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戦前生まれの平均的な学歴
祖母のお兄さんが昭和6年生まれだったんですが、この世代の平均的な学歴って尋常小学校の高等科くらいで、中学は行きませんか?
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- simotani
- ベストアンサー率37% (1893/5080)
この当時ですと、大学とは国家官僚の養成の為の場所でした。小学校の6年すら授業料未納で除籍になる人も居ます。義務教育の無償化すら現行憲法になってからであり教科書も先輩からのお下がりとか結構シビアでした。人身売買もあった為まだ小学校在籍中でも娼館に売られたなんてある位。ですから何を以て普通とするのかは土地により、地位によっても変わるのです。小作農家の場合賃借料は平年の出来高の50%を米納しますが、不作だと払えずに子供を売ったのです。
- lolipop-sapporo
- ベストアンサー率23% (760/3195)
これは一概には言えませんね。 10年前に亡くなった私の父も昭和6年生まれでした。で、ちょうど旧制中学から新制高校への切り替わりのタイミングで旧制中学卒業になりそうだったため、一年留年することにして新制高校卒業の肩書を手にしたそうです。 私も父も、当時北海道の産炭地在住でしたが、父の友人の多くは旧制中学に入学しており、中学に行かなかった同級生はクラスの半分以下だったそうです。 これは、当時の産炭地は経済的に裕福な家庭が多く、旧制中学に進学する余裕のある家庭が多かったためらしいです。
- g27anato
- ベストアンサー率29% (1166/3945)
当時の社会的な扱いを現代に置き換えるなら、 高等小学校⇒高校程度。 中学校⇒短大、地方大学程度。 実社会において、何を平均的とするのか、 …質問では不明です。
- tzd78886
- ベストアンサー率15% (2590/17104)
当時は地域差が大きかったはずです。何しろ中等学校(中学校、女学校、職業学校など)は都市部にしかなく、そうでないところに住んでいる人は進学しようとすれば下宿か入寮しなければなりませんでした。それができるほど裕福な家は限られていたので、学校ん成績がよくても進学を断念せざるを得なかった人は多かったからです。戦後まもなく義務教育が中学まで延長されましたが、小学校に併設された場合を除き通学困難で実際には進学できなかった人も少なくありませんでした。それ以外にも引き上げや戦後の混乱の中で小学校すら碌に通えない人もたくさんいました。 都市部在住の人は中等学校まで行った人もかなりいたようです。私の父の実家は決して裕福ではありませんでしたが、父が中学が義務教育になった最初の世代で、その上の姉二人も女学校に行っています。
- dragon-man
- ベストアンサー率19% (2711/13692)
戦後の1947年にGHQの指示で学制改革が行われるまで、日本の義務教育は尋常小学校の6年間だけでした。戦後の学制改革で小学校6年間、中学校3年間、併せて9年間と定められ今に至っています。だから戦前は中学校まで進む人は少なく、中学校も今のように全国至る所にはありませんでした。今の大学進学率より進学率ははるかに低かったのです。戦前の中学校は5年生で、旧制高等学校(3年制)、大学(3年制)に進むための一種のエリート教育だったのです。戦後は中学校は3年制にあらためられ、義務教育の対象になりました。高校(新制高校)は3年制、新制大学は4年制になりました。旧制高等学校は数少ない民間高校を除くと全国に9校しかありませんでした。東京の一高、仙台の二高、京都の三高など、完全なエリート教育校でした。高校、大学へ進む人は国民のほんの一握りしかいなかったのです。今のように大学が千校もあり、進学率が50%を超え、望めば誰でも入れるようになったのはつい最近のことです。いい時代ですね。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
この「平均的」というのがわかりませんが、昭和5年生まれで、父親が農学校、母親が高等女学校、中学の同級生の3分の一が大学まで出た人を知っています。 その頃生まれると、中学校では勤労動員で勉強していない、旧制高校が最後、大学から新制、というあたりで、駅弁大学の始まる前でしょう。
- japaneseman5963
- ベストアンサー率22% (394/1789)
商業学校に行って学徒勤労動員された従兄がいますが 親が貧乏校長で8人兄弟の真ん中ぐらいです その弟は予科練、兄は陸軍幼年学校など 田中角栄みたいな工手学校?実業女学校みたいなのもあり 終戦時14歳というのは微妙な世代ではあります 新制中学校に入学できたようにも思う