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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日航123便墜落事故の怪文書が回っているけどどこま)

日航123便墜落事故の怪文書の真相は?

このQ&Aのポイント
  • 日航123便墜落事故に関する怪文書が回り、その信憑性について疑問が出ています。
  • 怪文書によれば、日航123便を後を追っかけていた自衛隊のファントム機と米軍の存在が指摘されています。
  • また墜落直後に米軍が情報を日本政府に伝えていたとも言われていますが、実際のところは不明です。警察の捜査も一部不備があったようで、これらの点から陰謀説が囁かれています。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.5

だいぶ昔に 海上自衛隊の練習護衛艦から発射された無人標的機のファイアービーと衝突してその蛍光オレンジ色塗膜が日航123便に付着していた?という創作物語のさらに劣化版です。 当時のF4EJファントムは対ソ連邦機スクランブルでもミサイル不搭載の丸腰で、曳光弾20mm機関砲銃弾のみ。ミサイル実弾発射訓練はわざわざアメリカ本土!まで出向いて行ってました。 それから現行F15Jに至るまで短射程赤外線ホーミングサイドワインダーもレーダー誘導スパローも実弾ならばAFグレー1色、発射不能の訓練弾ブランクは青帯もしくは青塗装のみで 赤だか黄色だかの塗装?は先っぽにもケツにも全体にも施されておりません。 多少はミリタリー知識はあろうサブカル系森永氏が敢えて創作する事は無いでしょう。わざと隙だらけ弩素人妄想ブラフのバラ撒きスネークの無責任虚言(拡散中傷)目的です。

blackkigyou2017
質問者

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その他の回答 (4)

  • roadhead
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回答No.4

当時はアメリカ軍の方が早く対処していました。 当然墜落前からですよ。 それは日本もマスコミも把握していたことです。 しかし日本政府が自衛隊や警察で対処するとアメリカの協力を拒んだ事は当時問題視されましたね。 アメリカ軍のスクランブルの方が早く墜落地点の特定も早かったことは良く知られている事実です。 怪文書はそれを無理矢理ねじ曲げた荒唐無稽な文書です。

blackkigyou2017
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  • SPROCKETER
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回答No.3

 1985年当時、日航機123便の飛行ルートは米軍や自衛隊の演習訓練空域に近いので、国会で誤射ではないかと政治家が議論していたのは覚えていますが、そういう形跡は無かったようです。物証も発見されていませんし、目撃者もいないようです。  日航機123便の墜落事故で不審な点があるとすれば、事故機が墜落炎上した夜間に捜索隊を出さずに、翌朝から捜索を始めた点で、その間に死亡した犠牲者がかなりの数に上るようです。夜間救助する設備が不十分だった当時は二重遭難を恐れて、夜間救助を躊躇ったのが犠牲者の数を増やす結果に繋がったようですね。  当時は今のようにGPSなどの位置確認技術が無かったので、救助活動が難しく、4人の生存者が発見されたのでも手一杯だったようです。今の技術水準で当時の事故を揶揄するのは論外だと思います。

blackkigyou2017
質問者

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回答No.2

  噂好きには格好の餌ですね http://urano.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/812-c71f.html ここに回収された圧力隔壁の写真があるが、外部から力が加わった形跡は無い  

blackkigyou2017
質問者

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ありがとうございます

  • 441moe
  • ベストアンサー率16% (75/449)
回答No.1

事故当初から自衛隊機の関連が指摘されていますが、一切の資料ありません。あっても公表されていません。 全て想像です。

blackkigyou2017
質問者

お礼

ありがとうございます

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