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怒ってくれる人がいるのは幸せなこととは言いますが
「怒ってくれる人がいるのは幸せなこと」とは言います。確かに年と取って怒られなくなると成長が危ういです。 ただ、有益に怒ってくれる人を手に入れる方法がどこにも書かれてないんですよね。 もしかして怒られた時の慰めとしてしか「怒ってくれる人がいるのは幸せなこと」を使用してないのえしょうか? 怒ってくれる人を見つける方法まで書き記して始めて「怒ってくれる人がいるのは幸せなこと」という考え方は生きるのでは?と思いました。
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「怒ってくれる人がいるのは幸せなこと」は,注意を受ける姿勢を説いているものであって,誰が怒ってくれるのか,叱ってくれるのか探すものでは無いでしょう。そのために,そのような方法は書かれていません。 究極を言えば,自分以外のどの人からも叱られる体勢ができており,それをカテにできる人であることを良しとしているでしょう。その謙虚な姿勢にのみ自分の成長はあるということではないですか。
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- sakura-333
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怒ってくれる人と言うより教えてくれる人でしょうかね。 聞き入れる耳を持って真面目に取り組んでいれば、有益な情報を教えてくれる人は必ず出てくる気もしますけど・・
怒るというのは、とてもパワーがいる事なんです。 それをしてくれるわけですから、その人とあなたの関係が重要になってくるんです。 そういう関係をあなたが築くことができるかというところでしょうね。 知らない人に怒ったってめんどくさいだけなので、まぁ、怒りませんからね。
- izumi044
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他人の言葉を糧に出来るかどうかは、方法論ではなく本人次第。 言われた意味すらわからないなら、学べないし 言われたことの意味を考えず、ただ反発する人も、また学べない。 それならば普通は、この段階で見捨てられます。 学ぶ姿勢のない人間が、自分の成長のために叱ってくれといくら声高に叫んだとしても、果たして協力者を得られるものでしょうか。 それは本末転倒というものでしょう。 自分の成長のためにと思うなら、論語でも読めばいいじゃないですか。 自分に置き換えて読めるならば、身につまされる話は山とあります。 自分の心がけひとつで、何も得られないのか、多くを得られるのかが決まるだけです。 トップは先人の言葉からも学んでいるのですから、叱ってくれる存在は方法論で説くものではなく、自分で見つけ出すものだと思いますよ。
- bakudanmentai
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見つける方法はないでしょうね。 先生や師匠となる人が自分のまわりにいるかどうかですよね。
- 5minutesmore
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君を怒っても仕方がない。 なぜなら、反応が無いから。
「怒ってくれる」じゃなくて「叱ってくれる」ですよ。 似てるけどこの2つは全く違います。 怒るは単に自分の感情の発散でしか無いです。 叱る相手を思っての事です。 一番身近な存在と言うなら親でしょうけどね。 何歳になろうがどんなに偉くなろうが叱れるのは親だけです。 見つける方法なんてないですよ。 相手が貴方を思っての行為ですからこっちが選ぶ事はできません。 選ぶ権利があるのは叱る側の人間です。 愛想を尽かされればもう叱ってはくれないです。 叱るとはそれが本人の為になると思ってする事ですからいくら叱っても全く反省すらしないとなれば無駄な事です。
- nonamelane
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>怒ってくれる人がいるのは幸せなこと もしそれが本当にあなたのためになることなら、です。意味なく怒鳴り散らしたり、方向違いや当てつけ、感情で怒る人が周囲にいたらそれは不幸ですよ。私はその人のためを思って時に怒ってくれる人は、普段から自分で作っていく、関係を育てていく存在だと思っています。昨日や今日に来て、急に怒るのは頭のおかしい人ですよ。そういう人に他人の何が分かるでしょう。中には自分の不利益になることだけ怒鳴り散らす人がいますが、それは決して怒ってくれる人がいるだけ幸せ、には入らない気がします。 現在、私を怒ってくれるとすれば私の子供です。朝早く起きなさい、忘れ物をしないで、遅刻しないように、あれを持ったかこれを持ったか、歯を磨いたか、髪をとかしたか、靴を磨いたか、それ以外にも口うるさく言ったものです。年をとりいつか同じようなことを言われたら、自分が言った言葉が返ってきたと懐かしく思うかもしれません。その人のためになると思い怒ってくれる関係は、長くかかって自分で築くものと思います。コンビニ前で煙草を吸う高校生に説教をする老人はいないでしょう。言ったところで殴られるのがおちだと分かっている、同時に彼らは怒ってくれる人を失っていると言えます。怒ってくれる人がもしその人のためを思うなら、アドバイスをしたいと思わせる何かを過去に築いている場合がほとんどではないでしょうか。
