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モデル、声優、イラストレーター、画家を見てすごいではなく、羨ましいという感情があります
- 同じ年代の成功を見ると羨ましく感じることがあるが、その感情の正体と原因は何なのか疑問に思っている。
- 自身の存在や意味について疑問を持ち、ごちゃごちゃした存在だと感じている。
- 過去の経験や欲望の達成の失敗が自分のアイデンティティに影響を与えているのではないかと思っている。
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質問者が選んだベストアンサー
あなたもセンスがある人なんだと思います。 だから、自分もそういうチャンスに恵まれていたら… とか、 ライバル的な感覚なのではないでしょうか。 自己表現欲求が強いのかと。 私は特に音楽と絵で、特に同性アーティストだと、見るのも聞くのも辛く、楽しめなくなりました。でも結局、就職して、結婚して、家族をもって、ごく普通の人になりました。 あの時、ずっと続けていたらどうなっていたかな。とは未だに思いますが、 年をとったこともあり、邦楽の同性をきいても、「今はこんなのが流行ってるのね」くらいになりました。 とても地味ですが、家族が一番大事になったので、だいぶ落ち着きました。 今は苦しいけど、年齢が解決すると思います。 悔しい思いも、悩むのもいいことだと思います。 やみくもに目をそむけるのはもったいないので、とにかく、頭で考えるより、真似をしてでもいいから、少しずつ表現活動することだと思います。 私は、上のレベルばかりを思い描き、それができませんでした。 続けることでオリジナリティがでるかと思います。評価はあとからきます。何もやらない人は評価されません。 回答になっているといいのですが。
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- okemama
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No.5です。本当に似ているので、再度回答です。 私も美術系大学で、子どもころも絵が得意でした。 今は全くやっていません。 美術系では将来がないと勝手に思って、やめてしまったのです。 でも、美人職人とかのTVの特集を見ると、続けることは大事だったよなー と思います。将来がないと決めるんじゃなかった。 センスはいろんな形で生かされます。 例えば、主婦でも、趣味でアクセサリーを作ったり、 写真でコラージュつくって売ったり、 今だと、インターネットで簡単に販売してちょっとしたお小遣い稼ぎから 作家になったりする人もいます。 そういった主婦をみて、「主婦がつくれるんだから、私も本気をだしたら、もっとかっこいいデザインが思いついて作れるかも。」とか思うこともありますが、 なんせ、そういう世界から退いてしまったので、センスのアンテナが劣化しました。空っぽです。 やはり続けている人にはかないません。 質問者様は表現のセンスがかなりあると思います。 かなりありすぎて完璧主義者なので、「高く評価されないのなら、むしろ一番下手くそ」みたいに、振り幅が大きくなってしまいませんか? また、あれもこれも器用にできてしまうこともあって、1つの表現活動に対し、あきらめ早くなってしまうのかもしれません。 認められるかどうかを気にしていると、楽しくないので続けられませんよね。 でも、美学に反するかもしれませんが、下手くそな人も続けていれば、周りが退いた後は一番になることもあります。 大人になって気づいたのは、直接的な職業にならなかったとしても、 センスは思いがけないところで活かされるということです。 今はライバルを見るのがつらくても、 次の表現活動の材料にするために、常にアンテナをたててセンスを収集しておきましょう。必ず役にたちます。 また、表現活動をしないとセンスは定着しないので、 辛いかもしれませんが、 簡単なところで、続けてみたらいかがでしょうか。 今までやったことがないところだったら、苦しまずにやれるかと思います。 お洋服のリメイクとか…。部屋の壁紙とか…。布で絵を描くとか…。 せっかく、人よりよいものをお持ちなので、 苦しいという理由で、活動をストップするのは、本当にもったいないです。 質問者さまのセンスが今後、どんな形に化けるかわかりませんよ。 楽しみにしています。 私も、その時々で理由をつけて、まったく制作をしていないので、 今年の年賀状づくりから、復帰してみようかなーと思いました。 高望みすると苦しくなるので、まずはボケ防止を目標にしようかな。
