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昭和のサムライ達
- 昭和のサムライ達について調査しました。出光興産の社史を読んだ感想や、石油業界の知識の断片が繋がるなどの話題がありました。
- 昭和のサムライ達についての調査結果をまとめました。出光佐三氏の創業者としての功績や、石油業界の専門知識が必要な点などが取り上げられました。
- 「昭和のサムライ達」についての質問に回答します。出光興産の社史を通じてサムライ精神や経営者としての姿勢などを考察し、石油業界における重要性を述べました。
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侍たちと言えば、若くして国に命をささげた「神風特攻隊員」も、そう呼んで良いでしょう。 私の叔父(父の弟)も、19歳でレイテ沖海戦にゼロ戦で出撃して亡くなっています。 白いマフラーをまいた、予科練の時の精悍な写真を見ると、とても18歳とは思えません。 私が中学生のころ、家に立派な電蓄が有って、そこにあったSPレコードをかけて聴いてたら、祖母が「それは、〇〇叔父さんが、聴いてたレコードよ」と教えてくれました。 曲は、「ポッケリーニのメヌエット」で、この曲を聴くと、軍服を着てレコードを聴いてる18歳の少年の姿が思い浮かびます。 祖母には「日本は、大国アメリカには勝てない。でも心配しなくていいよ。国が母さんの面倒を見てくれるから。」と言ってたらしいです。 将来の夢も見られず、国のために命をささげた若者も、忘れないでほしいです。
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- kamejrou
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おはようございますisoken さん 少し訂正がありますのでお邪魔します 前回の回答文で稲村和夫、正しくは稲盛和夫さんですね 訂正してお詫びを 一応、最後に確認はしている積もりなのですが まあisoken さんのこと、重々承知でおられる 大阪のセミナーですがこれも30年ではなく40年近く前の事ですね まあ、どうでもいい事なのですが Adele さんが見えておられるので ついでですから盆踊りの話しを少し・・・ 昨日から始まりましてisoken さんに言いましたかね? 私は執行役員なのです これは普通はなれない❗厳しい条件がありまして暇人でなければならない 規模も大きいのです まず、高さ1mで5m四方の舞台に櫓を立てましてねその上に太鼓❗ それで、ヨーヨーや綿菓子、焼鳥焼そばなどの模擬店を出しましてね ちょっとした盆踊りと縁日のコラボなのです 私も暑いなかいいように使われましたから 実行委員長に最後の日に一曲でいいから、あの櫓の上で歌わせてくれ❗ 考えておきますとか言われて そのくらいの見返りがなければ私はもう降りる❗ 歌も決めてるのです、アイ・ジョージで「赤いグラス」 「🎵愛しながら別れて~今もなほ~」 私くらいになりますと、なおではなく、なほなのですが どうなりますかねえ? 「松方弘樹伝」はようやく今手元にありますが読めずにおります いずれまたお話させていただく事もあるでしょう
お礼
kamejrou さん、おはようございます。 お礼が遅くなりまして申し訳ありません、ところでわざわざの御訂正、却って恐縮です。 実は母方の伯母が亡くなりましてね・・享年87歳でした。 母は3姉妹の末っ子なのですが、私はこの伯母ととうに亡くなったその連れ合いには、本当に可愛がってもらいまして今でも足を向けて寝られない、晩年は少しボケていたのですが、私はただ 「 はいはい 」 ・・と聞くだけでした。 昨秋両親と母方の伯母2人を連れて、お墓参りに行ったのが彼女と話した最後となりました、もっと顔を出していればと今更悔やんでも遅いのですが、せめてもの恩返しはこれから、故人を寂しがらせないように、折を見てお墓に参りたいと思うのです。 >まず、高さ1mで5m四方の舞台に櫓を立てましてねその上に太鼓❗ >それで、ヨーヨーや綿菓子、焼鳥焼そばなどの模擬店を出しましてね >ちょっとした盆踊りと縁日のコラボなのです 盆踊り、もう終わられたのでしょうか? 私がその昔、祭りの屋台でタコ焼き・焼きそばを売り捌いていた事はkamejrou さんも御存知でしょうが、何にしても子供達にとっては屋台こそが花ですね、あるとないとでは盆踊りの格そのものが違って来ちゃう、まあ時節柄 神農道の稼業人という訳にも行かないのでしょうが、 日本の風物詩を継承して行く意味でも、kamejrou さんには御尽力頂きたいと存じます。 >歌も決めてるのです、アイ・ジョージで「赤いグラス」 それにしてもアイ・ジョージ・・、私より下の世代は知らないんじゃないでしょうか、もっとも私が知ってるのも 「 赤いグラス 」 と 「 硝子のジョニー 」 だけですが・・。 以下政治関係を少々。 以前 kamejrou さんが、安倍さんのお友達云々という点に言及されておられましたが私も全く同感で、批判精神を持たず盲従する閣僚・支持者というものは、却って有害だと思うのです。 安倍さんとしても、一連の騒動に関して真摯に反省してもらわなきゃ困る、ただ今回の組閣で多少反映されましたかね、特に 野田聖子 さんの入閣は評価出来るのではないでしょうか。 それに引き換え、民進党代表選に出揃った候補の酷さったらない、私は 蓮舫 さんも大嫌いでしたが、ことここに来て足の引っ張り合いはないでしょう、それ以上に前原さん枝野さんは有り得ない、共に旧民主党に惨状を齎せたA級戦犯と見做されているのに、その自覚がないんでしょうね、困った事に。 本人も本人ですが、それを推す周囲にはそれ以上に開いた口が塞がらない、保守層の受け皿となる健全野党が育ってくれなきゃ困いますよね、旧社会党も右派と左派がありましたが、現民進党は自民党内の右と同クラスの保守から、天皇制にすら反対する極左が同居してウイングが広過ぎまして、野合はこうなるという見本みたいなもの、細野さんも離党したといいますし、瓦解は目の前という印象ですね。 さて話を 野田聖子 さんに戻しますが、必ずしも政策の全面支持という訳には参りません、ただここ数年で仮に我が国初の女性首相が出るとすれば、現状では野田さんが適任じゃないでしょうか、単なるイエスマンではなく、しっかりと足が地についているし腹も座っているという印象で・・。 過去 郵政民営化法案 ( 実質的な竹中プラン ) という、首を傾げざるを得ない法案に反対して離党を余儀なくされましたが、まああんなものどうでもいい、次期総裁選への出馬を含め頑張って欲しいと思います。 最後になりますが 『 女城主 直虎 』 ・・、そろそろ井伊が徳川の傘下に入りそうな雲行きですが、桶狭間後の今川家にこれほど触れた歴史物は今まで無かったんじゃなかろうかと・・、少なくとも私は知りませんでした、いや勉強になりますねぇ。 回答ありがとうございました。
- adele244
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こんばんわ >昭和のサムライ達 サムライも野球も詳しくない私が回答するのも何ですが、 野茂英雄さんが浮かびました。 日本人メジャーリーガーとして、パイオニアであり、 逆境や重圧を物ともせず、淡々と我が道を行き、大活躍。 ストイックな姿勢、寡黙な人柄が、まさにサムライという感じ。。
お礼
