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昭和のサムライ達
- 昭和のサムライ達について調査しました。出光興産の社史を読んだ感想や、石油業界の知識の断片が繋がるなどの話題がありました。
- 昭和のサムライ達についての調査結果をまとめました。出光佐三氏の創業者としての功績や、石油業界の専門知識が必要な点などが取り上げられました。
- 「昭和のサムライ達」についての質問に回答します。出光興産の社史を通じてサムライ精神や経営者としての姿勢などを考察し、石油業界における重要性を述べました。
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侍たちと言えば、若くして国に命をささげた「神風特攻隊員」も、そう呼んで良いでしょう。 私の叔父(父の弟)も、19歳でレイテ沖海戦にゼロ戦で出撃して亡くなっています。 白いマフラーをまいた、予科練の時の精悍な写真を見ると、とても18歳とは思えません。 私が中学生のころ、家に立派な電蓄が有って、そこにあったSPレコードをかけて聴いてたら、祖母が「それは、〇〇叔父さんが、聴いてたレコードよ」と教えてくれました。 曲は、「ポッケリーニのメヌエット」で、この曲を聴くと、軍服を着てレコードを聴いてる18歳の少年の姿が思い浮かびます。 祖母には「日本は、大国アメリカには勝てない。でも心配しなくていいよ。国が母さんの面倒を見てくれるから。」と言ってたらしいです。 将来の夢も見られず、国のために命をささげた若者も、忘れないでほしいです。
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- million09
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白洲次郎しか思いつきませんね。 伝記を読むと行動だけでなく 容姿や振る舞いもかっこいい です。
お礼
million さん、こんにちは。 >白洲次郎しか思いつきませんね。 白洲さんに関してはお2人目の登場ですが、育ちの良さがいい方に出た人だと思うのです、やんちゃな幼少期そのままに大人になった人物。 そもそも上から目線・権高さってのは大抵嫌われるものですが、それが許容される稀有なパーソナリティを持った人がいないではない、それが 白洲次郎 という事なんじゃないでしょうか。 回答ありがとうございました。
- oya_zico
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isokenさん、おはようございます。 私のサムライのイメージは、 日本人で、かつ、世界の中で戦った人 (刀で鉄砲に立ち向かう、ある意味無謀ともいえるが、それでも逃げないで戦う事を選んだ勇気ある人) また、寡黙でストイック、上官に文句を言わないというイメージもある。 ということで、 サッカー界の昭和のサムライといえば、やはり日本人サッカープロ選手第一号の奥寺康彦氏でしょうね。 https://www.soccer-king.jp/news/world/ger/20170306/559684.html まあ、釜本氏も、日本サッカー界のレジェンドでスーパースターだとは思いますが、私のサムライのイメージとはちょっと違います。
お礼
zico さん、こんにちは。 >サッカー界の昭和のサムライといえば、やはり日本人サッカープロ選手第一号の奥寺康彦氏でしょうね。 すみません、サッカーは全然知らないんです、勿論奥寺さんのお名前ぐらいは存じておりましたが・・。 ・・という事で慌ててググりましたが、ミュンヘン・オリンピックの5年後ですか、野球で言えば野茂のような存在ですね、スポーツに限らず何かに道筋を付けるって簡単な事じゃありません、称賛されて然るべきだと思います。 回答ありがとうございました。
- 雷 むぐちょ(@raimugurin)
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おはようございます 1番忘れちゃならない人を一瞬忘れてしまいました はぁぁ年はとりたくねぇだんべぇぇ... 1922年10月7日 - 1995年3月29日)オートバイ部品・用品メーカーヨシムラジャパン創業者。オートバイチューニング技術者。「 ヨシムラ 吉村秀雄さんです ポップ吉村・ゴッドハンド吉村 自陣営のマシンより速い吉村のマシンに驚いたH田宗一郎は研究所で一度マシンを計測させてもらうよう、現場の人間に指示した。 ヨシムラさんはモータースポーツ技術の発展と切磋琢磨を願い自らの チーニングマシーンを渡したのです。(ここ大事) 研究所にマシンは移送され、シャシダイナモにかけてみると、ノーマルエンジンが24ps、H田ワークスのエンジンが27psを発揮するところ、吉村の手がけたそのCB72のエンジンは32.7psを発揮していた。この性能の高さには息をのむ者もいたが、ワークスチームが手掛けたマシンがプライベーターに圧倒されているという不甲斐なさをH田宗一郎は厳しく叱責した。このような事件から、ホンダ内部には吉村に対して疎ましく感じるものが現れ、十分なバックアップが得られない事態になっていった。