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古典文学の教訓:節度を持ちましょう!
- 古典文学の一節を教訓調に訳す方法を教えてください。
- 古典文学の教え:節度を守りましょう。
- 古典文学の意味:自制心の重要性。
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質問者が選んだベストアンサー
いつもながら興味あるご質問をありがとうございます。 おかげで、癒しの「引き出し」に入る材料が増えます。といいますのも、ホラティウスは、名前を聞いたことがあるという程度でした。これでまた一つ哲文学の知見と、心酔できる詩人が増える予感がします。Epistles(ラテン語:Epistulae)が「書簡詩」という意味であることも初めて知りました。 お訳も見事ですね。 >拙訳:賢者から「愚者」の名が、聖者から「悪」の名が生まれる。美徳も、求めすぎたれば。 ⇒さすが、live in room13さん! 簡潔に要点を押えた、ほとんど「ビシッ!」と決まった翻訳文とお見受けいたしました。 それに対して、それほど「ビシッ!」とは決まりませんが、おこがましくもまたまたしゃしゃり出ました私の訳はこんな感じです。 私訳:「愚者」は賢者よりはみ出し、「不正」は正義よりはみ出す。美徳も、ほどほどに求めたればこそなれば。 >意味的には、まあ要するに、何事も「節度」を持ってね!って事だと思います。適度に真面目な人はいいのだけど、自称「正義漢」の正義の押し売りは、迷惑でしかないのは古今東西一緒のようです。 ⇒さすがのご慧眼。まさにご指摘のとおりと、共感しきりです。「正義漢」を押し売りしたがる者ほど鼻持ちならぬ輩はいませんな。それを自称すること自体が、すでに「いかに独断と偏見に満ちているか」を語っています。 上のホラティウスの詩句を味わいながら、私は即座に「中庸をもって最善とす」という名言を思い出しました。文献にもこうありました(《 》は筆者)。「ホラティウスの『書簡詩』は、「そのI」が前20年ごろに、「そのII」が同13年ごろに公表された(皇帝アウグストゥスに献じた)とされる。《中庸の徳をたたえた「I.1」をもって、彼の最大の傑作とする学者もある》」と。 確かに、実に実です! 「過ぎたるは及ばざるが如し」という金言もありますね。そこで、上の私訳に付け足しをさせていただこうかと思います。 私訳と付け足し:「愚者」は賢者より出でて、「不正」は正義より出ずる。美徳も、控え目に求めたればこそ美徳なり。― 過ぎたる美徳は、「不徳」というが如し。 ひところ、アメリカのaffirmative action「差別撤廃運動」が加熱して、short「チビ」は差別用語だからvertically handicapped「垂直方向に不自由」と言おうとした人が、「それは実にpolitically correct政治的に正しい!」と揶揄されたとか。 昭和の中ごろ、天皇陛下が阿波踊りの見物をされたとき、「踊る阿呆に見る阿呆」の後半の語句が「陛下に対して失礼に当たる」ということで、「見る阿呆」が削除されたとか…。 付け足しその2:過ぎたれば、時に、「お笑い」を誘う。 おっと、悪乗りが過ぎました。最後の「付け足しその2」はどうぞネグってください。
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- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
これは回答ではありませんが、質問者さんの役は、僕が逆立ちしても歯が立たない、優れた訳だと思います。感嘆に口を出す隙間がなかった言い訳です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 てっきり「神聖な学問カテでけしからん!」と思われているものと思っておりました。 そうじゃなくて良かったです。 英語で心に残る名文に出会いますと、どうしても日本語訳も考えてみたくなってしまうのですが、毎回「こんな訳じゃいやだ!」と自作の訳では満足できずに、こんな質問を繰り返しております。 