adele さん、おはようございます。 お礼が遅くなりまして、申し訳ありません。 >野茂英雄さんが浮かびました。 >日本人メジャーリーガーとして、パイオニアであり、 逆境や重圧を物ともせず、淡々と我が道を行き、大活躍。 >ストイックな姿勢、寡黙な人柄が、まさにサムライという感じ。 始終仰る通りだと思います、朴訥で余計な事は喋らないという印象のその一方で、昔よりこうと思えばテコでも動かない芯の強さを感じさせる青年ではありました、その点をしてサムライと言われればなるほどと・・。 さて野球人としての野茂が辿った足跡は、決して野球エリートと呼べるものではなく、やっと脚光を浴びたのがノンプロ時代、ただその後の活躍は御承知の通りです。 その後長らく閉ざされていた、日本人メジャー・リーガーへの道を模索する事となりますが、現在の恵まれた日本球界のエース級とは違い、当初ドジャーズとはマイナー契約でした。 彼がその道筋を付け、日本人ピッチャーの評価が高騰したからこそ、その後の ダルビッシュ や マー君 そしてマエケンの雄姿があるのも、またその通りだと思います。 回答ありがとうございました。
- ユリア(@yuria2014)
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こんにちは。 『海賊と呼ばれた男』数年前、私も夢中になって読みました。 亡くなった時に、昭和天皇が初めて一般人に向けて歌をお詠みになられました。 型破りだけれど、社員との信頼関係、国を思う気持ちは正にサムライでしょう。 私が思う昭和のサムライですと、先ずは 『獄中の東条英機を叱咤した男』笹川良一さんです。 競艇のギャンブル王、右翼の親玉とか、確かに一面だけ見ればそうなのですが、恐らく彼ほど、マスコミに歪められ報道された方は居ないと思います。 戦後、東条英機元首相を始め戦争犯罪容疑者の逮捕が始まり、東京裁判で自分が助かりたい一心で責任逃れの発言をして、陛下に害が及ぶようでは日本の国体その物が危うくなってしまう。 それを防ぐ為に、被告の一員になって彼等に近づき指導しようと決意します。 戦時中、衆議院議員を務めた程度では、巣鴨プリズンに入る資格は無いので、ソ連とアメリカ批判の演説会を開き、占領軍を挑発します。 そして第3次戦犯に名前が載ると、生きては帰れまいと、父の墓の隣に自分の墓を建て、巣鴨に乗り込みます。 東京裁判で東条英機は、開戦決定の責任も、また内閣閣員及び統帥部の者の責任であって、絶対的に陛下のご責任ではない。と述べ裁判後、実に晴れやかに笹川さんに挨拶したそうです。 自分自身は3年で出所しますが、BC級の慰問、減刑・釈放請求、家族の支援に母、夫人、兄弟、一族郎党総動員で、運動を展開します。 なんと昭和33年まで掛かってるのですね。 その後は船舶振興会の収益金はハンセン病撲滅や福祉活動等に注ぎ込みますが、晩年アフリカの飢饉に協力要請のお話が有った際に、飢えた人に魚を与えるより、魚の釣り方を教える方が大切と、息子の陽平さんと共に取り組みます。 先ず、農業生産を2倍にする『緑の革命』でノーベル平和賞を受賞したボーローグ博士を口説き、アフリカは政治的に難しいからとカーター元大統領をオブザーバーに迎えてアフリカに向かいます。SG2000プロジェクトのスタートです。 ガーナでのローリングス議長(後の大統領)との逸話を書きます。 笹川さんは議長の部屋に入ると、ガーナ国旗の前で立ち止まり、深々と礼をしました。これはどこの国の国旗にも礼を尽くすやり方です。 最初にローリングスが驚くべき言葉で、会談の口火を切ります。 『ミスター・カーター、あなたはレーガンの回し者か?』 ちょうど一週間ほど前、ガーナ政府はアメリカCIAのエージェントと目された外交官5人を摘発し、国外追放したばかりでカーターに反論する隙も与えず、TVカメラが回っている横で反米演説を繰り広げます。 通訳から議長の話の内容を聞いた途端、笹川さんの顔色が変わり、間髪を入れず立ち上がって、『議長、何を言われるのか』と鋭く言い放ちます。ローリングスも、この声の勢いに気押しされて、思わず口を閉ざしました。 『我々は貴方の国の国民が飢えに苦しむのを見るにしのびず、何か力になりたいとやって来たのだ』 『私もそれだけの目的で90歳に近い高齢を顧みず、遠いアジアの日本からはるばる訪ねて来た。カーター前大統領もまた然り。多忙な時間を割いてここに来られている。その我々に対して、今の発言は無礼ではないか。失言として取り消されるがいい!』 通訳から聞くと、ローリングスは急に組んでいた足を引っ込め、サングラスをはずして、小声で側近に何か命じます。 『議長は皆様に朝食をご馳走したいと言われています。朝からの緊張で空腹になったそうです』と言いました。笑い声がもれ、部屋に安堵の空気が流れます。 朝食のテーブルで真剣な話し合いが始まり、ガーナを最初の舞台として『緑の革命SG2000』を導入することで、完全な合意をみました。 この時、ローリングス議長は父親に叱られた気がして、その後は笹川さんに非常な親近感を持ち、終始、真の親に対するような敬愛の情を示したと言われています。カーター元大統領も、政治家としてさまざまな修羅場をくぐってきた私だが、一国の首脳がこれほど劇的に態度を急変させる姿を見たことはない。いや、驚いた。ミスター笹川はなんという人物なのだろう。と語ったと伝えられてます。 昨今、経済成長が著しいと言われるエチオピアでも、1985年には各国の援助も虚しく、犠牲者200万人にも及ぶ大飢饉が発生しました。 笹川さんは1995年に96才で亡くなりますが、自立自助の新しい農法が生きずいているのは重要だと思います。 次が、『戦神(いくさがみ)と呼ばれた男』根本博陸軍中将です。 8月15日の玉音放送を、根本中将は駐蒙軍司令官として、モンゴル張家口で聞きます。玉音放送の後、マイクに向かって、『地元民、邦人、および我が部下等の生命は、私が身命を賭して守り抜く覚悟です』と語りかけた。玉音放送の直後だけに、根本中将の声はモンゴル地区に散在していた日本人居留民たちを安心させました。 本国からは武装解除命令が出てましたが、日本軍が武装解除しても邦人の安全が確保される保証は有りません。8月9日から満洲に侵入してきたソ連軍の蛮行は刻々と伝えられています。責任を取って自分が腹を切れば済むと覚悟を決めます。 民間人を守るのが軍人の仕事とし、全軍に命じました。 『理由の如何を問わず、陣地に侵入するソ連軍を断乎撃滅すべし。これに対する責任は、司令官たるこの根本が一切を負う』 司令官の断固たる決意に、駐蒙軍の将兵も闘志を燃やし、攻め込んできたソ連軍と激戦を展開した。8月15日以降にソ連軍の攻撃は始まりますが、駐蒙軍の頑強な抵抗によって、退却して行きました。 ソ連との戦闘に先立ち、日本人居留民4万人のために列車を手配し、日本人民間人を全員、天津にまで逃しています。しかも各駅には、あらかじめ軍の倉庫から軍用食や衣類をトラックで運び、避難民たちが衣食に困ることがないように入念な手配までしていました。 モンゴルでの戦闘に勝利した根本中将は、軍装を解かずそのまま北京に駐屯しました。そこで根本中将は、北支那方面軍司令官兼駐蒙軍司令官に就任します。 北支那にいる在留邦人4万、将兵35万の命を預かり祖国帰還の指揮を取ります。 この頃中国では、蒋介石率いる国民党軍が、幅を利かせるようになっていましたが、根本中将率いる北支軍は、断固として武装を解かない。 そして日本軍と国民党軍の小競り合いや、ソ連の支援を得た共産軍との戦いは、各地で無数にあるのだけれど、根本中将に率いられた日本の北支軍は、どの戦いでも支那兵を完膚なきまでに叩きのめしています。 すでに装備も不十分、弾薬も底をつき出しているはずなのです。それでも日本軍を破れない。次第に根本中将の存在は、国民党軍や共産軍の中で、『戦神』と呼ばれて恐れられるようになったのです。 蒋介石が直接北京に乗り込み、根本中将に面談を申し込みました。 蒋介石はヤルタ会談も終戦時にも中国代表として、日本の分割統治反対、天皇制の存続、賠償請求権の放棄と親日路線でしたし、この時も日本人の引き揚げに助力してくれます。 本来なら武装解除命令に背いた事自体、戦争犯罪でしょうがこれも不問にされました。 