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楽しかったりうれしい気分になることがこわい

10年来のうつ病です。 最近になって気がついたことがあるのですが、どうやら私は、「楽しんだ後落ちこむ」ようです。 「誰かと会った後、その場が楽しかったりうれしかったりすると後で悲しくなる」。 楽しい、たってしれてますよ。たった1時間でも、会話の中で笑ったりするだけでもう罪悪感です。 これ一体どうしたらいいんでしょう。どうりで人と親しくなることを避けてきたんだ、って最近になって やっと気がつきました。人と過ごす時間を楽しむ、ことは特別なごほうびで、自分にはそれを受取る 資格がない、それに該当する人間ではない、と感じていることに気がついたんです。 おかげでひとりで楽しむ分には充実しています。趣味は多いです。でも全部個人で完結できるもの。 家族といても(夫、男の子3人)楽しめません。どこかにでかけても、私だけ憂鬱にしています。 鬱の原因はこれではないでしょうか。楽しいことは罪悪と感じるくせが・・・。 これから私はどうしたらいいんでしょう。この考えのくせはなおるでしょうか。

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  • motokiohb
  • ベストアンサー率24% (14/57)
回答No.2

こんばんは。「楽しかったりうれしい気分になることがこわい」ということですが、miko-cchiさんは、その理由として、「自分にはそれを受取る資格がない、それに該当する人間ではない」とされているようですが、ぼくはそれは思い違いをされていると思いますよ。多分、楽しい時がずっとつづいて欲しい、けど現実はそうもいかない、普段、つまり「楽しいときではない、いつもの時間に引き戻されること」が、怖いと感じるのではないですか?もしそうだとしたら今度は人から与えられる楽しさ、だけでなく、自分から楽しさを人に与えられるようにされたらいかがでしょうか。人を楽しくさせることは、恐ろしく難しいことですが、でもやりがいのあることですので、うつな気分を感じている暇などなくなると思いますよ。受け身でない、積極的なmiko-cchiさんに期待しています。

miko-cchi
質問者

お礼

> もしそうだとしたら今度は人から与えられる楽しさ、だけでなく、 > 自分から楽しさを人に与えられるようにされたらいかがでしょうか。 私も最近「目の前にいる人と楽しくすごす、その人が居心地のよいように動く。」 と、落ちこみが来にくいのではないか、って思ってたところなんです。 私が考えていたのと同じお言葉をいただいたのでびっくりしました。 そうですよね、自分の内面ばかりに目が行くからこそ、落ちこんだりわがままに なったて身動きとれなくなるのですね。自分の身近にいる人たちに愛情をかけ、 心地よくすごしてもらえるように心がければ、なにか内側から満たされていくような 気がしてきました。お返事どうもありがとうございました。

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  • tomomaru
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回答No.4

私もあなたの様に「楽しい」と感じる分「悲しさ・寂しさ」を感じたことのある者です。私の場合は恋愛が原因だったので、あなたにあてはまるかわかりませんが、私の場合のお話をしますね。 彼女がいるとしっていて彼とつきあっていました。要は自分からなっとくして?二股の相手になってしまったのです。 当然、もともとの彼女には秘密なので、その子とデートもするわけです。 私とどんなにデートして楽しく過ごしても、来週はその子とデートするんだー。。。って思いになりました。 こんなことを思うようになると、楽しむから次が落ち込むのだ。。。いっそのこと楽しくない方がいいのかな?とかこの楽しいまま時間が止まればいい。と思っていました。 私が私自信の分析をするならば、「この先」「今後」に対する恐怖と不安からだったと思います。私の場合あきらかに、何が恐怖なのかわかっていましたので、それを取り除けば大丈夫だとわかっていましたから、よかったのですが・・・ 貴方にも何がしの「不安」とか「恐怖」があるのではないでしょうか? 例えばお友達であれば、「次回会うときは、もうこの人は私を友達と思ってくれないかもしれない」 家族であれば、「こんなに楽しいのに夫が実は浮気してる?病気で突然死?」とか「子供は明日交通事故にあって、私の前からいなくなるんじゃないか。。。」など。 何か不安があるから落ち込むのではないでしょうか? そして、10年来こういう考えをしていうると、考えに習慣性がでてきて「くせ」と 思ってしまうんでしょうね。。。 でもそんなのは「くせ」とは言わないと思いますよ。 貴方がそう思ってしまう根源を一度考えられてはいかがでしょうか?

miko-cchi
質問者

お礼

> 貴方にも何がしの「不安」とか「恐怖」があるのではないでしょうか? > 例えばお友達であれば、「次回会うときは、もうこの人は私を友達と思ってくれないかもしれない」 はい。長いうつ歴の間に、たくさん友達を失いました。なかでもたったひとり、その人には 心を開いていたつもりだったのですが、miko-cchiのことはとっくの昔に切り捨ててた、なんて 言われたときから、確かにこの不安感は強まっているようです。 > 貴方がそう思ってしまう根源を一度考えられてはいかがでしょうか? ありがとうございます。 これはね・・・考えて考えて考え抜きました。で結論は出ました。でもその後 自称アダルトチャイルドのようになってしまい、ますますドツボにはまった・・・・。 今はリハビリ期なのかもしれない。楽しいことを楽しめない、友人がまた離れていく かもれない不安感、このふたつを克服できれば、私の鬱傾向も改善されるかもしれません。 ★ご回答くださったみなさまへ。 みなさまの回答のおかげで、落ちつきました。 それに、書いてくださったことを実行していれば、今 後良くなっていけると先の不安がやわらぎました。 お礼が遅くなってしまいましたが、 たくさんのアドバイス、どうもありがとうございました。