レースで結果を出すほどにバックアップが得られなくなる不可解さに吉村はH田宗一郎への直談判を決意。自ら研究所へ赴き、初めてH田宗一郎と会うことになった。吉村が円滑な部品供給が図られるよう頼むと、事態を知ったH田宗一郎は再び激怒。しかし、吉村に対して一度敵対心を抱いた一部の人間との軋轢は容易には解消せず、1966年にはRSC(Racing Service Center)を設立し、モータースポーツでのカスタマーサービスを一元管理する方針がとられた事や、鈴鹿サーキットと富士スピードウェイの間でのレース開催の誘致合戦、富士での30度バンクにおける安全性の欠陥を理由とするホンダ勢によるボイコットと、それに対する和田将宏の造反行為など、様々な要素が複雑に重なりあい、ヨシムラへの部品供給停止。 等々こんないじめにもめげず 当時、無敵艦隊といわれていたH田に ヨシムラチューンのS木、GS1000で 1978.第1回鈴鹿8時間耐久ロードレース 優勝。 順位S木、Y派、K崎、。 小さな町工房のバイク屋のPOPが、 御見事、でっかいH田ワークスに勝利するのでありまする。 H田は...多々数々の意味でサムライとは思えませんです。 挑戦者って意味ではS木やオラの弩わい好きな K崎ライムグリーンは正に挑戦者なのでありまする。
お礼
raimugurin さん、続けて参ります。 >1番忘れちゃならない人を一瞬忘れてしまいました >はぁぁ年はとりたくねぇだんべぇぇ... 虎ちゃん・・そりゃもうしょうがない、私だって一体何をしにここに来たかが分からない時がある、昨日の晩飯を思い出せませんしねぇ。 >1922年10月7日 - 1995年3月29日)オートバイ部品・用品メーカーヨシムラジャパン創業者。オートバイチューニング技術者。「ヨシムラ」 >吉村秀雄さんです >ポップ吉村・ゴッドハンド吉村 ごめんなさい全く知りません、回転エビ固めの 吉村道明 なら知っているのですが・・。 という事で、お礼を書きたくてもこれ以上は無理です、ごめんなすって。 回答ありがとうございました。
- 芙蓉の華(@purimuro-zu)
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私の尊敬する方々は 「孫 正義」氏 と リクル-トの 「江副浩正」氏の お二人です。 お二人の業績の素晴らしさに 只只頭が下がるのみです。 同じ人間でありながら と 本当に思っております。
お礼
purimuro-zu さん、おはようございます。 >「孫 正義」氏 孫さんの足跡は、或る意味在日2世3世の成功者が辿る典型だろうと思います、1世が手にした豊かさとハングリー精神を同時に持っていたという点に於いて。 恐らく在日という トレーサビリティ を意識していたが為、自らにとって学歴が無意味である事を早くから悟っていたのだろうと思います、故にベンチャー起業家への最短距離を目指す事となる。 他方世の中には彼の出自をあれこれと言う方がおられる、ただ資産2兆円という途方もないサクセスストーリーは、やはり称賛されて然るべきでしょう、・・というのが私が抱く率直な感想です。 >リクル-トの 「江副浩正」氏 採用側企業と大学新卒者のニーズをビジネスに結び付けたという点に於いて、出色の人物であろうと思います、早くから起業家を目指している他、 孫正義 氏との共通点も少なくない。 ただどうでしょう、リクルートという新興企業を世間に認知させたいという焦りがありましたかねぇ、それがリクルート事件という形で味噌を付けてしまった、随分気にしておられたようですよ。 回答ありがとうございました。
- ミッタン(@michiyo19750208)
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isoken大センセお邪魔します パッと出てきたのは本田宗一郎さん 丁稚奉公から世界のホンダを作り上げた人物です セナも慕っていましたよね 全質問の彼女はHさんです 公衆の面前で「旦那さん」っておかしいでしょ 言い出したらキリがないので… 愚痴ってごめんなさい
お礼
ミッタン、こんにちは。 >パッと出てきたのは本田宗一郎さん >丁稚奉公から世界のホンダを作り上げた人物です >セナも慕っていましたよね 当然出て来るお人ですよね、功成り名を遂げて尚生涯一技術者だというそのマインドが凄い、中々出来る事ではありません。 セナの事故死当時、既にホンダはF1から撤退しておりましたが、青山の本社ビルには大勢の人が記帳に訪れたと言います、もし彼が生きていれば今年で57歳・・実は私と同い年なのです。 回答ありがとうございました。
- 雷 むぐちょ(@raimugurin)
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こんばんは 昭和生まれではないですが昭和を60年、生きていた人なので、 「従順ならざる唯一の日本人」 白州次郎さん でっけぇーかなアナメリカン VS 「 昭和のサムライ 」 政治屋さんは誰も好きではないんですが 此のお方は日本のラストサムライかも?。
お礼