引き揚げに1年を要し最後の船で帰国しますが、蒋介石との会談で、 『東亜の平和のため、そして閣下のために、私でお役に立つことがあればいつでも馳せ参じます』と約束をします。 さて、引き上げに助力してくれた蒋介石に恩を返すお話ですが、GHQ占領下ですから、苦労して小さな釣り船で台湾に密航し、約束を果たします。 1949年の国共内戦の最終決戦の金門島で、大東亜戦争時に日本陸軍が得意とした塹壕戦法を採用します。海岸や岩陰に穴を掘り、敵を上陸させ、陸上に誘い込んで殲滅する作戦で、戦神の力を発揮して見事に恩を返す事が出来ました。 中国大陸の福建省廈門から僅か2kmの沖合に金門島は有ります。 台湾からは180kmも離れています。 なんとここが台湾領なのを知らない方は多く、お話すると皆さん驚きます。 国共内戦、毛沢東の共産軍と蒋介石の国民党軍の戦いですが、 10月1日に毛沢東による中華人民共和国の成立宣言が発せられ、大陸から国民党軍を駆逐する事で花を添えると考えられたようです。 その為に精鋭2万人もの軍勢で金門島に攻め込みますが、あろう事か僅か二昼夜にして一方的に惨敗してしまいます。毛沢東に取っては悪夢だったと思います。 僅か2kmの距離ですから双眼鏡でも確認は出来たでしょう。 弱かった国民党軍がいきなり戦車と砲艇で挟撃したり、それまでとは全く違う戦法に、あの日本の戦神が軍事顧問に付いたに違いない。 それは共産軍からみれば死神以上に恐ろしいことです。 共産軍の進撃は完全に止まりました。 そして金門島は、それから60余年を経た今日も、台湾領でいます。 台湾海峡も台湾ですから、日本の防衛上も非常に有意義です。 金門島での戦いに際しての根本中将の存在と活躍については、公式記録からは全て削除してくれるようにとくれぐれも頼み、台湾を後にしました。 日本も占領下ですから、事を公にも出来ず、生涯この事は家族にも話さず亡くなります。 歴史の中に忘れられかけたお話ですが、台湾の金門戦争研究家と、『この命、義に捧ぐ』の著者の取材により、60年ぶりに脚光を浴びます。 『この命、義に捧ぐ』を読みますと、ラストサムライ大和魂の真髄に思います。 戦後教育の自虐意識を刷り込まれ、日本人でありながら先祖を冒涜する輩には呆れかえります。自虐意識の中からは何も生まれません。 今、日本は歴史の真実に学ぶべき時が来ている、そのように思います。
お礼
yuria さん、こんばんは。 お礼が遅くなりまして、申し訳ありません。 >私が思う昭和のサムライですと、先ずは 『獄中の東条英機を叱咤した男』笹川良一さんです。 いやいや 笹川良一 さんですか、これはまた脂っこいおじさんを・・という事で、yuria さんが書かれた内容を正直殆ど知らないのですが、以下思うところを勝手に書き綴らさせて頂きます。 私自身・・笹川さんが嫌いかと言えばそうでもないのです、先ずは親孝行・一日一善というものを説かれた点を挙げたい、あの時は少なくない言論人が偽善であると真っ向から非難しましたが、 自分ばかりが利口だと思い上がってるその手の人種は、ファシスト・右翼と見做した人間を蛇蝎の如く嫌いますからねぇ、そりゃもうメディアの評判は散々でした。 当時の日本は戦後の復興を成し遂げはしたが、反面人情紙風船と風刺されるとば口にありましたから、笹川さんなりの危機感があったんじゃないでしょうか。 それとこの方は稀代の喧嘩上手ですよね、彼の喧嘩は実に戦略性に富んでおりまして、例えば 日本船舶振興会 の財力に目を付けた田中の角さんが、自分の息が掛かった官僚を送り込もうと画策した際、全力でこれを阻止した事もありました。 ついでに言っちゃうと、確か朝日新聞とも全面戦争を繰り広げたはずです、そのソースが見つからない為以下記憶で書き綴りますが、あの時は朝日新聞筆頭株主の 日本生命 に手を回し搦め手から攻め、結局朝日が全面謝罪広告を掲載するという事で手打ちになったはずです、つまり笹川さんの完全勝利。 さて笹川さんとくれば、 児玉誉士夫 御大にも御登場願わねばならないでしょう、大衆右翼を標榜した前者に対し、大物政治家・やくざ組織果てはCIAと結び付いて、国家権力の奥の院にまで影響力を行使した後者、ただこの児玉というおじさんはちょっとばかり暗いんですよね、結局失意のうちに世を去る事となる。 他方笹川さんが自ら志願して戦犯となったのは知っておりました、元々格下であった児玉さんがA級戦犯になった事にいたくプライドを傷つけられたなどと、後年のメディアは面白おかしく書き立てましたが、その真相は yuria さんが言われる高邁な動機であったのかも知れない、もっとも私にも判断が付きかねますが。 >『戦神(いくさがみ)と呼ばれた男』根本博陸軍中将です。 そこに至る大前提として、 我が国が受けた 蒋介石 からの情け・恩というものは避けて通れないのだろうと思います、それは彼が持つ政治家としての資質ではなく、また中国本土や逃れた台湾に於いて何をやったかという事でもない。 それを日中国交回復に於いて、我が国が無情に切り捨てたのは事実です、 当時の国際情勢を鑑みるに必然ではあったと思うその一方で、情の部分に於いて幾許かの後ろめたさがあって然るべきではなかろうかとも思わざるを得ない、根本さんの存在そして行動で幾分かでも救われた気はするのです。 それにしても、台湾の方々が我が日本に持ち続けてくれた厚情はありがたいばかり、我々も人の道としてそれに応えねばならないでしょう、何だかんだ申して私が安倍総理を支持する理由の一つに、歴代総理が 「 触らぬ神に祟りなし 」 ・・とばかりに避けて来た、台湾への姿勢を劇的に改めてくれた点もあるのは確かなんですよね。 他方戦後間もない頃、アジア各地の指導層に於いて、旧日本軍将校に対する信仰のようなものがあったのは事実でしょう。 確証は幾つかある、例えばインドネシア独立の父 ( デヴィ夫人の元旦那 ) ・・ スカルノ 大統領が、オランダからの奪取を画策した 西イリアン侵攻作戦に於いて、当時伊藤忠の禄を食んでいた旧大本営参謀 瀬島龍三 氏に、その立案を全面的に委ねたいという、個人的意図があったのがどうやら事実のようでありますしね。 最後になりますが、戦争犯罪の定義が、仮に戦争に負けた故の責任・見せしめというのであれば不承不承納得も出来るのでしょうが、戦勝国だけが正義というのがやるせない、この手の茶番劇が無くなる事は未来永劫ないのでしょうね。 回答ありがとうございました。
- 戦艦みかさ(@mikasa1905)
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イソケンさんこんにちは。 >貴方が考える 「 昭和のサムライ 」 をお教え下さい。 何かで書いた気がしますが、やはり阿南惟幾陸軍大臣が思い浮かびます。功罪あるでしょうけれど、最後に敗戦の責任を取って切腹したことはサムライだと思いますし、「命をかける」とか言ってる現代の政治家にも見習って欲しいですね。 切腹は敗戦の責任を取ると同時に、陸軍のクーデターを抑えたんでしょうね。国内にはかなりの残存兵力があり、陸軍を中心に本土決戦を本気で考えていたわけですから、宮城事件を起こした将校たちの話に阿南惟幾が乗っていれば間違いなく本土決戦に至っていたでしょうし、そもそも本気でポツダム宣言を拒否したいなら陸軍大臣を辞すれば良かったのにそれをしなかった。やはり陸軍大臣として陸軍を最後まで抑えたのでしょう。 鈴木貫太郎首相に最後に会議での非礼を詫び、鈴木首相が書記長官に「阿南君は、暇乞いに来たんだね」と言ったのがシビれますね。最後までポツダム宣言受諾に反対しつつも、二人は心では通じ合っていたんでしょうね。 あと東條英機。この人ももちろん功罪ありますし、敗戦の責任は負って然るべきですが、戦勝国によって裁かれて死刑にされるいわれはありません。自決には失敗しましたが生き延びて、最後まで天皇を守り、日本の立場を訴え続けて裁判を戦ったのは立派でした。いつか再評価してほしいものです。