noname#1499
noname#1499
回答No.3

大いに食べて、大いに笑い、大いに寝る、というのはとても体に良いし誰にでも許された行為です。楽しむという行為やそれに伴う楽しいという感情はPositiveなもので罪の意識を抱く必要などありません。 (1) >人と過ごす時間を楽しむ、ことは特別なごほうび 確かにそうかもしれませんね。そういう個々の経験の時間や空間は、宇宙(誕生から約180億年)の長い歴史の中でただ一点しか存在しないもの達ですから。だからこそ大事な経験でかけがえのないものなんでしょうね。例えば、1時間の会話の中で1回笑ったことはもう2度と繰り返さないわけで、次に笑う時は違う時間(時刻)で笑うということになりますね。その2回目の笑いももう2度とは繰り返さないわけで、そしてまた次の笑いへと続いていきますね。要するに、一つ一つの笑いは何でもないような行為なんですが、もう2度と繰り返すことはできないという意味でかけがえのないもので宝石のように神秘的なものなんだ、ということが言いたかったのですが、つたない文章なので分かりにくいかもしれません。。あるいはここの笑いという単語を楽しむという言葉に置き換えても同じことが言えます。みんなが楽しんでいるというのは宇宙の時間と空間からすると極めて特殊な一点で、そのときくらいは大いに笑って結構じゃないでしょうか? (2) >人と過ごす時間を楽しむ、ことは特別なごほうび これは楽しむという行為が自分に与えられるものだと思っていますね。確かにそういう側面もありますが、楽しみを(人に)与えるというふうに考えるとよいかも知れません。楽しみって与えられるものじゃなくて自分で作るものなんだ、その過程や結果として自分も楽しむのだという風に考えてみてはいかがでしょうか。または、楽しむ時間や空間を貴方だけ孤立系にしてしまわないで共有して開放系にしてみればどうでしょうか? あれこれ思考をめぐらしていくうちに思考のパターンってはまってしまうことがあります。そういうときは、抽象単語をノートに並べて原因と結果を矢印で明示してみたり、他の言語で書くと非常に明瞭な感じがします。例えば今の場合、 ・楽しむ→enjoy ・enjoy:give→makeするもの ・closed→他者とのspaceやtimeの共有

miko-cchi
質問者

お礼

人に楽しみを与える・・・どうやらこれで解決しそうです。 笑った後、罪悪感・・・というのはすぐには治らないかと思いますが、 罪悪感を感じるヒマがないくらいに、他人に楽しみを与えることを 考えるといいのですね。 ただ、ここでひとつ気になることがあって・・・。以前の私は、自分をなによりも 殺して人のために尽くす、という人生を歩んできてました。それも極端ですよね。 何事も度が過ぎるとよくないということで、昔の自分と今の自分、の間で ちょうどよい場所を見つけたいと思います。ありがとうございました。

  • aruberihi
  • ベストアンサー率27% (23/84)
回答No.1

心の問題というのは些細なことに見えてもなかなかどうして難しいものですね ああすれば良いのにと分かっていてもどうにもならないのですから(;-;) と閑話休題 資格がないのですか…… 何を持って「資格」を規定しているのか分かりませんが 多分、自分の中で足りていない何かを感じているのではないでしょうか? 「自分には足りないものがある」→「自分には資格がない」 とこのような思考になっているのでしょうか? それならば、「足りる」ように努力してはどうでしょう? 習い事するとか、自分に足りない部分を補うように行動するとよいかも知れません (といっても鬱病だと、やる気が起きないんだよな(T-T)) もしくは 「自分は回りの役にたっていない」→「自分には資格がない」 という思考なのでしょうか? その場合、「誰かのために何か良いことをしよう」と常に自分に課題を課してみてはどうでしょう? 日常の些細なことで良いと思います。 今日はいつもは作らない夫の好物の料理を作ろう。 とかでもずいぶん違うのではないでしょうか? どちらにせよ、常に何かをしている状態に自分を置いて、自分自身に「資格」を与えてあげればよいと思います。 それでは頑張って持ちなおしてくださいね(^^)

miko-cchi
質問者

お礼

足りない、ものを補うという感じではないです。たぶん。 それよりも、自分が愛されるに価しないような気がしてます。 楽しい=その人ともっと親しくなりたい=でも自分なんてダメだ・・・の思考で いつもまわってて、その自分なんてダメだ、を見せつけられないように、 人と親しくなることを避けてきたのかもしれません。 でも、昔からそうでしたが、もっと自分は自分!とほこれるなにか、 またはほこれなくたって、これが私・・・と思えるようになれば、 きっと状況が変ってくるのだろうな・・・。自分自身に「資格」を与えられる ように、今後は努力してみたいと思います。ありがとうございました。

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