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blazinさんにリクエストをします。
blazinさんにリクエストをします。 人間関係を「点」として見る人と「線」として見る人がいる事を知って、「点」として見る人は「線」として見る人よりも悩む回数が少ないのでは?と思ったんですけどどうだと思いますか。
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悩む回数に違いは無いんだと思う。 スタイルが違えば・・・ そのスタイルに応じた長所短所はあるから。 それぞれのスタイルにも悩みはある。 人間関係を「点」で捉える長所は、 その時その時の自分のベストを尽くそうと割り切れる事。 でも・・・ 割り切りは人との繋がりを生み難くするデメリットも生む。 自己完結しやすい。 その場その場の「点」で応じている分、 自分の「中」の感覚に素直になり過ぎてしまう。 当然他者は、 その「外」に置かれてしまう事になる。 人間関係を「線」で捉える長所は、 その場その場の相手の対応や態度、 それ「だけ」で相手を判断したり、捉えなくなる事。 一つの「点」だけで見たら良い印象が無い相手も、 その「点」を積み重ねて(集めて)改めて見てみると・・・ 実は受け止めやすい部分が見つかる事もある。 「線」の意識がある人は、 直ぐに目先の相手を裏切らないし、退けない。 その反面、 「線」の目線がある分、 「点」の対応、 「点」の目線がある人に振り回されてしまう部分もある。 良くも悪くも割り切れない。 こちらは繋がり(歴史)を大切にしているのに、 目先の感覚だけで動かれる相手には違和感を感じる事もある。 でも、逆も言える。 「点」で捉えている人は、 その場その場でやり繰りしている分、 確かに悩むゾーンがややスリム化している部分はある。 それでも・・・ スリム化した弊害として、 他者からの目線や他者との繋がりが蔑ろになりやすい。 気付いたら、 誰とも良い繋がりを持てないまま、 何となく個人主義的な印象を与えてしまう。 気付いたら、 周りに深く繋がっていると言える人がいない(少ない) そういうデメリットもあるんだと思う。 どちらが良い悪いは言えないよ。 ただ・・・ 自分と関わっている人がどういう目線なのか? それを理解する一因として、 相手の捉え方(点か線か)を知る事、感じる事。 それは、 その後の関わり方にも良い影響が生まれる。 自分は必死に線にしたい(線であって欲しい) そう思っていても、 相手の目線はまだ途切れ途切れの(間のある)点。 そういう場合もある。 自分が線だからこそ、 つい相手の点対応に何故?どうして?となりがち。 相手に同じものを求めている分悩みになる。 でも・・・ お互いに違うんだ。 向き合っていても、 自分はどちらかと言えば線だけれど、 相手はまだその時その時の気軽な点なんだ。 その違いが何となくであれ分かると、 関わりやすさって随分変わってくる。 違いを認めるのは不本意な時もあるよ。 でも、 違う相手に同じものを求めても難しい。 だったら、 違いがある事を受け入れた上で、 今の自分(たち)が分かち合える「範囲」を大事にしよう。 そう整理する事で、 違いのある相手に対しても持て余さずに向き合っていける。 貴方はどう思う? 悩む回数が多くても浅い悩みもあれば、 悩む回数自体は少なくても、 その一つ一つの悩みが深い場合もある。 悩む回数自体は多くても、 悩みとの付き合い方を見つけていく事は出来る。 悩む回数自体は少なくても、 その一つ一つが深くて案外引きずってしまう事もある。 回数が少ない方が楽か?と言えばそうでもない。 悩み自体は消耗するし、 意識が「点」であれ「線」であれ考えさせるから。 貴方は今、 人間関係をより良くするには? それを「線」の目線で考えている。 でも・・・ 時々「点」の強い感情や不安に襲われて、 安定した「線」が続かなくなる事もある。 それでも、 ずっと脱線しっ放しでは無くて、 また改めてこれからの自分自身が必要な事とは? 自分自身が上手く人と付き合っていくには? それを「線」の目線で考えようとしている。 今の自分はどうすべきか?何がしたいのか? 「点」で考える事が必要な時もあるよ。 でも、 どちらか?という極端な考えは要らない。 どちらが良い悪いという優劣も要らない。 色々な見方や捉え方があって、 その一つとして「点」と「線」という捉え方もある、という事。 あまり難しく考え過ぎずに、 これからの貴方自身に活かしていけると良いよね☆
お礼
回答ありがとうございます。