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悲しみは悲しみのままなんでしょうか。

悲しみは悲しみのままなんでしょうか。 生きていけば楽しいことはもちろん、悲しいこと辛いこともたくさんある。 傷はいずれか癒えるといいますが、心の傷は残ったままです。たくさん傷つけたこと、傷ついてきたことが心にずっと残っています。 もう心がボロボロです。次何かが怒ったら私はもう耐えられそうにありません。 傷ついたことをバネにして前へ進みなさい、と言われますがそんな気力は残っていません。 私はこれからもずっと暗い気持ちを背負ったままなんでしょうか。

みんなの回答

回答No.5

 あなたは大きな悲しみを背負っているようですね。 しかし悲しみは打ち消そう打ち消そう、忘れよう忘れようと思えば思うほど逆に追いかけて来るものなのです。  むしろ悲しみはそっとそのままにしておいて別の世界に心をシフトさせた方が良いと思います。  あなたの夢は何ですか?あなたの子供の頃にあこがれていた世界は何ですか?今のあなたでも夢中になれることは何ですか?  大きな感動の世界に出会いそれがどんどん大きくなりあなたを光で包んだときあなたの心はシフトし幸福と安らぎへと導かれ相対的に悲しみは縮小していくと思います。

回答No.4

神様は、乗り越えられない試練は与えません。 私も、二度と立ち直れないと思うほどの大きな試練が 数回ありました。深い深い谷底に転落して、もう無理 だと思い、絶望したこともあります。 でも、不思議なことに、乗り越えられました。 心をメッタ刺しにされて、ズタズタのボロボロになり 激しく落ち込んだことも、今なら自分に必要な試練だった のだと思えます。 谷底にいる時は、渦中にいる時は、視野が狭くなって 視野狭窄に陥っていました。なぜ?どうして?と 何度も何度も考えて考えて、考え抜きました。 考えても仕方のないことなのに。 でも、私を傷つける人のことを分析しているうちに 今まで見えていなかったことが見えてきて謎解きが できるようになりました。 私の出した答えが正解でなくても良いのです。 私なりの解釈で、問題が起きた根源的な原因を 見つけることで、起きた事実を受け入れられるように なりました。 心の傷は消えることはありません。 フラッシュバックは何度も起きます。 でも、時間の経過とともに、痛みは和らぎます。 辛いけど、悲しいけど、忘れられないけど 起きた時ほどの大きな痛みではなくなります。 思い出すと不愉快になるし、嫌な気持ちにはなるけど 忌まわしい出来事は人生の糧になります。 多くの学びがあります。 ユダヤ人は、試練を与えられた時、神に感謝するそう です。私も自分の試練を与えた神に感謝しています。 その試練がなければ分からなかったことが、今は分かる ようになったからです。

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9141)
回答No.3

悲しみを短歌にしてしまう人がいます。悲しさをお鍋に入れてみるそうです。短歌がお鍋になるようです。悲しさを手で持って煮たら手にやけどができてしまいます。短歌というお鍋に入れて煮るのだそうです。

  • nakama08
  • ベストアンサー率48% (110/225)
回答No.2

そんなことはありませんよ。人間的成長をする人って、人を傷つけた痛みと傷つけられた痛みがわからなければ、どんな権力者やお金持ち、地位があっても為せない人です。偉いだけではなれないのが人間的成長をする人です。他の人からみればただのおっさん、おばさんであっても人間的成長をした人からみれば、その人は只者ではない人ってわかるものです。 ちなみに名言というものがあるのですが名言の裏に隠されているものって普通の人だと気がつかない深い意味があったりしますよね。名言ってだれが気がつくと思いますか?本当の苦しみを重ねてきた人です。わたしも未だに何が言いたいのかがわからない名言って云うものがあるのですが裏には何かがあるからこそ名言と呼ばれるのでしょうね、、。名言の裏にあるものの真の意味というものがわかってこそ本物です。 傷ついたことをバネにしなさいって云う意味ってわからないのですがたぶん言ってる本人もなんにもわかってないでしょうね。傷ついたことをバネにしなさいか、どういう意味なんでしょうね。 もっと傷つく人を増やしなさいっていう意味なんでしょうかね。そして仕舞いには殺してしまいなさいなんでしょうかね。よくわかりません。 傷ついたこと、傷つけたことは少しずつこころのなかでどうして傷つけてしまったのかどうして傷つけられてしまったのかの整理をしないと人間的成長につながりません。人間的成長する過程には、耐えられないほどの苦しみもあります。だからこそ少しずつなんです。あせったら命を縮めます。人間的成長をすると自分が許せるようになります。次に訪れるのが他人への慈悲というものです。まだまだ長い道のりだと思います。その道のりの中には乗り越えなければならないものというものがありますのでその時は辛くても頑張らないのいけません。 いまは、今のその苦しみを耐えなくてはなりません。 そのうちこころが勝手に整理を始めます。待つのも必要なことです。なぜなら、考えてもこころは動かないから。こころはそういうものだから。待つって大切なことだから。糸口は、こころが勝手に見出してくれるものだから。待つしかないものだから。 待ってみな。 経験者より

