉄道は広軌ですし、超寒冷な気候でもあり、日本の列車が欧州まで直通でいける可能性は少ないと思っていましたが、もしやと思い、質問をさせていただきました。 やはり列車は積まなかったのですね。 助かりました。

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