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大正時代に横浜市で星がたくさん見えましたか?

大正時代に書かれたフェリス和英女学校(今のフェリス女学院)の関係者の手記を読んでいるのですが、星がたくさん見えた夜について書いてあります。 大正時代に、フェリス和英女学校(フェリス女学院)があった横浜市のような大都市で、星がたくさん見える夜があったのですか? 現在は横浜市では、夜空には星はあまり多く見えないですが、大正時代には星がたくさん見えたのでしょうか。

みんなの回答

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (6878/20342)
回答No.6

はい見えました。 明治43年には ハレー彗星も見えました。

回答No.5

関東大震災のあとは、夜空が暗くて良く見えたでしょう

noname#240330
noname#240330
回答No.4

昭和30年前後までは、横浜東京などの、現在の大都市でも十分に星が見えました。 オリオン、北斗七星などの有名な星座が見えたばかりでなく、天の川は日本中どこでも白い帯に見えました。

回答No.3

どこでも見れましたよ。 今のようにネオンもありませんし。 ただガス灯などがある場所なら見えなかったかも? 今でも東京でさえ、ネオンやビルの照明を全て消せば、星空は見えますよ。 星よりも下のほうが明るいから星が見えないだけですから。

回答No.2

>大正時代に、フェリス和英女学校(フェリス女学院)があった横浜市のような大都市で、星がたくさん見える夜があったのですか? あったであろうと考えられます。 現在の横浜市は大都会ですが幕末に開港されるまでは鄙びた漁村でした。 開港に伴い外国人の居留地やホテルなどが建てられ汐留から線路が引かれて列車が走るようになって人々が沢山暮らすようになりました 現在の横浜市の人口は約370万人ですが大正時代は約45万人、つまり今の十分の一程度だっただったと言われています。 参考 人口と世帯数の推移 横浜市 http://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/yokohamashi/tokei-chosa/po... 個人の家庭に電灯が普及したのは大正10年代と言われていますが現在のような街灯はありませんでした 社会の変化と都市照明 - J-Stage http://www.jstage.jst.go.jp/article/ieejjournal1994/122/12/122_12_8... 抜粋 1915年(大 正4年)に 屋外 点灯 用の照 明器 具が発 売 され各所 で街灯 として使 われていたが,現 在の ような街路照明が建設 されたの は1921年(大 正10年)に 新橋 ・京橋 間に丸型 グローブの2灯 用街灯が148基 設置 された ものが最初 と思 われ る。 その後,大 正 の末 まで に全国 の大都市 に街路灯 は設置 されてい るが,歩 行者 のための灯 りで あって道路 の照明 には至 っていない。 上記URLからしますと暮らしている人が少ない上に街灯がありませんでしたので一歩外へでると街全体が暗かったということです。 星が沢山見えるためには周りが暗い必用があります。 こういう意味からすれば大正時代の横浜の街は星が沢山見える条件を満たしていたことになります。 星がよく見える為には空気が澄んでいる必用があります。 人が日常的に暮らしている場所で一番空気を汚しているのが自動車の排気ガスです。 現在国内には8千万台前後の自動車があるとされていますが大正10年には3万台程度だったと言われています。 これからすれば横浜市内を走る自動車は極々僅かだったと思われます。 これだけでも大正時代の横浜の空気は今よりもはるかに澄んでいたと考えられます。 こういう意味からすれば大正時代の横浜の街は現在よりも星が沢山見える条件を満たしていたことになります。

noname#238995
noname#238995
回答No.1

大正時代の横浜は大都市ではありません。 星は見えたはずです。

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