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人生の運について 帳尻が取れるというのは本当?

人生における運について、「帳尻が取れる」「運の良し悪しの量はみんな一緒くらい」という話を聞くのですが、それは本当なのでしょうか? 様々な年代の方の意見を聞きたいです。経験談とかも混じえてくれたら嬉しいです。回答よろしくお願い致します。

みんなの回答

  • IXTYS
  • ベストアンサー率30% (965/3197)
回答No.10

こんにちは。 とても良い質問です。 私は七十代後半の男性で、間もなく八十代に突入します。 結論から言えば、万人押しなべて同じようなものだと確信しています。 ● 全ての人にはその人生で三回はビッグチャンスに巡り合える。 必ず。   私には19才、25才、32才の時にビッグチャンスがやって来ました。  いずれも今の自分を作り出す土台になっています。  この三つが土台になって、その後の成功に結び付いています。   物の見方、考え方について言えば、企業の研修で集団討論に参加した時、大きな啓示を得たように感じました。  それまでは自分の考え方に固執し、自説を曲げない。  自分が絶対に正しいと考えていました。  しかし、特に欧米の方々と討論していて、彼らのプラグマッティックな考え方に接して考え方が変わったように思います。  この柔軟な思考が定着すると他の人たちと積極的に議論をすることが楽しくなりました。  議論には勝った負けたはありません。  最後にみんなが納得出来る素晴らしい結論に積極的に貢献できたことを誇りに出来る。  これが議論をすることの最高の悦びなのです。    議論で大切なのは自分の考え方に固執せず、他の人の意見も聞くこと。  すると自分の中にもっと柔軟で広い視野が醸成されて行く。  これはそれまでの自分の中にはなかったものでした。  他人の意見にも謙虚に耳を傾けながら、自分の意見も率直に吐露する。  そしてみんなが納得出来る次元の高い結論にほかの人たちを誘導する。  これは指導者に求められる最高の特質です。  それは決して本を読んだり、物を書いたりしてだけでは絶対に身につくものではありません。  ほかの人たちと積極的に意見を戦わすことでしか身につかない。   私は現在小学校の3,4年生に英語の物語の読み聞かせをするボランティア活動をしています。  幼い子供たちにお話を聞かせる活動ですが、 本当の目的は一緒にお話を聞いて下さっている、若い先生方に英語の教え方を私から学んで頂きたい。  私のように易しい英単語を使って難しい概念を上手に伝える技術を身につけて欲しい。  その一心です。   ● この地球と言う惑星は英語で出来ています。    こう言っても理解して頂けないかも知れません。  しかし、英語は厳然としたステイタスシンボルです。  英語を母国語のように自由に使いこなせるようになると判ります。  子供たちにもみんなそのレベルに到達して欲しい。  そう願っている昨今の私です。   

  • izumi044
  • ベストアンサー率36% (1333/3623)
回答No.9

最近はあまり聞かなくなりましたが、こんな言葉があります。 「人生には、三度大きなチャンスが巡ってくる。それを掴めるかどうかは自分次第」 そう考えると、全員に等しくチャンスは与えられているんでしょう。 実際、私もなかなか恵まれないだろうチャンスが巡ってきたことはありますから。 常にアンテナを張っていて、それとわかる人。 気づかずに見逃す人。いろいろいると思います。 運がいいか悪いかは、相対的に考えるものではないと思いますよ。 自分の人生において、必要な時に必要なものを掴めたかどうか。 運を掴もうとしなかった人でも、棚ぼたであれよあれよと幸運に恵まれるような、そんな帳尻合わせはないと思います。 対象となるのは、あくまでも運を掴もうとした人間。 三度のチャンスで、大きな幸運を掴めた人間。 大きなチャンスと、不運とで、帳尻が合うってことでしょう。 なんにも行動を起こさない人間に、運はそうそう巡ってきませんよ。

  • hiodraiu
  • ベストアンサー率15% (451/2846)
回答No.8

虐められて自殺した人、飢餓で苦しんで死んだ人、常に戦時の人生を送った人、奴隷として生きた人等々の不幸な人生を送った人たちと、普通に生きている人間が、同じだけの運を持っているとは到底思えない。 別の考え方として、運なんてものは各個人の感じ方次第で違ってくるものであり、他人に運なんてものは客観的には分からない。前述した不幸な人生を送った人たちでも、運が良いとお思っているかもしれない。帳尻が取れているのかは本人が死ぬ間際に、帳尻が取れていると思えば、そうなんだろうね。