  • marukajiri
  • ベストアンサー率45% (504/1101)
回答No.1

人生は楽しいこともあれば、苦しいことや辛いこと、悲しいこともあるものです。特に自分の身にふりかかる辛いことや、悲しいことなどに対しては、心を伸び縮みするゴムのように柔軟にしておくことで、心がズタボロに傷つくことを防ぐことが出来ると思います。 悲しいことが矢で、心が突き刺さりやすいリンゴのようなものだったら、心は飛んでくる何本もの矢が突き刺さって、ズタボロになって瀕死の状態になるのですが、心の周りに強力なゴムのコーティングをほどこすことで、飛んで来た矢は、ゴムにはじき返され、心に突き刺さらずに済むのです。物事には裏と表があり、考え方の工夫をすることで、辛さの矢や、悲しみの矢をはね返すことができるのです。 例えば、大切な人が死んでしまうということが起きた場合や、大好きな人に別れを告げられ失恋するなどという目にあった場合には、人は悲しみのどん底に突き落とされ、心はそれこそボロボロに傷つき、その回復には数年を要するかもしれません。それが普通の人の精神状態なのかもしれませんが、これでは人生やってられないでしょう。これは何の工夫もせずに、心を無防備にむき出しの状態にしている人が陥る状態です。 心の外側に強力な柔軟性を持ったゴムのコーティングをほどこすには、起きたことを悲しいこととか、苦しいことと一面だけでとらえるのではなく、自分にとってプラスになることとしても考えるのです。基本的に人生何が起きてもプラスに考える癖をつけるのです。自分に起きた苦しいことや悲しいことや辛いことなどは、すべて天が自分に与えた試練と受け止め、これを乗り越えて強い精神と肉体を持った人間になるぞと常に前向きに考え生きていくのです。 大切な人が死んでしまったのは悲しいことだけれど、人はいつかは寿命が来て亡くなるものだと悟り、生かされている自分の人生を亡くなった人の分まで精一杯生きようと考え、自分の中で大切な人は生きており、極楽浄土から自分を応援してくれていると一歩踏み込んで考えることで、悲しみに一時的に支配されていた心も少し楽になり前に進めるようになると思うのです。 また、大失恋に見舞われた場合には、恋愛は同じ程度の人が結びつくようにできているものだから、自分のレベルが低かったのが原因だと考え、今の自分はあの人に合わなかったのだと悟り、次に同じような人と恋愛できた時には失敗しないようにと、自分のレベルを上げるように多くの本を読んだり、様々なことを考えたりするのです。 考え方を常に前向きにプラスにしてください。様々な苦しみや悲しみなどの経験は、あなたを強くするための乗り越えることのできる試練なのです。一つの思いに縛られていては迷路の中にいるようなものです。考え方の工夫をすることで、迷路を上からながめ、出口に向かって歩むことができるのです。この場合の出口というのは、あなたが歩むべき人生であったり、その時々の目標とするべきものかもしれません。 今までの苦しいことや辛いことは、あなたにとって経験しなければならない貴重なことだったのです。こういった経験をさせてもらったことで、考えるべき材料があなたに与えられたのです。気力で乗り越える必要はありません。自分がどうしたいのかを考え、目標に向かってやるべきことをすればいいだけです。今あなたに求められているのは、多角的な物の見方であり、考え方だと思いますが、いかがでしょう?

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