お礼
mikasa さん、こんにちは。 >何かで書いた気がしますが、やはり阿南惟幾陸軍大臣が思い浮かびます。功罪あるでしょうけれど、最後に敗戦の責任を取って切腹したことはサムライだと思いますし、「命をかける」とか言ってる現代の政治家にも見習って欲しいですね。 重い地位になればなるほど、最後の最後は自分で腹を切る覚悟というのが大事なんだろうと思います、・・でなければいざという時に腰が引けてしまう、地位に恋々としていたのでは重い仕事は成せませんしね、無論現代社会では責任を取るという意味に於いてです。 さて御指摘の政治家と木っ端役人との違いは、本来そこでなければならないはずなのですが、昨今の政治家はどいつもこいつも世論に阿り、自分が目指す大義の為に浪人してでもという腹の座ったのがいない、それ以前に理念・理想が皆無で、当選して歳費を食い潰すのが最大の目的ですからまったく敵いません。 >切腹は敗戦の責任を取ると同時に、陸軍のクーデターを抑えたんでしょうね。 恐らくそういう事でしょう、目前に迫った敗戦という動かし難い事実への責任と個人的信条、そして 鈴木貫太郎 さんとの個人的関りとがない交ぜになり、ああいう形で決着を付けざるを得なかった、少なくとも私はそう考えます。 >あと東條英機。この人ももちろん功罪ありますし、敗戦の責任は負って然るべきですが、戦勝国によって裁かれて死刑にされるいわれはありません。 所詮古より戦争なんてものは勝ち負けが全てです、そこに正義なんてものは微塵も存在しない、 東條 さん云々以前に、東京裁判そのものが史上最大級の茶番でしょう、 『 お笑い、東京裁判 』 とでも銘打って、 三谷幸喜 氏辺りの脚本で映画化して欲しいほどです。 勝ちさえすれば、歴史の歪曲に事実の改竄他どんな横車だって押せますし、敗戦国の惨めさは他でもない我々の祖父母 & 両親達が身に染みるほど味わっている、そもそも我々が習った戦後の教科書と日教組の息が掛かった教師達の教えを、今振り返って検証すれば正直言ってこれはもう笑うしかない。 極論すれば教科書も教師も我々生徒にこう教えたのです、あの戦争は日本が全て悪かったと・・。 回答ありがとうございました。
kamejrouさん、ありがとうございます。仰るように盛田さんの偉業を語るなら 語ればいいのによく知らないから誤魔化したら叱られてしまいました。 まさに生兵法は怪我の元。OKWaveなら「あいつアホやなぁ」で済むところが 建築のコンサルティングでは次からは仕事が来なくなるところです。 気を引き締めて勉強し直せということでしょう。 先日は犬が吠えるので見に行ったら財布を箪笥の上に置き忘れてあったというくらいで 60過ぎると、間違えても誰も教えてくれません。 昨日、建築士の定期講習会にいってきました。ここ数年の建築業界は 大規模木造建築をはじめ規制緩和の嵐で、3年に一度の定期講習では 現行法規や技術においつけないほどの激しい変化です。 >それにしても人生とはいつまで経っても勉強ですね、これでいいという高みに至る事は決してない。 isokenさんの言葉は味わい深いですね。わかっていたつもりの知識が、実は断片的であまり使い物にならないというのはアリがちですが、知識で飯を食うとなるうろ覚えは 致命傷になりかねない。 知識は整理するとこれまで持っていた断片的な知識が繋がって使えるものになる。これが大切なんですね。
お礼
ex さん、こんにちは。 お礼が遅くなりまして、申し訳ありません。 体調面はまあ悪くないのですが最近は脳が疲れちゃう、お礼が遅れがちになる殆ど全ての理由がそれです。 若い頃殆ど未使用だった分、年齢が行ってからの伸び代がきっと他人様より多いはずとの自負があったのですが、それも最近怪しくなりまして、ちょっとばかり疲れると脳がさっぱり機能しない、ただお茶を濁したお礼を差し上げるぐらいであれば、精神を万全にして自分なりに納得出来るものにしようと・・、まあ言い訳にもなりませんが。 さて常にチャレンジを怠らない ex さんの姿勢は、予てより敬服するところですが、 何にせよ目標に向かって起動ボタンを押すと、そのシーケンスがシステマティックに立ち上がる源を辿れば、恐らく高いレベルでの受験という経験がその根っこにおありになるのでしょう。 故に私個人は、我が国の学生が直面する受験勉強の内容をさほど肯定的に捉えませんが、体系だった思考回路に至る訓練の場として多とします。 他方仰る通りで知識というものは、必要となった際即座に懐から取り出せるものでなければ意味を為さない、例えばウィキで齧った一過性のものは知識に非ず、その点を考えれば読書ってのは大切ですねぇ。 回答ありがとうございました。
- kamejrou
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こんにちはisoken さん あら、昨日から質問しておられた? 私も盆踊りの会場設営やらでこれから少し活躍しなければなのですが 幸いな事に風もありまして倒れずにすみそうなのですが まずは取り急ぎ回答させていただくのですが EX さんが盛田昭夫さんの名前を挙げられる 流石はEX さんと思いましたがあとがいけないアハハハ 最近の創業家のお家騒動と盛田昭夫さんの評価とは何ら関係のない事です そもそもがSONY と言う会社に血縁と言うことでのしがらみは存在しない それは井深さん盛田さん以降の社長の人事でも明らかなはずですし 岩間さんは井深さん盛田さんと並んで創業者とも言える 岩間さんのあとを継いだ大賀さんに至ってはこの三人が育てた子飼いの社員です EX さんが触れられませんので私が盛田さんの事を少し Isoken さんはこのサムライと言う言葉を人物と言う意味で使っておられる? であれば、私は盛田さんもまことに昭和のサムライと呼ぶに相応しい、 そう思います 企業とは良い商品さえ作れば磐石であるとは言えないのでしょう それは最近のシャープの例を見ても頷ける事と思うのですが 井深さんは技術畑の人ですから素晴らしい商品は作る、 ただそれから先は盛田さんの仕事になる訳で 盛田さんは単身アメリカへ渡るのですがSONY の名前など知るよしもなく Made in japanは安かろう悪かろうの代名詞の時代です その中で盛田さんは孤軍奮闘、販路をアメリカに広げて行く訳です それがどんなに苦労な事であったか? 今、世界に冠たるmade in japan のブランドは盛田さんのような 先人たちの苦労の上にある もうお一方、私が人物であろうと思う人に稲村和夫さん 小なりとは言え、いささかなりとも経営と言うものを経験した私には この方の一言一句は実に腑に落ちるのですが 最近では老骨に鞭打たれ日本航空再生に汗を流された 日本の航空産業の未来を憂いての事でしょうが サムライと言う言葉は稲村さんにもまた相応しいと思うのですが? この話しの終わりにダスキン創業者の鈴木清一さんについて少し 実は私、30年近く前になると思いますが 当時、ダスキンの会長でおられた鈴木清一さんと話す機会がありましてね Isoken さんは「商業界」はご存知と思いますが 大阪は宝塚で商業界主催での経営セミナーが開催されまして 全国から企業の社員が経営のノウハウを学びに集まるのですが 講師陣が当時の一流企業のトップなり、あるいは経済評論家でして その中に鈴木清一会長が講師として来ておられた 二泊三日の日程でしたが、最後の日は分科会に当てられまして 取り立ててテーマを決めずに七人くらいのグループを沢山つくり 自由に討論させるのですが 我々のグループに鈴木会長がオブザーバーとして座られまして 御自身の経営理念を熱く語ってくだされた 私は「祈りの経営」、この理念に感銘を受けましてね 休憩の合間などにお話を聞かせていただいたのですが 今日はそれを話している暇もありません ただダスキンの「社会に幸せの種を蒔こう」この言葉を目にしますと ああ、鈴木会長の経営理念は次世代の人々に立派に受け継がれてる そう思いますと、私など涙もろいものですから何やら涙ぐむ思いなのです さて、最後に少し余談を 「女城主 直虎」 最近はストックと言うことが出来ませんで録画は一応するのですが 次の日にはもう我慢が出来ませんで それにしても柴崎コウさん、実に表情豊かなよい女優さんですねえ❗ 私、最近気付いたのですが以前から漠然とはて?