  • dolce0000
  • ベストアンサー率22% (217/951)
回答No.7

自分の中でのバランスだったらあるんじゃないですか?実家暮らしや幼少の頃があまりに地獄すぎたから、大人になって自宅を出たら超快適!みたいな。 私も自分流を徹底できるようになってから生きやすくなったし、自分の若い頃は今みたいにやる気と才能さえあればいくらでも道がある時代ではなかったから、そういう面では確実に良くなってるよなぁと、プラス実感が増えるばかりです。

  • sakura-333
  • ベストアンサー率10% (952/8906)
回答No.6

チャンスを掴むか逃すか、同じことが起きても運が良いと思うか悪いと思うか。 宝くじに当たったとか、何かしていることに対して神風が吹いたとか、行動を起こさなければ得られないものもありますが、たまたまそこにいたから大怪我をしたとかだってあるわけじゃないですか。 物事は表裏一体ですし、生きている間は良いこともあれば悪いこともあって帳尻が取れてるなと思うことはあるかもしれませんが、生まれた時から不平等に出来ているのが世の中ではないかなと思います。 >運の良し悪しの量はみんな一緒くらい 同じような生活レベルで同じような日常を過ごしている人達が固まっていて思うことではないでしょうか。

  • keizo99
  • ベストアンサー率14% (265/1820)
回答No.5

運命、運勢、運この3つの内、運命はかえれないが、後社の2つは、多少変動がありますが、訪れていると思います、その運を逃す人も多いのもたしかです、だから全ての人が、その運をつかむか、逃すかで平等に与えられるかといわれれば、本人の努力直感、経験を生かし感じとり生かす事ができれば、平等に有るかもです、自分が不幸だ、あいつわ恵まれている、常に考えている人は運が訪れていても、きずかず逃しているので、平等でわ無いかも、日頃から上昇的に考える人は、良い運命、悪い運もわかつていて、常背中合わせにあることに着ずいています、

回答No.4

生まれたときから心臓に欠陥があって、ほぼずっと入院 していて、結局2歳位で亡くなってしまう子供がいるとします。 もし仮に、人の運の善し悪しの量が一緒なら、この2歳の子は 幸運(私やあなたが一生使うだろう量)を死ぬ2歳までに 全部使い果たしたことになりますね。 そんなことがありえますか? 運の悪い人は、人生の運の帳尻が合うとか信じるんでしょう。 そうでないと、「運の悪い」自分が、「運のいい人」に対して 嫉妬し、「運の悪い」自分が惨めだからですね。 貧乏人が「金持ちだから幸せとは限らない」と言う、 ブスが「美人だから性格がいいとは限らない」と言うのと似ていますね。 私の経験だと、ブスの方が性格が悪いですが。 運のいい人は、自分は運がいいって日頃から思っていますし、 帳尻が取れるとか考えたこともないでしょう。 私は40代で、自分はとても恵まれて運がいいと感じますし、これからも ずっと運がいいんだろうなと思います。

  • smoon465
  • ベストアンサー率8% (28/323)
回答No.3

嘘です。 周りを見れば分かると思いますが、年収数千万円、数億円という人は意外と沢山います。 貴方の近くにそんな人居ますか? ホテル王、ビル王と言われ良い暮らしをしている人が最終的に必ず不幸にはならないですよ。 薄給の人が最終的に必ず何かを得て高給取りと同じ様に死んでいかないでしょ。 そう思いたい貧乏人や不幸な人は沢山いるでしょうが、幻想です。

  • okvaio
  • ベストアンサー率26% (1983/7620)
回答No.2

そうですね~ まだ、生きていますから、自分の運が帳尻が合っているかは 分りません・・・笑 そういうことだと思います。 自分で自分の帳尻は見ることはできないと思います。 結局、第三者が概念的に評価しているに過ぎないのでしょう。 或いは、亡くなった人に対して、生まれてからの一生を語るときに、 不幸な末路であったとは言わないでしょう。 人生は、楽しいこともあれば不幸なこともあります。 精神的に幸福なのか、物理的(お金や物)に幸福なのか、ですが、 精神的なものは、納得すれば帳尻は合います。 しかし、物理的なものは、プラスはプラス、マイナスはマイナスの ままです。 年老いたときに、ふと人生を振り返ってみて、精神的に 「帳尻を合わせたくなる」「合わせてしまう」のかもしれませんね・・・

  • sknbsknb2
  • ベストアンサー率38% (1158/3033)
回答No.1

50代男です。 運に関しては「宇宙合目的調整機構統計局均整課」によって、運と不運の割合が1:1に近づくように調整されています。 詳しくは藤子・F・不二雄先生の『ドジ田ドジ郎の幸運』を御覧ください。