- 締切済み
大学院へ行った理由
- 500万円以上の学費を払って大学院に進学する意味はあるのか
- 22歳前後で難しい意味のある研究をするのは本当に難しい
- 大学院に行った人の経験や研究について聴きたい
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
みんなの回答
- potatorooms
- ベストアンサー率28% (3506/12498)
就活に失敗したので、院に行きました。 学費は、自分で稼ぎました。 研究は二の次だったので、月10万円以上稼いでいましたし、家賃1万円以下のところに住んでたので、やってけました。 同期が要らないとした研究テーマを一手に引き受けて、10位のテーマを片っ端からやりました。 もともと研究というか実験が好きだったので、楽しかったですよ。 教科書にないことを実験で確認していくというのは、院でなければできないことです。 ただ、学部の時と合わせて3年もやると飽きましたし、24時間研究のことを考えている同期たちにはかなわないことがわかりましたから、ムダな時間だったといえばそうなのかもしれません。
- hue2011
- ベストアンサー率38% (2801/7250)
話の流れが不自然です。 あなたは大学院受験を失敗した、とすれば、大学院に行きたいという動機や気持ちは存在していたはずですね。なぜ他人にそれを訊くのでしょうか。 それが何かきれいごとだとか自慢目当てだとしても動機はあったんでしょう。そして実際に学費もかかるということを承知して応募したんじゃないんですか。 さて言いますけど「大学院受験を落ちた」という表現を私は聞いたことがありません。実際にそういうことが起きるとは思っていないからです。 教授に相談して、教授が自分が受け入れてかまわない学生だと思ったら、受験なんていうのは儀式にすぎないのでほとんど無試験に近い状態で受け入れてくれるはずです。ちょっとそれは無理とか君は向いていないならその旨当人に通告しますので、受験する必要もないはずなのです。 だから浪人して再受験という発想自体も驚きで、そんなことが成り立つわけがないからです。同じ教授が来年はウェルカムになるはずがない。 そもそもあなたが何を考えて大学院に行きたいと思ったかが重要であって、それをおざなりにして他人に意見を訊くというのはおかしいんじゃないでしょうか。
おおむかしの話になりますが,「おれは,やくざな世界(大学)でしか生きられないだろう。それには学位が必要だ」と考えました。大学院進学率を調べたら,理学部がいちばん高く約半数だとわかりました。これが当時の日本でも最高値だったはずです。 大学院進学は肥溜めに飛び込むようなもので,指導なんかなにも受けませんでした。「極わずかの天才」ではなかったぼくは,同期のなかでビリの汚名を着つつ,ほとんどクソの中に沈んでたんじゃないですかね(笑)。 なお,親に大学院進学の話をしたら,「ふうん。勝手にしていいよ」(すぐ働いて金を入れてもらわなきゃいかんほど,うちは貧乏してないよ)。だから,奨学金とアルバイトだけで通いました。授業料の督促状は在学中に2回もらったと覚えますが,記念にとっておけばよかった(笑)。 時代は変わりましたね。進学率もアホみたいに高くなり,文科省のアホは「アホでも規定年限だけ勉強すれば学位がとれる」と錯覚しているようです。あなたは,そのアホにも入れてもらえなかったわけだから,進学はあきらめたほうがいいと思います。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
なぜ大学院へ行ったのですか? 奨学金をもらったからです。ただより安い物はなかったので
- Dr_Hyper
- ベストアンサー率41% (2483/6032)
大学院にいって,学位をとることが人生の目標にはなり得ません。 欧米では特にそうですが,学位を採るのは資格を取ることであって,素晴らしい研究をするのは,学位を採った後のことです。確かに学位をとると,アメリカでの経験ですが扱いがワンランク変わります。銀行の扱いや医者の態度も学位を持っていると世間話で離した瞬間に一変します。日本ではあまり重宝されませんが外国では博士などの学位はとっても重要な資格の一つです。 日本は昔から大学院生が素晴らしい研究成果を残しそれを発表することで研究立国にしてきた経緯がありますので,大学院でも世界の先端研究をするべきではありますが,それでもそれは教授の掌のなかで踊っている,それを指導とよびますが,その状態です。その経験を経て自分で研究できるようにトレーニングをうけて,はじめて一人前です。(まあそれでも殆どできないのと同じで,その後,どうやって研究費をとるのか,どうやって発表して,どうやって研究室を運営していくのか)そのさきドンドン学ぶべき事が増えていきます。 当然ながら修士で就職する子も沢山いますし,学部では学べなかったもう少し専門的なことを教えて貰う。という意味ではすごく意味のあることですが,教員の立場から言えば,ちゃんと研究をしてもらわなければこまりますが,それでもまだその2年は研究の職場体験に少し厳しさが加えられた程度です。会社の人事の人も大学院から東大です。といっても結局は学部の大学のレベルで相手をまずみると言われています。 そうゆう意味で,あまり期待をしない。一方で一旦始めれば甘く見ないことでもあります。 他の同じ年齢のひとが,それこそ敬語の使い方から社会の一般常識からを徹底的に教え込まれているときに,どうしようっかな。来年もうけたほうがいいのかな?と言っているのがいかに自分の人生における人間性の成長にリスクを背負っているのか。それを引き替えにしても自分は研究について学びたい。と思わないなら行かなくてもいいと思いますよ。逆に言えば,世界に認められる資格である 博士,学位というものは,世界を目指せるものであるのも事実です。 結局はやる気次第であり,自分が歩みを止めればそれで止まってしまう世界に足を踏み入れると言うことでもあります。