そもそも翻訳とはどうあるべきなのか? そこからして分からないので、試行錯誤しとります。 以前ご回答でいただいた、「寅さん風訳」は今でも心に残っております。翻訳とはたとえ「ありがたい教訓」でも本来堅苦しさで権威的なものを示すものではなくて、日常の言葉のようでありながらそれでいて宝石のような輝きを失わない、こう言うものではないだろうかと思ったものでした。 >質問者さんの役は、僕が逆立ちしても歯が立たない、優れた訳だと思います。 いや、回答者さんが本気だすとすごいのは知っておりますから。それでもお褒めいただきありがとうございます。 では、今後とも宜しくお願い致します。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10005/12514)
「お礼コメント」をありがとうございました。 >今度はお勧めも教えてください。 ⇒お勧めとは違うかも知れませんので、ちょっと気が引けますが、いつも私の心にあって、事あるごとに思い出し、共感し、涙を誘われる先哲のことについて聞いてくださいますか。(→☆) >私はこの詩を読んだ時に、古い友人に会ったというよりも、新しい友を見つけたような気持でした。 ⇒なるほど、そう言われてみれば私も似たような感慨を抱きました。今回のご質問文のように、心底感銘を受け、共感できるような文言の作者ともなれば、この上ない「新友」で、ぜひ「親友」になりたいものですね!(先方から断られるかもしれませんが)。 >翻訳文を拝読して、初めて「こう訳したかったんだ!」と自分の気持ちに気が付きました。特に「美徳も、控え目に求めたればこそ美徳なり。」の箇所 ⇒お褒めに与り、ありがとうございます。痛み入ります。そうおっしゃるlive in room13さんこそ、「文章力がない」なんて大変なご謙遜。「拙訳」の行を見ても、他の方への回答を拝見しても、「なるほど、こういう意味なんだ。こう訳せばいいんだ!」と学ばせていただくことしばしばです! >今回もたくさん勉強になって本当に楽しかったです。 ⇒こちらこそ楽しませていただきました。一服の清涼剤でした。ある種のカタルシスさえ感じさせていただきました。どうもありがとうございました。 ☆わが心の先哲 以前ちょっと触れたG.ブルーノは、ガリレイより30余年も前に、それも地動説どころかそれを飛び越えた「宇宙無限論」(地球や太陽のような星は宇宙に無数あって、しかも無限に広がっている)を主張して捕らえられ、地下牢(dungeon) に幽閉され、宗教裁判にかけられて、所説の撤回を迫られるも頑として曲げず、その間7年も耐えていました。地下牢はベッドもトイレもない暗闇なので、普通は数週間ほどで死に至るところ、「しぶとく」生きていたので教会はしびれを切らして火刑に処したらしいのです。 足もとに炎が迫ってくる中、彼は泰然自若、周囲を見回して教会の「お偉いさん」方にこう言ったそうです。「皆さん、ビビッてますね。あなた方がなぜビビッているのか私は知っていますよ。それは、私が正しく、あなた方が間違っていることを、あなた方は先刻ご承知だからですよ」と。西暦1600年、日本では、時あたかも江戸時代が始まろうとしていた頃でした。近年、ローマ教会はガリレイに対する謝罪を公表しましたが、ブルーノに対する謝罪は聞いていません。私はこの忘れられた先哲の非業の死を悼み、史上最大の英雄として衷心より共感し、崇敬する次第です。
お礼
再度のご回答ありがとうございます。 以前ご回答いただいた時にもG.ブルーノには、非常に興味を抱きいつか著作を読んでみたいと思っていました。 昔の教会や君主や統治する封建社会から、現代の民主主義にはなりましたものの、現在でも職場などで「何でこんな風習があるんだろう?」と思わざる得ない無意味な風習があって、ちょっとでも意見すると「なんでガマンできないんだ?」とか「それも仕事の内でしょ!」とか言われて「どうして皆こんなだれも得しない、不毛な事を何の疑問も持たずに続けられるんだろう?」と思う事もあります。 それでも、私の不満は、教会が絶対的権力を握っていたG.ブルーノの時代に比べれば大した事ないので命をかけて抗議する事はありませんが、おかしい物はおかしいと言って戦っていった人には感銘を受けます。 >近年、ローマ教会はガリレイに対する謝罪を公表しましたが、 >ブルーノに対する謝罪は聞いていません。 まだ「にわか」なのでウィキペディアの知識ですが、一応教会は処刑判決は不当だったと1979年に異端判決を取り消したそうです。 時代の先を行き過ぎた天才は皆苦労してますよね。 それでも、忘れ去られる事なく一応著作が残っているのはありがたい事です。 では、今後とも宜しくお願い致します。