とは思っていたのですが あのサブタイトルは過去の名画のタイトルのパロデイなのですね? Isoken さんは気付いておられた? 分かってみれば呆れるやら感心するやらアハハハ 例えば最近のでは 「盗賊は二度仏を盗む」、これは郵便配達は二度ベルを鳴らす 「第三の女」は第三の男でしょうし 「消された種子島」は消されたヘッドラインか?と私笑いましてね 「綿毛の案」は何か?と思えば赤毛のアン❗アハハハ 「死の帳面」は私、分かりませんで 家内が「デスノート」じゃないの?これにも私笑いましたが 分からないのが 「材木を抱いてとべ」 Isoken さんご存知でしたら教えてください
お礼
kamejrou さん、こんにちは。 色々ありましてお礼が遅くなりました、申し訳ありません。 さてこのところ幾らか涼しいかと思ったらまたこの有様、日中にいるだけで体力は確実に消耗しますから、 「 先ず我が身、余った力で御奉公 」 ・・という私のポリシー ( あまり褒められたもんじゃありませんが ) を少しばかり真似て、御自愛下さい。 それにしても盆踊りですか、女の子の浴衣姿他昔は夏の楽しみの一つでしたが、その種の風物詩が徐々に風化して行くのは都会の常でありましょうか、このところとんと御無沙汰です。 >Isoken さんはこのサムライと言う言葉を人物と言う意味で使っておられる? >であれば、私は盛田さんもまことに昭和のサムライと呼ぶに相応しい、 そう思います >企業とは良い商品さえ作れば磐石であるとは言えないのでしょう >それは最近のシャープの例を見ても頷ける事と思うのですが シャープ は勿論そうですが、松下と並ぶかつての家電業界の雄、大物経団連会長を輩出した名門企業東芝が、 kamejrou さんも御存じの惨状になっております。 最早何でもありの時代に突入した感がありますが、如何に東芝とて民間の一企業に過ぎない、故に厳正な経済原理にその身を委ねるべきなのか、はたまた技術立国日本の面目にかけて税金を投入してでも救うべきか、その答えはそう遠くない将来出て来るはずですが、公益性及び寡占性が高い JAL や 東電 よりも、東芝再生の道のりは遥かに険しいと断言出来る気はします。 尚名門企業の苦戦に関し率直な感想を申し仕上げれば、 私としても kamejrou さんと同じ印象を持ちます、つまり技術で劣る訳じゃない、ただ経営がこれですと現状は宝の持ち腐れと言って差し支えない、極論すれば我が日本は技術偏重に多少ブレーキを掛けてでも、経営・販売戦略のプロを育てる時期に来ているのかも知れません。 ところで俗に 「 井深が見つけ、岩間が作り、盛田が売った 」 と言われますね、私も創業者はこのお三方だと思います、 井深大 と 盛田昭夫 そして 岩間和夫 がタッグを組み、高い技術力と販売戦略の両輪が上手く噛み合ったのがかつてのソニー、それは仰る通りでしょう。 もっとも昨今のソニーは、単に本籍が日本というだけで、最早軸足がどこにあるか分からない多国籍企業の典型でもある、ジャパン・ブランド名門企業の盛衰にウエットな感情を持つのは、むしろ傍観者である我々の方なのかも知れません。 >盛田さんは単身アメリカへ渡るのですがSONY の名前など知るよしもなく Made in japanは安かろう悪かろうの代名詞の時代です >その中で盛田さんは孤軍奮闘、販路をアメリカに広げて行く訳です それがどんなに苦労な事であったか? >今、世界に冠たるmade in japan のブランドは盛田さんのような 先人たちの苦労の上にある Made in Japan が世界的に認知され、この国に住む我々が圧倒的な国産信仰を持ち得たのがどうでしょう、ここ30年ぐらいではないですか、それまでは仰る通り安かろう悪かろうの時代、今や死語となった舶来という言葉が、長らく幅を利かせていた御時世でもありました。 雛型も叩き台も何もないゼロからのスタート・・、そりゃ 盛田 さんも大変だったろうと思います、特にアメリカ人の合理主義は徹底しておりますから、時間の無駄と思えば アポイントメント すら取れない、極論すれば鼻にも引っ掛けてくれませんから・・。 >もうお一方、私が人物であろうと思う人に稲盛和夫さん >最近では老骨に鞭打たれ日本航空再生に汗を流された >日本の航空産業の未来を憂いての事でしょうが >サムライと言う言葉は稲村さんにもまた相応しいと思うのですが? かつての 土光敏夫 さんもそうですが、御老齢且つ超多忙にも関わらず、功成り名遂げた方々がこうして汗をかいて来られた、その熱意には頭が下がるばかりです。 その一方で言葉は悪いのですが、傾きかけた大組織の再生は進駐軍の方が諸事良いのでしょう、思うに GHQ がそうでした、無論その全てを良しとはしませんし日本人として忸怩たる思いがないとは言いませんが、余計な知識やしがらみがあると大鉈を振るえないというのはそうだろうと思います。 稲盛さんがメスを入れたのは、コスト意識の植え付けと企業理念の確立という事なのでしょうが、技術はともかく、経営トップが取るべき方法論がそう幾つもあるとは思えない、むしろその道の素人の方が良いのかも知れませんね。 その辺りのお話は以前 sq さんとさせて頂いた事がありましたが、まあ倒産以前の JAL ってのは、コスト意識が欠落したどうしようもない会社でありまして、親方日の丸の代表選手・・いや典型的な殿様商売、他方燃費効率の悪い ジャンボ・ジェット をずらりと揃えたその姿は、石油のあても無いのに国庫を傾けて戦艦大和を作り上げた、帝国海軍の巨艦主義を思わせる戦略無き企業の代表選手でした。 加えて大小8つの労働組合が犇めき合い、有り余る人員に惜しげも無く高給を投げ与え不採算部門の切り捨ても行わない、これでは倒産しない方がおかしいと誰しも考えましたが、やはり 2兆3000億円 もの負債を抱えて沈没する事となる、それにしても巨艦の渦に巻き込まれた関係各位の御苦労は、察して余りあるものがあります。 >この話しの終わりにダスキン創業者の鈴木清一さんについて少し 実は ex さんにはお話した事がありますが、 我が家とダスキンとは少しばかり縁があります、・・というのも父の末妹の連れ合いが東北の寒村の出でまりまして、苦学して東北の某国立大 ( ex さんの母校のような名門ではありません )を出ましたが、就職先が無く流れ流れて当時大阪にあったダスキン前身の会社に就職したのです。 叔父本人は典型的な丁稚奉公だったと言っておりました、そりゃ厳しかったとも・・、もっとも商店初の大学出であった為当初より幹部候補ではあったろうと思います、その証拠に 鈴木清一 社主直々に媒酌の労を取って頂いた、あそこは社員を大切にするのが経営理念の一方の柱だそうですが、その結婚写真に当時4つか5つのハナタレだった私も一緒に写っていて、家探しすれば実家のどこかに今もあると思います。 この叔父がですね、社主から直々にファストフードのチェーン展開を命じられ、1960年代カリフォルニアだかフロリダだかに視察に行きまして、出来たのが今日本のどこにでもあるミスタードーナツ、因みにその時のお土産がグレープフルーツ・・と言う事で、私は日本でもかなり早い時期にグレープフルーツを食べた人間の一人だったろうと思います、恐らく。 ねむの木学園のお世話もさせて頂いたようです、 宮城まり子 さんとも御懇意にして頂いた、今であれば 吉行淳之介 さんとの道ならぬ恋に関してあれこれ聞くところですが、叔父はとうに鬼籍に入りそれも敵いません。 >それにしても柴崎コウさん、実に表情豊かなよい女優さんですねえ❗ 彼女は目力が強いですねぇ、昨今の女優さんの中で好感度はピカイチだろうと思います、彼女が主役を張ってるから見てる人も多いんじゃないですか。 >私、最近気付いたのですが以前から漠然とはて?とは思っていたのですが あのサブタイトルは過去の名画のタイトルのパロデイなのですね? >Isoken さんは気付いておられた? 自慢じゃありませんが、私はただぼ~~~っと観てるだけですから、分かるはずもない、それにしても kamejrou さんよく気付かれましたねぇ、さすがです。 >「死の帳面」は私、分かりませんで 家内が「デスノート」じゃないの?これにも私笑いましたが 奥様もさすがです。 >「材木を抱いてとべ」 今調べたら、 高村薫 のデビュー作 『 黄金を抱いて翔べ 』 らしいですよ、何年か前 妻夫木聡 君主演で実写映画化されて結構ヒットしたみたいです。 回答ありがとうございました。