raimugurin さん、こんにちは。 >「従順ならざる唯一の日本人」 >白州次郎さん 盛大にオモテになったこの方に関して言えば、当時の日本にあってその全てが規格外、正直首をかしげる行動もなくはありませんが、経済的合理性やモラルに照らし合わせて、彼の業績を一々ああだこうだと論評するのを私としては無粋だと思うのです。 それよりもどなたかが称された、「 育ちのいい野蛮人 」 という表現がもっとも当て嵌まる人物、こういう人が戦後のあの時期にいたというだけでも痛快ではありませんか。 回答ありがとうございました。
- 5minutesmore
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凡人のイメージでは、 七人の侍の「三船敏郎」 好きな作家の「山本周五郎」「藤沢周平」です。
お礼
5minutesmore さん、こんにちは。 >七人の侍の「三船敏郎」 味があるそして貫禄も凄い、私が幼い頃 「 世界の・・ 」 と言えば、先ず三船さんを思い浮かべたものです。 >好きな作家の「山本周五郎」「藤沢周平」です。 御両所はテイストが似ておりますかねぇ、因みに 藤沢周平 さんの 『 密謀 』 は愛読書です。 回答ありがとうございました。
新幹線システムを自力で開発した,旧・日本国有鉄道技術陣。
お礼
passersby さん、こんばんは。 >新幹線システムを自力で開発した,旧・日本国有鉄道技術陣。 新幹線の開業は、東京オリンピックと並び日本の戦後に区切りをつけた象徴的出来事の一つ、世界に冠たる偉業であったと言って差し支えないでしょう。 尚第4代国鉄総裁にして 「 新幹線の父 」 と呼ばれる 十河信二 氏・・、この人は 長曾我部元親 と四国の覇を争った 十河存保 の子孫であると勝手に思っておりますが確証がないのです、仮に三好氏の支流 十河家 の末であれば歴史のロマンなんですがねぇ。 回答ありがとうございました。
- ithi
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isoken さん、こんばんは。 大空の侍といえば、坂井三郎、世界的に有名なゼロ戦パイロットですね。 坂井三郎 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E4%BA%95%E4%B8%89%E9%83%8E
お礼
ithi さん、こんばんは。 >大空の侍といえば、坂井三郎、世界的に有名なゼロ戦パイロットですね。 『 永遠のO 』 の主人公 宮部久蔵 は、 坂井三郎 さんがモデルではないかと一部で言われておりますね、確かに共通点は幾つかある。 先ずは互いに熟練のパイロットだったという点、次いで決して仲間内の評判が良くはなかったというのもそうかも知れない、但しあの戦争を生き延びたかどうか・・この点は決定的な違いと言っていいでしょう。 つまり『 永遠のO 』 とは、幾人かのモデルとフィクションとが一体となった複合形・・、私はそう理解しておりますし、巷間物議を醸した 坂井三郎 さんの晩年に関してはノーコメント、ただ色んな考え方があってもいいのかなとは思うのです。 回答ありがとうございました。
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お礼
5minutesmore さん、こんにちは。 >侍たちと言えば、若くして国に命をささげた「神風特攻隊員」も、そう呼んで良いでしょう。 「 神風特攻隊員 」 はサムライだったかも知れないし、必ずしもそうではなかったかも知れない、ただ戦後の平和社会に生きる我々として感謝するのは当然じゃないでしょうかねぇ、それを戦争と混同して語る切り口が私には不可解なのです。 聊か風向きが変わって来た気がする昨今ではありますが、以前はテレビの討論番組を観ておりますとね、戦前戦中の全否定を、或る種の先進性・健全性と捉える幼稚な議論が罷り通り、呆れ果ててチャンネルを変える事がよくありました。 そもそも当該テレビ局そしてその背景にある大新聞社に依る、最初に結論ありきの明らかな情報操作・茶番ですよね、結局目指すところは 「 偏狭なナ ショナリズム 」 VS 「 正義の リベラリズム 」 という馬鹿馬鹿しいまでの構図です、果ては 「 ヒロイズム の極致 」・・、特攻隊員をそうばっさりと切り捨てたパネリストを見た事すらあります、それは違うだろうと。 >将来の夢も見られず、国のために命をささげた若者も、忘れないでほしいです。 ことさら英雄視する必要はない、尾鰭背鰭を付けて語り継ぐ必要も全くありませんが、忘れちゃならないですね、それは決して大袈裟な事ではなく、愛する国や家族を守る為に死んで行った人々に対する、自然な感情の発露という点に於いて。 その昔 テルモピレー の戦いに於いて、ギリシャ連合軍の一角を担い、雲霞の如きペルシアの大軍を3日間に渡り食い止めた果てに玉砕した スパルタ の兵士達を祀った石碑には、こう記されていたと伝えられ ( by ヘロドトス )、尊敬の念を以って今に語り継がれております。 「 旅人よ 行きて伝えよ、 スパルタ の人々に。 我等かのことばに従いてここに伏すと 」 回答ありがとうございました。