- alterd
- ベストアンサー率23% (137/595)
「ビシッ!」とは決まりませんが 「美徳を求めすぎると、賢明さから狂気が、公正から不公正が生まれるものよ」 辺りでどうでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >「美徳を求めすぎると、賢明さから狂気が、公正から不公正が生まれるものよ」 言葉の最後を「~ものよ。」で締めくくる言い回し、実は大好きでした、時代劇ポクて。本で読んでも自分で使う事がない言い回しの為、翻訳の際出てきませんでした。 insaneに関しては私も、「狂気」や、「狂」、「気違い」と訳そうと当初していたのですが、 賢者から「狂」の名が、と自流で書いてみて「なんか変と」と思いまして「狂気」を使いたいけど、自分の文章力だと「狂気」が使いこなせなくて「愚者」にしました。 >賢明さから狂気が と言う訳で、使いこなせたらやっぱり「愚者」よりも「狂気」の方がいいですね! 過去質問から、相当な読書家とお見受けしますが、流石に読書量が多いと文章も上手になりますね! 御見それ致しました!
補足
回答者さんのようにBAを選ばないというのが実は正解だと最近思い始めているのですが、まだ決めかねているので、今回はBAを選びます。 ご回答いただいた時は、これはBAにするしかないと思ったのですが、#2さんの方が若干私好みでした。 もちろん、どちらかが優れているなどど言うことは本来できないわけで、ましてや文章力のない私がBAを選ぶと言うこと自体がおかしいわけですが、今回はすいません、今後とも宜しくお願い致します。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >これでまた一つ哲文学の知見と、心酔できる詩人が増える予感がします。 そう仰ってもらえると、嬉しいです。 回答者さんは、相当哲学書にお詳しそうですね。今度はお勧めも教えてください。 >Epistles(ラテン語:Epistulae)が「書簡詩」という意味であることも初めて知りました。 実は、私も、、、。 >それを自称すること自体が、すでに「いかに独断と偏見に満ちているか」を語っています。 全くその通りですね! >《中庸の徳をたたえた「I.1」をもって、彼の最大の傑作とする学者もある》 ご推察の通り そのIからの引用です。 中庸の徳なんて、下手すると中学生や高校生でも知ってそうな概念ですし、もちろんNakayさんも、とっくにご存じだと思います。 しかし不思議なものですね、私はこの詩を読んだ時に、古い友人に会ったというよりも、新しい友を見つけたような気持でした。 >「愚者」は賢者より出でて、「不正」は正義より出ずる。美徳も、控え目に求めたればこそ美徳なり。― 過ぎたる美徳は、「不徳」というが如し。 ご存じの通り、私は文章力がないので、名文を名文に訳せません。翻訳文を拝読して、初めて「こう訳したかったんだ!」と自分の気持ちに気が付きました。特に「美徳も、控え目に求めたればこそ美徳なり。」の箇所が、これほど文章としての美しさを保ちつつ簡潔に思いを伝える表現があろうとは思いませんでした。 >ひところ、アメリカのaffirmative action「差別撤廃運動」が加熱して、、、 中略 >昭和の中ごろ、天皇陛下が阿波踊りの見物をされたとき、 どちらも初耳でした。 まさに、『「愚者」は賢者より出でて、「不正」は正義より出ずる。』のいい例ですね。 過ぎたるは猶及ばざるが如しなんて誰でも知っている金言なのに、どういう訳かいつの時代でもやらかしちゃう人がいますよね。(私もたまにやらかしちゃう、、、人の事言えない、、、。) 不思議なものです。 今回もたくさん勉強になって本当に楽しかったです。 また今後ともよろしくお願い致します。