- lolipop-sapporo
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竹鶴政孝氏を挙げようと思ったら、もう挙げている方がいらっしゃいますね・・・。 彼がいなければ、ニッカはもとよりサントリーや本坊酒造などでの国産ウイスキー生産はかなり遅れたことでしょうね。竹鶴氏がスコットランドで実習した際のメモが「竹鶴ノート」として残っており、それが国産ウイスキーの生産に貢献したことは言うまでもありません。また、この当時(今からおよそ100年前)のウイスキーの製法についての記録はスコットランドにも存在しない(職人の口伝だったとか)ため、「竹鶴ノート」は世界的に見ても貴重な文献となっています。 竹鶴氏はスポーツ活動にも理解があり、蒸留所のある余市町にスキージャンプのシャンツェを作り、そこで練習した笠谷幸生や船木和喜がオリンピックで金メダルを取っております。 余談ですが、竹鶴政孝と池田勇人は旧制中学の先輩・後輩(池田が一学年下)の間柄で、寮で同室だったそうです。布団の上げ下ろしをさせられていた池田勇人がのちに総理大臣になった際、国賓が来日した時のレセプション用ウイスキーに初めて国産ウイスキーを提供するようになったと言われております。 政治家と経営者の「忖度」はこの程度でありたいものです(笑)。
お礼
lolipop-sapporo さん、こんにちは。 >竹鶴政孝氏を挙げようと思ったら、もう挙げている方がいらっしゃいますね・・・。 >彼がいなければ、ニッカはもとよりサントリーや本坊酒造などでの国産ウイスキー生産はかなり遅れたことでしょうね。 うちの家内は、NHKの朝ドラが好きでいつも見ているのですが、昔から私はほぼ見ない、ただニッカウヰスキー創始者の 竹鶴政孝 氏がモデルである事は知ってはおりました、見れば良かったと後悔しても遅いですよね。 >余談ですが、竹鶴政孝と池田勇人は旧制中学の先輩・後輩(池田が一学年下)の間柄で、寮で同室だったそうです。布団の上げ下ろしをさせられていた池田勇人がのちに総理大臣になった際、国賓が来日した時のレセプション用ウイスキーに初めて国産ウイスキーを提供するようになったと言われております。 池田勇人さんは戦後歴代総理の中で、個人的に最も尊敬する人物の一人です、彼には復興途上にあった日本経済への明確なビジョンがありました、故に政権奪取の為の戦いを厭わなかった、現在の少なくない官僚に見られるひ弱い秀才じゃありませんよね・・そこには土性っ骨というものがある。 >政治家と経営者の「忖度」はこの程度でありたいものです(笑)。 蓋し名言であろうと思います。 回答ありがとうございました。
こんにちは。 弁護士の中坊公平さんが浮かびました。 昭和のサムライはのちに 平成の鬼平と呼ばれるようになった・・ ということで。
お礼
coffee-bean さん、こんにちは。 >弁護士の中坊公平さんが浮かびました。 >昭和のサムライはのちに >平成の鬼平と呼ばれるようになった・・ 紛れもなく辣腕の弁護士でした・・その点は認めねばならない、メディアを使ったイメージ戦略も秀逸であったろうと思います。 費用ばかり高いくせして、いざという時に全く頼りにならないひ弱弁護士に、爪の垢を煎じて飲ませたいほどです、ただアクが強い性格故に敵も多かったようですよ、因みに私の周囲はほぼ全員が中坊嫌いでした、私もそうです。 回答ありがとうございました。
- sqqrcxvx
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isokenさんこんにちは。 ダルとマー君が負け先行ですね。マー君は過去3年の勝率は良いので、こんな事になろうとは。ダルは優れた投手ですが、間合いが良くないように感じます。あのリズムでは後ろの野手が疲れてしまう、ダルが投げると点が取れない・・ isokenさんご推奨の前田は2年連続10勝越え投手が目前。ただ5回で降りる試合が多いのは気になります。カーショーはじめ2人の先発がDL入りしたので、先発の座は続くでしょう。 >『 海賊とよばれた男 』・・遅ればせながら読みました、ほぼ肯定的に描かれ 私は前編を途中まで読み放り出している状態です。 現在の合併騒ぎを創業者はどう見ているでしょう? >さてジャンルは問いません、貴方が考える 「 昭和のサムライ 」 をお教え下さい。 今、某紙連載中で伊集院静の、鳥居信治郎一代記。 この作家は余り買っていなかったのですが、今回は読ませますよ。サントリーという名の起源も実はよく知らなくて、これを読んで分かりました。 初の国産ウィスキーを製造販売するにあたり、鳥居信治郎はブランド名に腐心します。名刹の高僧を訪ねヒントを探ります。僧は訊きます「酒造りで最も大切なものは?」「水ですね」「水は即ち日輪です」太陽の恵みで水が創成されるという言う意味でしょう。 日はサン、サン+鳥居=サントリイではおかしいからサントリー。 >ただこれまで持っていた断片的な知識が繋がった気はします、それにしても人生とはいつまで経っても勉強ですね、これでいいという高みに至る事は決してない。 仰る通りで、サントリーの由来が解りました(いまごろになって、些か恥ずかしいですが) 国産ウィスキーという冒険に挑むに当たり、鳥居信治郎は英国からウィスキー造りの権威を招聘しようとします。すると権威から手紙が届き「英国でウィスキー造りを5年修めた竹鶴正孝という日本人が帰国している筈だ。彼を雇った方が合理的だろう」。 そこで2番目として竹鶴正孝 数年前のNHK朝の連ドラのモデルが彼でしたか。英国人妻を連れて帰国するという。お酒に疎い私は、高級ウィスキーに時々「竹鶴」というラベルがあるのを何かなと思っていましたが、彼のことでしたか。 鳥井と10年契約を結んだ竹鶴は、ウィスキー造りにはスコットランドに気候風土が似ている北海道を推す。そこを山崎にぜひ蒸留所をと鳥居が押し切ったんですね。実業家はコストを考えますから、寿屋の本社が在る大阪に近い方が良い。 10年契約が切れた後、竹鶴は独立したいと鳥井に告げ、「日本果実」をつくります。本音はウィスキーを造りたいのですが、鳥井への当てつけになりますので、果実酒を造る会社ですよと。日本果実を略すと「ニッカ」。これでニッカの由来が解りました(笑)。 さて、ここから戦後にまいります。 今現在の政治家の矮小化は・・嘆かわしいですね。池田勇人が創始した宏池会、今の代表者の小粒なこと・・他にはいないのかい?と言いたくなる。 吉田茂がサンフランシスコ平和条約を結び国際社会に復帰すると、吉田に対し強いライバル心を抱く鳩山一郎はソ連へ飛び日ソ共同宣言に調印。岸信介の日米安全保障条約、佐藤栄作の日韓基本条約と非核3原則そして沖縄返還、田中角栄は、もう残っているのは中国だと日中国交正常化。 