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スポーツ暴力について

 スポーツの暴力問題など話題ですが、よく考えたら、例えばジムのトレーニングに行って、個人的指導などで暴力的指導があったら、二度と行くかというか、訴訟になると思いますが、クラブチームなどでの指導的暴力がまだ親御さんが仕方ないと我慢できてしまう心理とは、慣れの怖さでしょうか?  傷を受ける事への慣れの怖さをちょっと感じます。どう思われますか?

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  • eroero4649
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回答No.3

体育会系というか、そういう集団の暴力性っていうのは万国共通なんですよ。 「欧米ではあんなことはあり得ない」っていう人は多いのですが、実はアメリカでもアメフトに関してはそういういじめや体罰が横行していて、それに耐えられないと「根性がないやつ」といわれてしまいます。 軍隊のいじめは世界中にあって、例えばアメリカ海軍では、初めて航海に出た士官候補生たちは「生ゴミ早食い競争」をすることを強要されます。これは昔からのアメリカ海軍の伝統だそうで、どうしても嫌なら断ることもできますが、それをすると一生「アイツは早食い競争をしなかった腰抜けだ」と上官からも部下からもいわれることになるそうです。 私が最初に就職した会社もそういう体育会系を超えて軍隊系のノリの会社で、私も酒に弱いのに先輩たちの前でビールの一気飲みをやらされましたよ。あの当時はね、それをやったら「根性があるやつだ」と認められ、断ったらヘタレとバカにされたのでやるしかなかったのです。さすがにもう今はそんなバカなことはやっていないと思いますけどね。会社の応援団(スポーツチームが複数あったので、応援団がありました。大変厳しいことで有名でした)に入っていたら将来出世は確実みたいなのもありましたね。会社への忠誠心が最重要事項で、仕事の実績が関係ないっていうね・笑。 暴力への慣れの怖さというのは、あると思います。私の父親はDV親父だったのですが、ちょうど私が子供のときに「戸塚ヨットスクール」が話題になりまして、その様子をレポートした番組を見ながら「なんだ。こんなの全然楽じゃねえか」って思っていましたからね・笑。当時はあまりに日常的にビンタを喰らっていたので、ビンタがもう暴力に感じなくなっていましたね。 たぶんそのせいだと思うのですが、私、今でもケツにキックを入れるのと、頭を平手で叩くのは暴力だと思っていないです・笑。「身体的ダメージがほとんどないから、それは暴力に入らない」って。ビンタはね、耳に入ると耳がキーンてなるから、それはちょっとよろしくない。グーもダメージ大きいからダメ。 アーティスティック(シンクロナイズド)スイミングの井村コーチが有名ですが、ああいう厳しいことをやらないとトップクラスにはなれないというのもまたあるのですよね。 スポーツ以外でも、例えば舞台の演出とかお笑いの演出なんてとてつもなく厳しかったりしますからね。「そんなこともできない役者は要らないから、役者なんてやめちまえ!」なんてね。料理人の世界も道場六三郎クラスを目指すなら泣きたいほどキツいです。一流を目指すなら、どんな分野でも厳しくなります。世間一般ではだいたい二流か三流止まりだからそこまで厳しくしなくても通用するのです。

nobound
質問者

お礼

 細かく詳しくありがとうございます。  体育会系とはつまり軍隊系ということなのでしょうか。  個人的には、中学の部活動でうさぎ跳びや腕立ての罰則はありましたが、平手打ち的暴力はなかったと思います。  今回質問したのは、個人的には殴り合いのけんかなどは怖いんですが、指導者に殴られることは我慢できそうなのは何故なんだろうとちょっと疑問に感じたからです。  高い目標があれば我慢できるのでしょうか?

