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昔の上野発の夜行急行列車
昔の上野発の夜行急行列車 昔、東北・上信越系の夜行急行列車で夜、上野を発車し地方へ向かう列車は「赤羽駅」は通過で 朝、地方より上野へ上ってくる列車は「赤羽駅」に停車するという、上下列車で停車パターンがはっきり分かれていたのですが、これはどんな理由だったからでしょうか? 夜は帰宅列車などの本数が多かったので線路キャパの問題でしょうか? 停めていれば後ろが痞えるといった車交通渋滞と同じでダイヤが引きにくかったからそうした設定になったのでしょうか? 朝も同じかと思われますが、地方から乗車してきた乗客が赤羽より池袋・新宿方面に行くための計らいだったのでしょうか?
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- river1
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音沙汰無しは、私の回答に納得していないみたいですね。 昔は、今のように各電車に無線電話とか無い時代ですよ。 安全確認の為には、手前駅の専用電話で安全を確認するしかないのです。 この質問については、80歳代の国鉄マンの親父の友人に再度確認した事ですので確かです。 親父の友人は、当時の急行津軽号の車掌さんですから、嘘偽りはありません。 行き止まりの上野駅のホームに入線してから乗客を降ろして、全車両を確認後に田端車両基地に回送されるまで行き止まりの上野駅のホームが空かないと言う事です。 日によって到着ホームが変わったと国鉄マンの親父の友人が言っていましたよ。 車内アナウンスでは、「本日は○○番線に到着、お出口右側、」と必ずアナウンスしていたそうです。 従いまして、この質問の理由は、安全運行上の理由が正解となります。 ご参考まで
- river1
- ベストアンサー率46% (1254/2672)
#3です。 追記しますが、乗務員は赤羽駅で上野駅からの指令を確認する事が義務付けられていたそうです。 なので、上りは、赤羽で停車して上野駅のホームの空きを確認が当時の運行規定だそうです。 下りの場合は、確認の必要無しから通過だそうです。 昔から安全運転は徹底していたそうですので確かでしょう。 ご参考まで
- river1
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昔は、電車ではなく客車主流の列車です。 東北・上信越の夜行急行列車は、上野駅の下のホームが発着場で行き止まりです。 入線から回送するまでホームが空かないので上りは待避場として赤羽駅で停車したと国鉄マンの親父から聞いた事があります。 ご参考まで
- pharmacien
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宮脇俊三氏の著作の中で, 「朝の上野へ向かう列車は並行ダイヤで,追い越しができない」 というような部分があったように思います. (何の本だったか? 10分遅れたら,割りこめずに1時間停まっているとか) 赤羽駅を通過できるような時間帯ではなかったのでは.
- kuma-gorou
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多分、昭和30・40年代の話かと思いますが、下り列車は、始発駅で並ばなければ座席の確保もままならない時代でした。 そう言う状況で、赤羽に止めても、乗る客は皆無だったんじゃないかと思います。