良い悪いはこの際除外するとして、いずれも今振り返ればやった事に大いなるドラマがありますね。 いつ頃から政治家が小粒になって来た・・?鈴木善幸でしょうか、いえいえ義理の息子である麻生太郎に比べれば大物?です。 有名政治家とは異なりますが 過去にisokenさんと少しお話した村上雅則、偶然とはいえあの頃のMLBに飛び込むなどは大変なこと。 時折BSの解説で顔を見かけますが、良い齢の取り方をしているなという感じです。 女性を挙げる回答者はいないと思うので、少々 扇千景 やはり美しさは武器ですね。当時の女優としては珍しく清楚派とは違う。何なのでしょうね。宝塚のイメージともちょっと違うような。 女優として旬は過ぎても、当時アメリカの影響で流行りかけた「お昼のワイドショー」のキャスターを務め、そして政界へ。 国土交通大臣へ登り詰め、国会での委員会質問では、閣僚席から質問者を逆にヤジり倒す。あっぱれ「昭和のサムライ」でしょう。 デヴィ夫人 昼間は小さな会社の事務員を勤め、夜にはクラブホステスと、昼夜働く10代のけなげな少女・根本直子が美貌だけを売りに如何にに変身していったか・・ 貴重な現代史の証人であり、ドラマティックな人ですねぇ。
お礼
sq さん、おはようございます。 >ダルとマー君が負け先行ですね。マー君は過去3年の勝率は良いので、こんな事になろうとは。ダルは優れた投手ですが、間合いが良くないように感じます。あのリズムでは後ろの野手が疲れてしまう、ダルが投げると点が取れない・・ 昨日はいいピッチングをしたようですが、 「 マー君 ってあんなに球が遅かったっけ ? 」というのが率直な感想です、やはり肘の調子がよくないのでしょうか。 一方のダルは相変わらずポカも多いが力はありますね、本格派に拘る唯一の日本人ピッチャーって感じでありまして、スライダーの切れなんて凄いもの。 可愛いマエケンに目を向けると、運に恵まれているのでしょう、あの防御率で2ケタ目前は有り得ませんし使ってくれてる方が不思議です、 ただメジャーは日程が厳しいですから、ローテの谷間の貴重な穴埋めという側面は元々あった、結局 sq さんが仰る通り余程コマが不足しているんでしょう、もっともメジャー全般に言える話ですが。 >現在の合併騒ぎを創業者はどう見ているでしょう? 創業者の 出光佐三 氏には、私が見てもそれと分かるアレルギーが2つありました、1つは石油メジャーそしてもう1つは労働組合の存在です、そのDNAが今も創業家に引き継がれているのでしょう、今回の騒動の根底には恐らくそれがある。 シェルはほぼ撤退するにしても、現昭和シェル石油にはまだ サウジアラムコ という大物の大株主が控えておりますし・・。 それと、創業家の持ち株比率を 33.92 %から合併否決権のない 26 %程度まで落とす意図で現経営陣が取った方策 ( 少なくとも創業家はそう捉えているでしょう ) ・・、約1400億円の公募増資が怒りに拍車を掛けましたかねぇ。 何れにしても、撤退を意図していた ロイヤル・ダッチ・シェル にとって、出光が昭和シェル石油の株を引き取ってくれるという話は、渡りに船だったろうと思います、しかも私ですら首をかしげる高コストでの取得でありましてね、・・であるが故に逆に出光の現経営陣からすれば今更後戻り出来ない、合併話を白紙撤回して株式を売却という事になれば、出光本体に重大な損失を与えかねませんから・・。 >今、某紙連載中で伊集院静の、鳥居信治郎一代記。 >この作家は余り買っていなかったのですが、今回は読ませますよ。サントリーという名の起源も実はよく知らなくて、これを読んで分かりました。 株式上場を嫌う大企業という点で、かつての出光 ( 既に上場済み ) とサントリーには共通点がありましたが、サントリーの一族支配は出光の比ではありません。 sq さんも御存知でしょうが、かの有名なサントリー・ホールディングスは、 その株式の9割近くを占有する 寿不動産 という持株会社傘下の一企業に過ぎない、そして株式非公開の寿不動産の株式は、鳥井創業家&佐治一族で70%以上所有しておりまして、支配体制は盤石です。 ただまあ建前上、サントリーは飽く迄も個人商店ですからとやかく言う事ではありませんが、私が酷いと嫌悪感すら感じたのは、オーナーでも大株主でもない、一介のサラリーマン社長とその系譜に連なる安西一族が人事を壟断し、完全に私物化したかつての東京ガスという企業、そりゃ有り得んだろうと・・。 >本音はウィスキーを造りたいのですが、鳥井への当てつけになりますので、果実酒を造る会社ですよと。日本果実を略すと「ニッカ」。これでニッカの由来が解りました(笑)。 1つ勉強になりました、全く知りませんでしたから。 >今現在の政治家の矮小化は・・嘆かわしいですね。池田勇人が創始した宏池会、今の代表者の小粒なこと・・他にはいないのかい?と言いたくなる。 小粒云々に関しては全く同感です、魅力的な政治家が皆無加えて泥を被る悪代官もいない、みんな小じんまりとしましてね、今井某ではありませんが出て来るのは下ネタばかり、 「 スピード だか MAX だか知らないが、まったく税金もらってエッチばかりしてんじゃね~よ 」 ・・と。 ついでに言うと、民進党後任代表選に出馬を噂されている顔触れのまあ酷い事、腹が立つのを通り越して呆れ返っちゃいました、 前原さん に 枝野さんって・・ 「 はぁ~~ ??、とっくに終わった人でしょう 」 ・・と、結局彼等に送る適当な言葉は 「 単なるお馬鹿ちゃん 」 ってのしか見つからない、当の御本人達は利口なつもりでいるんでしょうねぇ。 ここは一番 小林旭 に出張ってもらましょう、そして彼等を前に「 む~かしの名前~で 出て~い~ま~す~ 」 と歌って欲しいのです。 結局のところ、安倍長期政権最大の応援団は彼等に他ならない、つまり民進党を含む史上最弱の野党連合・・、都議選こそああいう結果に終わりましたが、国政選挙はまたぞろ自民党の勝利でしょう、安倍さんの支持率低下もさほど問題にはならないと思います、何せ受け皿が全くありませんから。 さて以下ポスト安倍さんに限定しての読み筋を言わせてもらうと、今後は 岸田 さん後継という線を軸に収束して行くものと思われます。 sq さんが仰る通り確かに思いっ切り小粒です、ただ今の御時世出る杭は結局打たれちゃう事を思えば、安倍さんの禅譲を狙うのが最良の方法論かも知れません。 人事というものは結局最後は好き嫌いです、その点は政治の世界も一般企業も変わりはしない、・・と言う事で残念ながら 石破茂 さんの目は無いでしょう、党員票も前回ほど盛り上がるとは思えない、それ以上に党内基盤が弱いですね、党内冷や飯組 額賀派 との弱者連合を模索するのでしょうが、数の論理で捻じ伏せられると読みます。 他方 稲田姫 の出番はもう100%ない、これは断言出来ます、力量を遥かに超えるポスト・・安倍さんからすれば親心だったのでしょうが、可哀想でした・・贔屓の引き倒しに他ならなかった。 それ以上に政界は嫉妬が蠢く世界ですから、3~4回生であれだけ日の当る場所ポストを与え続けられた反動で、今後徹底的に干されると思います、それと同性受けが悪いのは ヒラリー と同じで致命傷でしょうね、恐らく。 >いつ頃から政治家が小粒になって来た・・?鈴木善幸でしょうか、いえいえ義理の息子である麻生太郎に比べれば大物?です。 「 善幸 Who ? 」その頃私は大学生でした、クラスに盛岡出身の男がおりましてね、盛岡ローカル紙の社主の倅でしたが、善幸さんに関して熱く語るのです、 「 そんな小物・・知らね~よ 」 と馬鹿にすると、そいつが怒るまいことか。 総務会長を何期も勤め上げたそれなりの大物だったんですね、当時全く知りませんでした、 「 善幸さん ・・ ごめんなさい ! 」 。 