私は誰かに好かれようとは一切、思いません。
“誰かに好かれる為に” “誰かに嫌われない様にする為に”真実を嘘に替える事が嫌だからです。
例えば一人で過ごす事が不安だからと群れる。
群れていればイヤな事があっても外れない為に他人に合わせ様とする。これがイヤなんですよね。
つまり逆に言えば“一人でも大丈夫”なんです。
現在、私の職場には総責任者一名、リーダー一名が居ますが共に“嫌われたくない”人なので職場内の統制は取れていず、規律も乱れた状態です。
責任者、リーダーは下々に対し様々な場面で指示を出したり、注意や教育をしたりするものです。
しかし彼等は誰かが間違った作業をしたり、ルールを守っていなかった際の注意や教育が出来ない。
だから皆が勝手な事をし出し統制と規律に結果として影響が出ている。
そうなると誰もが馬鹿にして彼等の言う事は聞かない。
上に立つ者は“嫌われてなんぼ”なんです。
誰かの顔色を伺い、誰からも嫌われない様にとしていては必ず何処かに皺寄せがくる。
親も同じだと思います。
子供に嫌われない様に接していては、まともな教育などできません。
私には娘が一人いますが“別に嫌われてもいいや”で、やってきました。
「親だ!」と威張れる程の立派な人間ではない事、そして何より私が死んだ事により彼女の人生に影響が出ては困るから。
長くなってしまいましたが。
“嫌われる勇気”とは、そういうものではないですか?!
言い替えれば“独りでも大丈夫”なのだと思います。
私は他人に余り興味がありません。
興味は無いけど多少の関心はあります。
助けが必要な際は助けます。
周囲の雰囲気(空気)にも過敏に察知してしまうので人間関係のイザコザや仕事でのトラブルが発生すると逸早く首を突っ込んでしまいます。
誰かに媚びたりするのは苦手ですね。
媚びて好いてもらうより“有りのまま”を見て判断してもらいたい…かな。
好いてくれる人も居ます。
勿論、嫌う人も居ます。
でもそれは私にとって賛否両論と同じなんです。
だからと言って私には余り関心が無い事なんです。
こんな感じですよ。
何となく、どういう意味か分かりましたか?
ですから個性とか協調性は別問題ですよ。
自分にある程度の自信があるのかな。
そして“あなたはあなた、私は私”と言う他人との切り分けが強いのかな。
お礼
貴重なご回答、有り難う御座いました。