お礼
続けて回答ありがとうございます。 何かしらやりたい分野のことを続けてみようと思いました。 体験談も交えたお話、すごくためになりました。 ひとつ前の回答が心が動いたきっかけだと強く思うので、ひとつ前の回答をベストアンサーにしておきます。 でも解決すると思ったのは補足で追加で書いてくださった内容を見てです。 どちらの回答もとても参考になりました。ありがとうございます。
>この感情はなんなのでしょうか?なぜ生まれるのでしょうか? あなたは、自分の美しさ、才能、センスに気付いていてそれをどうやって 人にみとめさせようか、まだその方法がみつからないのでしょう。 醜いあひるの子が白鳥であったように、あせらず自分の花がさく時を まちましょう。 自分が開花することを自分で許してあげたらいいのです。親が許す 審査員が許す。そうではないです。 じぶんで そこに行き 扉を叩く。それが人生。それがチャンスという ものです。
お礼
回答ありがとうございます。 私にはどれが自己表現の手段なのかまだ見つからないのです。おっしゃるとおりです。 自分で決められる時を待ってみます。あせらずという言葉がとても響きました。
- マル技 必勝本(@maruwaza)
- ベストアンサー率21% (31/147)
>モデル、声優、イラストレーター、画家を見てすごいではなく、羨ましいという感情があります、例えばですが同年代のクラスメイトが成功していくのを指をかじりながら見ているような思いです。この感情はなんなのでしょうか?なぜ生まれるのでしょうか? 彼ら彼女らの作品を購入して自分のものにしても、何かしらの空虚さが残る。 なぜだろうか?それは、あやふやな自分と、はっきりし商品化された商品を比較するから。 >昔いじめられたり避けられたりして避けられたくないという気持ちが根本にあったり 多くの人は、いつも何かしらのリアクションがほしいと思って暮らしてます。むしろ、脳の機能として「思う」という意識以前の段階で、先々起こることを予測しながら生きています。 過去に「避けられた」という記憶があれば、避けられそうだと考えてしまったり、避けられないようにするにはどうすればいいかとか考えてしまうのは必然です。でも、それだけのことなんです。 もし、ほかの人と何か取り組まないといけないことがあってどうしても「避けられたらどうしよう」などと気が散る場合は、ほかに気になることを作ってその考えるためのスペースを埋めてしまえばいい。 比較対象になる人たちというのは、努力や試行錯誤の量が圧倒的に多くて家族を圧倒してしまったとか、そもそも家族がいないが商品化に際して業界の人たちを圧倒するような何かがあったとか。それだけの違いかもしれない。 自分が何かに取り組んでいれば、他の分野でうまく行っている人のことはあまり気にならなくなるかも。 何か自分が「他の人と較べて、たまたま、自然にできていること」があれば、それは他の人からしたら努力や試行錯誤のように見えるかもしれません。そういうことを探し出し、努力や試行錯誤により磨き、他の人にはない部分をオリジナルの良さとして出していくことを考えれば、質問文にあるようなお悩みは少しは軽くなるかも。オリジナリティを出すことは違いを指さされる。 日本の社会では違いを指さされると辛い気持ちになるものだという思い込みがありますが、そうじゃない。セールスポイントに相手が気がついてくれたと好意的にとって泰然としていれば、新しいの道が開けるものです。(そのセールスポイントがないと行けない場で新しい知り合いができるとか。例えば、スポーツの大会なんかは、スポーツが得意な人にとってそのような場だと思います) さて、それではどうすれば試行錯誤する時間をより増やせるか? (心理学とかでの説明がいろいろあるので、例えばこういったこと。 https://www.ted.com/talks/dan_pink_on_motivation?language=ja うまいやり方を参考にしてこの夏・秋に少し得意なことを伸ばすようにしてみるのもいいと思います)
お礼