その他の回答 (5)

  • sayoyou
  • ベストアンサー率32% (16/50)
回答No.6

メディアが「誰かを叩くことを目的に報道」を行い、実質的な問題が議論されていないからでしょう。 だから多くの人は何が問題で何を正そうとしているのか、あるいは何を目指して動いているのかが、世間でほとんど理解されていないのですね。 世間の多くの人は「あいつはセクハラをした悪いやつだから制裁を受けるべき」「あいつはパワハラをした悪いやつだから制裁を受けるべき」「あいつは暴力を振るった悪いやつだから制裁を受けるべき」という調子で「ムカつくヤツを懲罰を与えよ」という意向で動いている状態ですね。 学校の教員による暴力的指導の問題でも同じですが、指導効果があるかないかでいうと「ある」のです。暴力で教育は行なえませんが、暴力的指導には何かを止めることには極めて大きな効果があります。そして何より指導を受ける側も指導をする側も解りやすい。だから軍隊では今でも暴力的指導は続いています。 暴力的指導の最大の問題は「確率としては低いが致命傷を負う人」がごくまれにだがいるという事なんですね。また第三者から見て暴力と指導の区別がつかない場合も多いということなどもあるでしょう。 しかし日本のメディアの報道は「誰かを叩くことを目的に報道」を行い、実質的な問題が何一つ議論されていないから、ただただ「悪者は誰だ~」っていうことの繰り返しになっているのですね。 また社会的には「暴力的指導を排除しましょう」という暗黙の合意がメディアを中心に行われているのですね。問題なのは「暗黙の合意」であって、どこか漠然としているのですね。 公園の遊具がただただ無くなって行った「公園の遊具問題」とも似ていますね。公園で事故が起こり責任問題になって公務員が「責任を負いたくない」という理由だけで、ただただ公園の遊具を撤去し続けたことと似て、本来行うべきことは行われず、表面的な問題だけの対処を行うという事態ですね。「事故が起こらないように遊具を工夫する」ことが重要であるのですが、撤去の動機が「責任を負いたくないから」となってしまうことで、ただただ全国の公園から遊具が消えていくという結果を作ってしまったという事態ですね。 学校では暴力的指導が悪事と見なされるようになって、変な指導方法を行う教員も増えているようですよ。 問題行動があった生徒を指導するためと、心理的に誘導するために生徒をひたすらカメラで撮り続けるなんてことやっている教員もいたりしますよ。洗脳的な手法で超気味が悪いですけど、それは合法なんですね。

nobound
質問者

お礼

 そうですね。指導効果がある暴力は、パワハラよりはスパルタに近い感じはしますが、時代的に一緒になっているようです。パワハラとは、いわゆるブラックなイジメだと思います。  なるほど、社会も本質的問題には触れず、公園遊具で事故があると、遊具撤去することに似ていると。まあ第三者委員会が究明はしているようですが。  あとはアメフトのように、いざ選手が訴えると意外と指導者もしどろもどろになったりします。  塚原さんのように世論の流れに負けず、自分の言い分を通すのもありかもしれません。ありがとうございました。

  • iwashi01
  • ベストアンサー率17% (187/1051)
回答No.5

親が仕方ないと我慢する心理としては、 慣れではなく、その暴力を我慢してでもほしい結果があるのでは? 暴力指導者でも、成績をあげてくれればその方が重要、と期待しているのでしょう。 個人のジム通いで、暴力を我慢したところで何のメリットもなければ 2度と行くか、となるわけですが 個人でも何か大会とか賞を目指していて、暴力指導者の指導を受けた人が実績を残している、ということでもあれば、我慢するのかもしれません。

nobound
質問者

お礼

 そうですね。この子のためということはあるかもしれません。まあ歯止めが効かないくらい続々と問題が出てきますが、もしかしたら家父長的父親像と重なるかもしれません。いわゆる怖い父親?やはりパワハラよりはスパルタに近い感じはします。  ありがとうございました。