それにしても 麻生太郎 さん・・、総理在任中はいつも苦虫を噛み潰したようなお顔で、口をへの字に曲げておられたが、政界で今一番元気なのはこのおじさんでしょう、常に笑顔が絶えませんよね、万一安倍政権が倒れた後のショートリリーフに色気たっぷりという印象でありまして。 >扇千景 嫌なものは嫌!、ただ一言、女は度胸と申し上げておきましょう。 >デヴィ夫人 >昼間は小さな会社の事務員を勤め、夜にはクラブホステスと、昼夜働く10代のけなげな少女・根本直子が美貌だけを売りに如何にに変身していったか・・ >貴重な現代史の証人であり、ドラマティックな人ですねぇ。 若い人の中には、バラエティに出て来て 出川哲郎 辺りにいじられてるど派手なば~さんと思ってる人が少なくないかも知れませんが、このお人はもう口をきくシーラカンスと言っていいでしょう、現代の化石が失礼ならば生きた伝説、sq さんも仰る通り、決して大袈裟ではなく デヴィ夫人 ほど波乱万丈の生涯に身を委ねた女性は数少ない。 御亭主 スカルノ 元大統領がお亡くなりになり50年近い歳月が流れましたが、彼女と言えば今尚現役バリバリ・・いや女性とは逞しいものです。 児玉誉士夫 氏に手籠めにされかかったとかそうでなかったとか、そんな事はどうでもいいが、喰った男も多士済々、 津川雅彦 そして 勝新 に 松方弘樹 、果ては作家の 笹沢佐保 さんに嘘か真か アラン ・ ドロン 、私が言ってるんじゃありません、当の御本人が暴露しておられますよね。 ところで デヴィ夫人 が20代の殆どを過ごした ジャカルタ は、私にとっても思い出深い街の一つです。 シンガポールから乗った飛行機が、遥かボルネオで起こった大火災の煙が偏西風に乗り視界を妨げられて、緊急着陸したのが スカルノ・ハッタ 空港、あの時の恐怖は今でも忘れられない。 ついでに言っちゃえば、ジャカルタ駐在員とナンパに出掛けたホテルのディスコで見掛けた、華僑の若者が転がす メルセデス や BMW の群れ又群れ・・、貧しい国の格差社会を思い知らされたものです。 回答ありがとうございました。
昭和のサムライと言えば、世界のホンダ、ソニーの盛田とか並べたいところですが、最近の日本経済の低迷を象徴するかのように創業家の凋落・不名誉な事件を見るにつけ、これが日本のサムライだよ~と北島三郎が歌えるような人物が思いうかびません。 もちろん、白洲次郎、白洲次郎が仕えた吉田茂や、鈴木貫太郎など偉大な先人の名はうかぶものの、あまり詳しくは知りません。ましてや財界人となると、過去の読書量が諸兄姉とは圧倒的に少ない私は、恥じ入るばかりです。 その中で、20年以上昔に読んでいまだに忘れえぬ人の名は、住友商事・鈴木朗夫。 佐高信が、『逆名利君』というタイトルで著した鈴木の評伝は、まことに軽妙洒脱で スタイリッシュな鈴木の生き様を活写した佳作です。 遅刻の常習犯で、会社の規律や日本的慣行に徹底的に反抗し、制度と闘いながらも、 当時の大手6大商社の中で最年少役員に出世した鈴木朗夫氏の生き様は、1987年に56歳の若さで亡くなるまでに住友商事の中で無数の伝説として残っています。 http://sougoushousha.seesaa.net/article/375511461.html?seesaa_related=related_article あとは、相変わらずお前の視野は狭いなぁと笑われるかもしれないですが、 VANジャケットの創業者の石津 謙介さん。 この人も事業に失敗し晩年はあまり注目されませんでしたが 戦後の日本の服飾文化を創造したサムライだと思います。 この人のあとをついだのが柳井さんでありスケールは小さいけど ちょいワルオヤジで一世を風靡した岸田一郎氏。 女にモテたいという欲望は「武士の志」とはかなり縁遠いですけどw
お礼
ex さん、こんばんは。 >その中で、20年以上昔に読んでいまだに忘れえぬ人の名は、住友商事・鈴木朗夫。 >佐高信が、『逆名利君』というタイトルで著した鈴木の評伝は、まことに軽妙洒脱でスタイリッシュな鈴木の生き様を活写した佳作です。 勉強不足でお名前を存じませんでした、そもそも住友商事に関しては全く接点がなかった為当然知識もなく、 深田祐介 氏著 『 炎熱商人 』 に出て来るマニラ支店の顛末ぐらいしか知りません。 ところで私が知る 佐高信 さんという人は、ポピュリズムには徹底して背を向け、世の中を若干斜めに見る或る種の原理主義者という印象なのですが、その彼が題材として取り上げた伝説の商社マンとは非常に興味をそそる対象です。 今早速ググってみると、かつての花形鉄鋼部門の出身ですか、商社ってのは徹底してスペシャリストを育てる組織ですよね、鉄編はほぼ一生鉄に関り本部内を転々と巡るのみ、その一方で取扱高至上主義と言う冷酷な数字の世界でもある。 儲からない部門は組織ごとビルの階下に降りて来て、部門の専有面積とプロパー社員が削減される他、或る意味信賞必罰で非常に分かり易いが、そういう環境こそが タフ・ネゴシエイター を育てるんでしょうね。 さて史上最大の丁半博奕と呼ばれる石油関連ビジネスですが、例えば一時期の三菱商事が総合商社トップの地位を不動のものにしたのは明確にブルネイLNGの成功があったからこそ、反対に IJPC でずっこけた三井物産は、一説に依ると8000億円とも言われる大損益を計上してその屋台骨が揺らいだ事もありました。 もっとも男子一生の仕事と呼ぶに相応しく、途轍もなくスケールが大きいのも確かでありまして、その面白さも恐らく他の追随を許さないでしょう。 時代は移ろい、私が知る商社マンの世界が一体どこまで踏襲されているかは全く想像もつきません、但し少なくとも月105時間程度の残業が死に至らしめるレベルであれば、商社に限らず過労死した人間は幾らでもいたでしょう、それと今後一部の業種に於いて、女性総合職というものが狭き門と成らざるを得ないのもまた確かであろうと思います。 回答ありがとうございました。
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お礼
5minutesmore さん、こんにちは。 >侍たちと言えば、若くして国に命をささげた「神風特攻隊員」も、そう呼んで良いでしょう。 「 神風特攻隊員 」 はサムライだったかも知れないし、必ずしもそうではなかったかも知れない、ただ戦後の平和社会に生きる我々として感謝するのは当然じゃないでしょうかねぇ、それを戦争と混同して語る切り口が私には不可解なのです。 聊か風向きが変わって来た気がする昨今ではありますが、以前はテレビの討論番組を観ておりますとね、戦前戦中の全否定を、或る種の先進性・健全性と捉える幼稚な議論が罷り通り、呆れ果ててチャンネルを変える事がよくありました。 そもそも当該テレビ局そしてその背景にある大新聞社に依る、最初に結論ありきの明らかな情報操作・茶番ですよね、結局目指すところは 「 偏狭なナ ショナリズム 」 VS 「 正義の リベラリズム 」 という馬鹿馬鹿しいまでの構図です、果ては 「 ヒロイズム の極致 」・・、特攻隊員をそうばっさりと切り捨てたパネリストを見た事すらあります、それは違うだろうと。 >将来の夢も見られず、国のために命をささげた若者も、忘れないでほしいです。 ことさら英雄視する必要はない、尾鰭背鰭を付けて語り継ぐ必要も全くありませんが、忘れちゃならないですね、それは決して大袈裟な事ではなく、愛する国や家族を守る為に死んで行った人々に対する、自然な感情の発露という点に於いて。 その昔 テルモピレー の戦いに於いて、ギリシャ連合軍の一角を担い、雲霞の如きペルシアの大軍を3日間に渡り食い止めた果てに玉砕した スパルタ の兵士達を祀った石碑には、こう記されていたと伝えられ ( by ヘロドトス )、尊敬の念を以って今に語り継がれております。 「 旅人よ 行きて伝えよ、 スパルタ の人々に。 我等かのことばに従いてここに伏すと 」 回答ありがとうございました。