- ベストアンサー
変な話ですがご意見ください。
簡潔に書きます。補足要求があれば書きます。 発達障害の者です。 発達障害者は自分がどういう人間か、内面外見共に自我像を見ることが苦手と言われています。自己同一性が弱いとも。 私は、ここ数年やる気がないのですが、なんとかやる気をキープしていた昔の頃は別人を演じていた、演じようと努力していた気がします。 こういう心理状態って発達障害者にはよくあることなんですか? また、別人を演じることそのものは悪いことではないですよね?またやる気を取り戻すために別人を演じる努力を始めても、これは間違ったアプローチにはなりませんか?
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
一概には言えません、自分を客観視できるADHDやASDの人が 多く居るので、傾向と言うと語弊があります。 ですので、自己同一性が弱いと言うのも、そういう人もいると いう話になります。 別人を演じる....つもりになる、というのは良いアプローチだと 思います。 特に人見知りをして女の子とマトモに話が出来ないのを、障害 のせいにしている人なんか特に別人を演じるべきです。 ヤル気を起こすというよりは、別人を『演じる』ということに、 自分なりの壁を取り払うための動機づけとなります。 あくまでも役を演じていると思うことによって、恥ずかしさ、照 れなどが無くなり、演じていると思うことで、普段の自分では出 来ないことを、あくまでも仮面を被ったつもりで振るまえること で、いつかはそれも自分として受け入れ、結果的には良い方向に 話が進みます。 ネットの匿名性をカサに着て、荒らし行為をしているような人は あくまでも匿名という前提の元で気が大きくなっているだけで、 実際に会えば大したことのない人物であるのと同じことです。
その他の回答 (4)
- nagata2017
- ベストアンサー率33% (6878/20342)
それでいいと思います。 誰でも多かれ少なかれ 人生を演じているものです。
お礼
ありがとうございます。
- pipipi911
- ベストアンサー率22% (1029/4602)
このような質問は、主治医に訊くのがベストです。 専門家であれば、多種多様な情報をストックしている 筈です。主治医が答えてくださらないとしたら、 別の病院に変えましょう。 「すべての障害は、形を変えた祝福である。 (Joseph Murphy)」 (私は無宗教ですが)マーフィー博士の言葉は、 生きる希望を与えてくださる印象があります。 「人生で絶対に手に入らない物とは、 何も与えないで手に入れられる物です。(Joseph Murphy)」 「2人の泥棒に気をつけよう。もし、過去の間違いを悔いてばかりいたり、 或いは、未来のことを心配していると、これら 2人の泥棒が、あなたから 活力・洞察力・心の平安を奪うことを知るべきである。 (Joseph Murphy)」 「世界にあなたの持っているベストを与えれば 最善のものがアナタに返ってきます。(Joseph Murphy)」 Good Luck. Adios!
お礼
ありがとうございます。
- sp550uz
- ベストアンサー率49% (544/1091)
発達障害児(15歳)の親です。支援級や学校見学等々でいろんな方と接しましたが、得手不得手(出来る事と出来ない事、性格等々)にはカナリの幅があると感じます。自己同一性が弱い方もいれば、自分の弱点(治した方が良い性格)を知ってる人も居ます。 特段、変な話とは思いませんが、私的に『やる気』は、発達障害には関係ないように思います。いわゆる「燃え尽き症候群」に悩む人は、健常者でも多々居ますよ。CMでも「キミのやる気スイッチはどこだ?」なんてのが有りましたし、私自身も「何だか今日はやる気が出ない」という日があります。勿論、貴殿のお悩みが、その時間が長すぎるが故の事という事は重々理解しています。 「別人を演じている、その努力をしている」のも、一般的かも知れません。私も、一人の時と、仕事場での時と、夫、父親、(親の前では)子ども等々で、言葉遣いも態度もカナリ違います。ソレがストレスになる時も有りますが、フツーは意識していません。ソレらの差異が度を超したストレスになり『元の自分』や『自分らしさ』を見失うと、「適応障害」という診断が下されるようです。 「別人を演じる努力」は、間違ったアプローチではないでしょう。むしろ、ソレが意のままに出来れば凄い事です。