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昭和21年生まれが超少ない件について
中学校の卒業者数を調べていて疑問に思ったのですが 昭和36年の中学校卒業者数が極端に少ないのです。 福岡県の例では 昭和33年:77万 昭和34年:78万 昭和35年:75万 昭和36年:58万 ← 昭和37年:85万 昭和38年:103万 昭和39年:110万 となっていて明らかに不自然です。 一般に昭和22年生まれからを「団塊の世代」と呼びますがその直前がもの凄く少ないのは何故なんでしょうか? 終戦が昭和20年であることを考えると21年生まれが多くなりそうな気がしますが 戦争中には普通に生まれてますしこの年には何が起きたんでしょうか? どなたかご存じの方いらっしゃいませんか?
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年度と年を間違えています。 昭和36年3月卒業、つまり昭和35年度卒業生が少なかったのです。 昭和21年生まれが少ないのではなく20年生まれが少ないのです。 昭和20年は戦争が一番激しい頃でした。21年に復員して翌22年にベビーブームです。もちろん復員が早い人は20年に戻りましたから21年にその兆しはありました。
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- youko12002
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赤ちゃんを作って、就学させるまでのタイムラグが原因では? 海外の人口爆発にも見るように人間、♂と♀がいて、混乱状況でお互い安心しあう手段は食料がなくとも、あれひとつです(笑)S20年3月以降は東京大空襲をはじめ、空襲が酷かったといいますから、さすがにそんな余裕がなかったのでしょう。実は、S20年の戦時下でも結構な数の男の人が、本土に残っていたようです。S20の3~8月の妊娠数が少ない→10ヶ月ほどのタイムラグ→S21年の1月~6月の出生数の低下になりますね。S20年の赤ちゃんの低下が少ないのはその前の比較的安定していたS19年の妊娠によるものと考えれば納得できます。その後のベビーブームが帰還兵によってもたらされたものと考えたほうが自然かと思います。
お礼
回答ありがとうございます!
- phantom1
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大都市などで本格的に飢えや物資不足が問題になったのは、実は戦時中よりも、敗戦直後の時期です。敗戦の混乱によって物流機能が麻痺したからで、寧ろ統制が機能していた戦時中よりも深刻な状態だったようです。この事が関係しているのではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 NO6の方の回答で解決したのですが このことも大きな理由になっているようですね。 参考になりました。
- pixis
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戦争終わったからってすぐに兵隊さんたちが帰ってくるわけのもんでもないです。 終戦が8月、兵隊さんたちは戦地で終戦を迎えますが、すぐに全員が帰ってくるわけではありません。もちろんすぐに帰れた人もいたでしょう、しかし、東京は焼け野が原、日本中が食べるものももなく 生きることで精一杯。 兵隊さんの帰還は徐々に行われ長期間にわたってます。 ベビーが生まれるまでには10ヶ月ほどかかります。 22年、23年が多いということは だいたい21年の6月以降におなかにできたあかちゃんですから 終戦後、半年から1年は兵隊さんも帰還中で男の人も少なく、 国内もそれどころの話じゃないくらい混乱期だったのではいでしょうか。 終戦直後の写真や映像をみるとその混乱振りは容易に想像がつきます。 そのころ食べ物がほぼなかったわけで、とにかく「生き延びる」ということに主眼をおいてますから赤ちゃんを作るなんて考えられなかったんでしょう。 こうして、パソコンなどでやり取りできる環境下にいるわれわれには わかりにくいと思いますが、人間極限まで貧乏になると(現代では食べることができない状況)、私は男ですが、女なんか二の次で、そんなのどうだっていいからまずは食べること(現代では稼ぐこと)を最優先にするんじゃないでしょうか・・。 単純に言えば、 終戦直後はまだ男の数もそろっておらず、 混乱期でもあったため、赤ちゃん作りはできない状況だったということですね。
お礼
NO.1さんのお礼にも書いたのですが男の数が少ないという理由については その前年の数字が高いことからも考えにくいと思っています。 終戦直後の混乱期だったからという理由は考えていなかったので参考になりました。 物価が上昇し戦時中よりも食べ物に困っていたという話を聞いたことがありますし 昭和20年だけにピンポイントに起こったこととして納得できます。 それが理由のような気がしてきました! 回答ありがとうございます!
- code1134
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(空襲を避けるべく)都市部から地方へ疎開した世帯もある訳ですし、中には母方なり父方なりと、一家が分かれて租界も有得たと思うのです。 1組のカップルがバラバラになっては子の誕生は願うべくもありませんし、都市部に留まった世帯にしても愛の営みどころではない、と解すのが自然でしょう。 http://ono-world.com/nen2/1944.html
お礼
回答ありがとうございます。 確かに一家が別れていたのかも知れませんね。 戦争が最も激しかったのは昭和20年の前半でしょうし納得できます。 しかし夫婦で分かれて疎開したといった話はあまり聞きませんし 十万人単位での減少の理由として妥当なのだろうかとも思います。 あとこのリンクによると疎開が44年に増えたようですが それだと45年の出生数があまり減っていないことと合わないような気がしますね・・・
- rioworks
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父親が戦地から『復員』して来るまでの期間があります。(+妊娠から出産まで約10ヶ月) Wikipedia:団塊の世代 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A3%E5%A1%8A%E3%81%AE%E4%B8%96%E4%BB%A3
補足
回答ありがとうございます。 しかし「父親がまだ帰っていなかった」ということなら 戦争中にも赤ちゃんの出生は減っているのではないでしょうか?
お礼
なるほど・・・ 確かに昭和36年3月に中学校を卒業するのは昭和20年生まれですね。 昭和20年に0歳だった人間が少ないのは戦争の激化や戦後の混乱により そもそもの出生数が少ないことと生き延びれなかったことが原因でしょうか。 納得できました。 こんな根本的なことに気付かないとは・・・(;一_一) ありがとうございました!