回答ありがとうございます。 自分の得意な部分を伸ばせるといいということでしょうか! 褒められるなどほかの人より秀でていることが自分にもあると思い当たったので、その部分を伸ばそうと思いました。 世の中にはたくさん自分と違う思考の仕方があると気づいたのもあるし、得意な部分を伸ばす努力の為に心理学の動画も参考になりそうです。 最後の一文のお気遣いが読んで嬉しかったです。ありがとうございます。
お気持ち良くわかります。 自分もそうですね。 別に漫画家になろうとか、映画監督になろうとか、作家になろうとか、画家になろうとか思わないのに、いい作品に出会うと感動しながらも何故自分はこんな作品が生み出せないのかと激しく落ち込む事があります。 自分もなぜそんな感情が生まれるのか良くわからないですが、一種の向上心ではないでしょうかね? あるいは無い物ねだりなのかもしれません。 だとするなら…自分は欲張りだってってことになりますね。
お礼
同じような方がいて、安堵しました。 回答ありがとうございました。
まぁ、そりゃーモデルや声優、イラストレーター、画家なんかは、君が言う通り、「見ただけ」で「形(才能)」がハッキリ分かるもんだからね~。 あやふやで、自分がゴミみたいに見える君には、特に「羨ましい」と思う存在なんだろ。 さて、タイトルにもある「整理できない気持ちについて」だが、そもそも、君はなぜ、気持ちを整理しようとするんだね? 気持ちの整理がつけば、物事が上手く回るのか? 気持ちが整理出来れば、自分がどんな人間か分かると言うのかね? 今の君に取って、今の「あやふやな気持ちに整理を付ける」と言う事は、「負け」を認める事と一緒じゃないのかなー。 ちなみに、例えばの話。 君が落ちたと言うオーディションが何かは分からないが、もし、それに落ちずに受かっていたとしたら、君は自分をゴミだとは思わなかったのか? もし、家族が反対せず、君を応援してくれていたとしたら、君は自分を意味が無いとは思わなかったのか? 「自分の責任」を自覚する事は、「自分の存在」を自覚する事と一緒だよー? 君が、自分自身の存在を自覚出来ないと言うのなら、それは、君自身の責任も、自覚出来ていないと言う事だ。 「自分は前に進みたい」「自分自身の形を作りたい」と言う気持ちより、「誰かに反対されたり」「誰かに避けられたり」する事の方が嫌なら、そっちの気持ちを優先すればいいさ。 別に、悪い事でも何でもねーと思うしさ。 でも、そこに「自分の根本」を置くのなら、これから先の世の中に、もう自分の言い訳なんて通用すると思わない方がいい。 元より、君が羨ましがっているモデルや声優、イラストレーター、画家なんて、そういう言い訳が一切通用しない世界に、身を置いている人達なんだからな。 ま、もっとよく考えて、自分の好きな方を選択すればいいと思うよ。
お礼
ありがとうございます。すごく分かりやすく尚且つ理解でき、もっと深く回答がいただきたいと思ったので補足を投稿しました。 質問の意図を汲んで、はっきりと伝えてくださって感謝しています。 重ねてありがとうございます。
補足
回答ありがとうございます。 言い訳だという自覚なく質問文のいじめられたりや家族に反対されたなどは書いていました。 今は今だし私は今自分が誰かに依存しない人間になりたいと考えているので、昔のことはたいして悲しいわけでも人のせいにしているわけではありませんと伝えたいです。 責任という言葉が今の自分からは出てこない言葉で回答してもらった文を読んではっとしました。 羨ましい理由もわかりました。ありがとうございます。 私は自分の責任を感じたり自分の形を作っていく方に歩みたいです。
お礼
回答ありがとうございます。 私がいま悩んでいることは回答者さんの昔の悩みとそっくりだと思いました。 元々絵のセンスを生かしてイラストレーターになれるか?や自分のスタイルを生かしてモデルになれないか?と思っていたり おっしゃるとおり自己表現欲求に迷っているのです。 余談ですが小さいころはクラスで1.2を争うぐらい絵がうまいねと褒められたし(小学生ぐらいまでは)オーディションに書類選考を通った時点で80000人のうちの500人だと伝えられていて(その後会場予選落ちするのですが)、 チャンスに恵まれたから、同じようにもっと上のところに行けた子が気になってしまいます。悔しいです。 話に戻ると、今デザイン科の大学に通っているので絵が一番現実的な問題で回答者さんに私は似ていると思いました。今将来が怖くて趣味の絵は描けなくなったし美術の時間がどうしても自分が一番下手なんだろうなと思ってしまってストレスが毎日貯まります。 表現活動を続けることというのに後押しされました。 丁寧にありがとうございました。