- inuusagi_8
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叱ってくれる人が何人かいるという前提であれば、 その怒りが「相手の損得に関わる」なら無益である可能性が高く、 「相手の損得には何の関係もない」のに「叱った人の利益のために」あえて忠告してくれたことであれば有益である可能性が高いです。 相手が何の為に怒って(くれて)いるのか、 その真意をあなたが正しく判断できていれば有益か無益かは判別できると思うのですが、ご自分では分かりませんか。 そういう人は手に入れるものではなくて、あなたが普段から頑張っている姿を知っているから応援しよう、手助けしたいという気持ちで口に出してくれるものだと思います。 そしてそうしょっちゅう他人に口を出すような人ではありません。 大人になって誰かを叱るなどという面倒なことをしてくれる人には、 そもそも利害関係で知り合うことが少ないです。 >怒ってくれる人を見つける方法まで書き記して始めて「怒ってくれる人がいるのは幸せなこと」という考え方は生きるのでは? 果たしてそうでしょうか。 あなたのために怒ってくれる人は、あなたがこれまで付き合ってきた人間関係の中に必ず存在すると私は思います。 そして少なからず怒られてきた経験があるはず。 その中で、どういう人の叱咤がどういう結果に結びついたのか。 結果からどのような経験や反省をもたらしたのか。 叱られた意味をきちんと反芻するような人であれば、そんな方法を書き記さなくても経験から「あの人のあの時の怒りがそうだったのだな」と後からでも分かると思いますよ。 私の元友人たちにも、かつて「有益に」怒ってくれる人がいました。 何の得にもならないのに、彼女のこれからを思って厳しい意見も口にしていたのですが、彼女たちはそれを素直に聞き入れる耳も心も持ってはいませんでした。 楽な方、楽しい方、辛いことを受け入れる前に安易に逃げる道を選び、 結局お金も長年の友情も、目論んでいた幸せも何も手にはしていません。 怒ってくれる人は身近にいるものです。 だけどあなたが何もしないでただ怒ってくれる人などいません。 何気なく関わっている周囲の人であっても、あなたの良さに気付き、あなたを信頼し、幸せを願おうと思ってくれるほどの関係をあなたが今築けているのか。 そこが大事だと思います。 何度も言いますが、あなたを叱るほどあなたのことを真剣に思ってくれる人というのは見つけるものではなく、基本的には既にそこにいるはずのものなのです。 ただしそういう人いるかいないかは、あなたが日々関わっている中で無意識に培ってきた信頼関係や絆、友情や愛情がそのまま反映されていると思って下さい。 上辺だけで付き合っている人は、上辺だけ心配してくれるふりをする人しか残りません。 人を利用して自分が得をしてきた人には同じように人を利用して付き合う人が近づいてきます。 あなたが心を込めて、自分より相手のことを思って付き合ってきていたとするならば、あなたのことを思って叱ってくれるような人は必ず存在するはずです。 本気で相手を思って叱ってくれるほどの愛情豊かな人というのは、 自分にしてくれたことだけでなく、相手が人とどう付き合っているかというのを見抜く力にも長けています。 裏表のある人には、どんなに親切にされても必要以上に踏み込まないでしょう。 怒ってくれる人がいるのは幸せなこと。 それは言い換えると、「他人があなたのために怒ってくれる程に心を通わせることができたあなたは幸せな人」ということ。 その存在や有り難さに気付くことが、見つけるということではないでしょうか。 怒りを受け止める側に正しく受け入れる力があるならば、 「怒ってくれる人がいるのは幸せなこと」という考え方はわざわざ方法を書き記して教えなくてもすんなりと受け入れられるものだと思います。
怒ると言うか、注意や助言などした時に、それを1度素直に受け入れたり改善するべきところを改善する姿勢が、全くない人がいます。そうすると、注意しても無駄!と思ってしまいます。上司でも部下でも叱ったり・注意するのは相手を思わないと(でない場合はもちろんあります)出来ないのに。なので、言われるままと言う意味ではなく、相手の進言を受け止める素直な気持ちや態度を持っていれば、必要があれば叱ってくれたり注意してくれる人は現れるのではないでしょうか?
- SPS700
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何事も教師、または反面教師として自分に役立てる知恵が必要です。お膳立てを待っていては年をとるだけです。 亀の甲より何とかと申しますが、年をとったら、なぜ怒るのか、自分はどこが間違っていたのか、どうすれば回避できるか、と考える知恵ができるからでしょう。 おっしゃる通りただ叱られるだけでは単なるドSで「年と取って怒られなくなると成長が危ういです。」