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健常者より障害者に優しく接すること

「健常者より障害者に優しく接するのは差別じゃなくて分別」と言ったら、「あなたの"健常者より障害者に優しく接するのは差別じゃなくて分別"という考えこそ差別じゃないの?健常者と障害者は同じ人間なのに、なんで?」と言われたのですが 健常者と障害者は同じ人間でも能力が違うんですから、健常者より障害者に優しく接するのは差別じゃなくて分別だと思いませんか?

みんなの回答

回答No.5

私は精神障害者です。 確かに同じ人間ですが、まったく同じに扱われると無理が生じます。 質問者様の考えは正しいと思います。 確かに分別という言葉が適切ではないかと思います。

  • nekosuke16
  • ベストアンサー率24% (903/3668)
回答No.4

「あなたの"健常者より障害者に優しく接するのは差別じゃなくて分別"という考えこそ差別じゃないの?」 その通りで分別という言葉など使うべきではないですね。 貴女の障害者に接する態度は間違いなく正しいし、そうした行動の背景にある優しさも感じることができますが、言葉の選び方がまずいですね。 「分別」。 たとえ、その意思はなくても、まるでゴミの分別を想像させる。 それに貴女の言動が本当の優しさから来るものならば、そこに必要なのは分別や差別ではなく、むしろ「分け隔てない」同じ目線。 もし、「健常者より障害者に優しく接するのは差別じゃなくて分別」を言い換えるなら「健常者より障害者に優しく接するのは差別じゃなくて当たり前(当然)」で十分だと思いますよ。

  • yumi0215
  • ベストアンサー率30% (1335/4411)
回答No.3

誰でも得手不得手があります。障碍の有無を意識している時点で差別をしているように感じてしまいます。分別という意味も理解が難しい。 障碍者だから優しくするのではなく、誰にでも優しく接するのが自然ではないでしょうか。 小さな子供に手を貸す、お年寄りに手を貸す、それと同じことではないかと。

回答No.2

でも健常者より能力のある障碍者もいます。 その障碍者が健常者より能力があるかもしれませんので 何故能力が違うと言い切れるのですか その言葉こそ差別だと思います。  

  • stss08n
  • ベストアンサー率16% (454/2764)
回答No.1

同感です”しかしながら総論では、その通りですが”拘り感情は、避けましょう。 言葉ボキャブラリーでは多少上下関係ニュアンス含みですから、微妙な事です。 ご明察”人間同士で”仮に”人権として、思いやり寧ろ感性では、思いやり優しさでしょう。・・・討論(デベィート)されるには、能わずな事なのでしょう。

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