noname#233869
noname#233869
回答No.4

専属コーチから日常的に殴られることを我慢できてる選手だって、同僚に殴られたら怒るんじゃないですかね。 なので別に「暴力自体に慣れている」わけじゃないと思う。

nobound
質問者

お礼

 そういうことですね。  同僚の暴力は許せないけど、上司の暴力には慣れるというのは、親子関係の暴力の慣れからくるのかもしれません。ありがとうございました。

  • koncha108
  • ベストアンサー率49% (1313/2666)
回答No.2

指導者の暴力は許されない、と言う法律的、社会的、一般的な常識があります。でもその指導者や選手の親たちの世代はスポーツ漫画を見て育った人も多いでしょうが、暴力や鉄拳制裁は当たり前の様に出てきています。トップアスリートを目指していた指導者や親たちの中にも鉄拳制裁を受けて鍛えられたと思っている人も多いんじゃないかと思います。スポーツに限らず昔から親や教師による体罰はだめだとされてきましたが、一方で子供には正しいことを体で覚えさせるのが良いと言う考えも根強くあると思います。その中で世界一流のアスリートを短期間に育てないといけないと言う焦りと、別の方法で世界一流にすると言う手法を持ち合わせていなかったらついつい伝統的な体罰に手を出してしまうのはわからなくも無いし、親の世代もその伝統的な方法にある程度の理解もあるんだと思います。 もちろん、文句を言ったら指導を受けられなくなると言うこともあるでしょうが、それとは別に世界一流になるためには通るべき道だと言う意識があるのかも知れないです。 女子体操の宮川選手に対する速水コーチの暴力がどう言うものだったのかわかりませんが、宮川選手の認識では危険な技の練習の時に、気を抜いていると重大なつながりかねず、そう言う時に体罰を受けたと言っています。体罰が良いわけではないでしょうが普通じゃない方法で本人がいつの間にか気を抜いてしまっているのを瞬時に直す方法が必要だったのかも知れません。 傷を受けるかどうかは、コーチがどう言う種類の暴力を振るうかによると思います。選手の親御さんの世代よりも更に上の私の世代には熱血教師と呼ばれる暴力教師がいました。今だったら免職させられそうだけど、親からも生徒からも人気がありました。でもどうやら体罰をするときにはそれなりに影響が出ないように気をつけていましたよ。平手打ちにしても耳が聞こえなくなるような位置には打たないし、血がでたり骨折するようなことはしなかった。 詳細やどれくらいひどかったのかは本人や周りのひとしかわかりません。 体操協会では5年前に暴力撲滅の申し合わせをしたそうです。だからいくら伝統的なやり方でももはや許されないことは速水コーチも知っていたはずで、その点情状酌量の余地は少ないでしょう。でもパワハラで選手に言うことを聞かせることと比べてどっちが陰湿かと言えばパワハラでしょうね。

nobound
質問者

お礼

 そういえば蜷川幸雄舞台演出家の愛のムチや、日野皓正さんのビンタなども、話題になりましたが、星一徹的教育が当たり前だったかもしれません。  まあ、スパルタとパワハラの区別も難しいですね。ありがとうございました。

  • Dr_Hyper
  • ベストアンサー率41% (2483/6032)
回答No.1

そうかも知れないですが,これまでの例を見ればあきらかですが そこに入るまでの困難さと,その人の指導をうけることのメリットから,それぐらいは我慢すべきと本人,保護者共に思うのでは無いですか? 栄光への近道ではないですが,エリートコースを歩むために通らないと行けないところ。スポーツジムなどどこでもいいし,その先は締まった体程度の栄光しかありませんけど,日大にしても,体操クラブにしても,そこで全うできれば得られるものは相当大きなものになります。 日大程度・・・・と思われるかも知れませんが,日本代表に呼ばれるような人がいるなかでのレギュラーは,その先のことまで勝手に決まってくれます。 同じ学力では絶対に手に入れられない栄光や将来。一方そこにたどり着くまでに,あるいみ指導という辛い出来事。その天秤ですよね。 慣れではないですよ絶対に。 あえて言えば苦痛のあとに得られる倍増した筋力と同じ感覚で,酷い叱責や暴力に耐えたれるメンタルが極限の状態での平常の力を出せる精神を作るといった,無理矢理の思い込みかも知れません。

nobound
質問者

お礼

 ありがとうございます。  なるほど、スパルタ教育に近いんでしょうか?  スパルター古代ギリシャのポリスで行われていた教育   日本では、戸塚ヨットスクールが有名です。  スパルタ教育でも、暴力はどうなのかなと思います。世界を目指す人はたいていスパルタ教育を受けている気もしますが。

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