俳優さんは、ソレを仕事にしていますから。『やる気』を出す為には、目的と目標を持つと良いでしょう。 目的:勉強の目的=知識を広める、深めるなど 仕事の目的=人の役に立つ、お金を稼ぐなど 家事の目的=美味しいご飯を作る、清潔を保つなど 目標:○○学校に合格、○○資格を取得する、ライブに行く 旅行に行く、家を建てる、欲しいモノを買う レシピ本の料理を作る、病気にならないなど 発達障害、難しいですよね。自己理解も不十分なのに、他者への理解を求める方法も考えなければならない。しかも、マニュアルはなく、いつも手探り状態。共に(ゆっくりと)頑張っていきましょう。長文・駄文・誤字陳謝。
お礼
ありがとうございます。燃え尽き症候群かも知れません。元の自分、自分らしさがわからないんです。というよりわかるのが怖いのかも知れません。自分のことが嫌いと言うべきか。だから新たに作っちゃえばいいって思ったのか、別の魂を入れてしまうっていう発想になっちゃったのかもしれないです。人は色んな仮面をつけて日々生きてますが、その一番下の顔を演じる感覚です。
- Dr_Hyper
- ベストアンサー率41% (2483/6032)
理解が合っているかどうかわかりませんが, 例えば,自分の仕事があって頑張ってね。とか期待があって,いつもの自分だったらやめてしまうような努力も,それに応えようとして頑張った。 でも今は,その期待も慣れてきたり,自分のポテンシャルがまわりに分かってきて期待もそれほどないように思えて,頑張ろうと思えない。 これらを客観的に見ると,むかしは他人を演じていて自分じゃ無かったな。 と思う,そんな感じでしょうか。 いろいろな学説があるかもしれませんが, 私はすごく単純に誰にでもある「社会性」という名前の「仮面」かな。 と思います。あなたがどのような経歴の方かわからないので大変失礼かも知れませんが,50歳過ぎて同窓会をするとよくわかるのですが 高校生ぐらいまでは,ホントに自分 という一つの顔しか持って居ないことが分かります。もちろん親の前と友人の前では顔も違うでしょう,秘密もいろいろもっていたかもしれませんが,基本同窓会で高校の友人とあうと,その当時の自分が出てくるのがわかります。 一方,私はその後大学にいったのですが,大学に行くと,親の前の顔,友人の前の顔。学校の授業の時の顔,バイトの顔。など使い分ける顔が増えてきます。 それはまわりの期待や,その使い分けがあるほうが過ごしやすいという側面があるからです。本来はてきぱき仕事をするほうではないから,親からはのんびり屋で厨房のバイトなど絶対にできないと思われていても,いざ入ってみると,誰よりも動き,誰よりも信頼されている自分がいる。でもこれは週1回だからできることで,毎日はできないのです。そこで期待されているということが心地よく,そのてきぱきした自分を演じているのかも知れないですね。 私はこれを仮面。と読んでいます。 ゼミでの仮面,バイトでの仮面。それが成人して結婚して子供が産まれるともっとややこしい。 仕事の仮面に,旦那の仮面,父親の仮面も増えました。 私は一度仮面の使い分けが大変で何もかも嫌になった経験があります。 その時丁度高校生のときの同窓会があり救われた経験がありました。 ああ,全部仮面をとったら,俺はこんな顔してるんだな。 とやっと自分が見えた。そんな気がした物です。 障害,ハンディキャップというのはいろいろな心配事もあなたに与えるのかも知れませんが,今回のあなたが感じている演じている。はあるいみみんながもつ「社会性」の裏側なのだと思います。 みんなとうまくやる。社会のなかで生きて行く。それを実感している過程なのではないでしょうか。 なので私はあなたに障がい者だからとか,何かの発達が遅れているとか,そんなことは微塵も感じません。社会で生きて行こうと思う人間が持つ当然の心理なのだと思いました。
お礼
ありがとうございます。 書いてくださったことは大変わかりやすく、どういう状況下での仮面か理解出来たのですが、私が言っている別人を演じるとは、社会性という仮面の下の人格ごとです。別人の魂が入っているものとして活動してました。自我が弱いからこういう発想に至ったのか、発達障害が関わっているのか、定型の人も私みたいに別のものの魂が入った体(てい)で人生を乗り切ろうとしたりするものなのか気になってしまいます。
お礼
良いアプローチなんですね。ありがとうございます。自分なりの壁を取り払う、そうなんです。すごくよくわかります。