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食事の前に、手を合わせますか?
もういい年ですが、実家や自宅では、食事前に手を合わせたことが有りません。 料理番組やバラエティーなどでは、必ずと言っていいほど手を合わせていますが、本当に日本では手を合わせるのが常識というか、慣習になってるのでしょうか? 私が常識外れなのか、気になりました。
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私はアラフィフの男性ですが、私たちの時代は戦争を経験した祖父や祖母 と一緒にご飯を食べていましたから、手を合わせて「頂きます」と 言わなかったら叩かれましたし、食べさせて貰えませんでした。 即に言う行儀よくしなさいという教えです。 手を合わせないという事は料理を作ってくれた人に対しての感謝が 無いと言われました。 私は母子家庭で成長しましたので母親が働いている時に一人で食べる 事も多かったですが、一人の時でも手を合わせて「頂きます」と 必ず言いましたね。 結婚してからでも妻が作ってくれる食事にも必ず手を合わせて「頂きます」 と言いますし、外食した時でも家族全員で手を合わせて「頂きます」と 言ってから食べるように躾けてきました。 もちろん食べ終わったらどんな時でも「御馳走様でした」と手を合わせます。 食事であろうが物を提供してくれたりするものは感謝に始まり感謝に 終わるという事を意識しなさいと育てられたので無意識のうちに 手を合わせて食べていますね
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- kamuiga
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常識にはなってないですが、たまにやるぐらいです
お礼
ご回答ありがとうございます。 その「たまに」は、どんな時なんでしょうね。 周りがやる時、妻が美味しい料理を出した時、仕方なくするという事も有るのでしょうか。 少し微笑ましいですね。 有難うございました。
戦前生まれです、御飯の前いただきますと終わった後はご馳走様といううのが 当たり前で言わないと御飯を食べさせて貰えなかった。 現在はこうした礼儀躾がされていないのは残念におもいます。 ホテルで手を合わせて御飯食べたら変な目で見られましたよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 終戦前後は、今よりもちゃんと言ってたのですね。 私の家族も言ってたと思いますが、手は合わせてなかったかもしれません。 下町の貧乏家族だからでしょうか。 ただ出かけるときと帰った時の、「行って参ります」と「ただいま」は何時も大きい声で言ってました。 親は「行ってらっしゃい」と「お帰り」です。 食事の時も、みんなが「頂きます」というような同じことを言って食べたという記憶が有りません。 「頂きます」は、こどもが親に言う言葉で、親に対する感謝の言葉ということだったと思います。 母親は「はいどうぞ」「おあがりなさい」みたいなことを言ってたと思います。 親父は威張って、黙って食べてたと思います。 他の家族がどう食べてたかなど、TVもない時代でわかりませんでしたね。 今は、幼稚園や小学校で、手を合わせて、みんな一緒に「ご馳走様」を言ってるのではないのでしょうか。 今のほうが、やればできると思いますが。 最近、海外にパックツアーでちょくちょく行くのですが、知らない同士が丸テーブルを囲んで食事することが多くあり、その時は「いただきます」の代わりに、自然にグラス片手の「お疲れ様」の乾杯で始まります。 外では、ケースバイケースですね。 有難うございました。
- hue2011
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これは、日本でいうと仏教から来た習慣なんです。 実は別のジャンルの質問で、いただきますは日本軍が言わせたみたいなことにこだわる人がいて、かかりあいになりたくないので何も言いませんでしたが、本質的なことだとわかることがありますので、お話します。 若いころ、海外協力隊にいった友人がいました。これが帰国して話したことのなかに、家族を食べるという話があった。 家族と言ってもまあ家畜です。豚や何かと、そいつが生まれたときからつきあって一緒に暮らし、一緒に抱き合って寝たりするような暮らしをしている。 遠来の客人なんかがあったときに、とびきりのごちそうをしなければいけない。そこでこの、兄弟のように育った豚を提供することを家族で決める。さしたる文明経済があるような社会でないから、もてなすとなるとこういう選択肢しかないわけです。 で、今朝まで一緒に寝て、呼吸のやりかたも、喜ぶこといやがることも全部知っているこの豚の後頭部に槌をばんと当て即死させるわけです。いやがって暴れたら肉がまずくなるのと、そんな残虐なことはできないので、ダマシ撃ちをするのです。 さて、もう肉になってしまったこの豚をばらさなければならない。クビを持ち足をもちあげたりすると、さっきまで抱いていたあの体温が感じられる。胸を触ると心臓がまだ動いているんじゃないかとも思える。 それを皮をはぎ、内蔵をとりだし、内蔵は内臓としてまとめ、肉は肉として切り刻むのです。 客の前にもっていって素焼きの板の上で焼いたり、ナベにいれたりします。 客に食べさせるとともに、自分もお相伴しないといけません。もてなしなんですから。 そのときに、ほんとうに自然に、こころの底から発生してくる感情にしたがって、手を合わせ「いただきます」といわないでは食べることができない、と友人は言っていました。食べ始めたら、残すわけにはいかない、命を無駄にできないからとにかく誠意をもって食べつくし、最後に「有難う、ごちそう様でした」とまた合掌する気持ちになる。 本来、そういうことから「いただきます」が発生したという彼の説は完全に納得しました。 だから、仏教で、あらゆるものに命があり、その命をいただいて自分の命にするからいただきますだ、というのは正しいので、それが宗教的に言われると、きれいごととかこじつけに聞こえるだけなんです。 宗教的といえば仏教にかぎらないわけで、キリスト教でも「神よ、糧をお与えいただきありがとうございました」と家長が祈りをささげたあとで皆が食べ始めるというのは同じ神経から来ています。 で、この話で収まりかえって、だから「いただきます」は必要だ、とまでは言えない。 チータが野鹿みたいなものをとらえ食べるときに「いただきます」の感情はないでしょう。神よ糧をお与えいただき感謝しますも考えないでしょう。その糧は自分の努力で得て、その報酬なんですから。 野生動物が他の生き物の命を奪うのは自分の命を保つためであり、それは自然の当然の行為です。魚がプランクトンを憐れんで吸い込んだりはしません。 宮沢賢治の「よたか」が、ただ飛んでいるだけで口に入ってくる虫たちを憐れむ心理が書いてありますが、まあこれは普通あり得ないことです。 人間が、ある種の価値観で命を見つめ、別の観点から評価をくだそうとしたときに「いただきます」が発生するわけです。 この価値観を共有できないのに無理に手を合わせる必要はないと思います。 ただ、手を合わせる人は、それなりの意味とか考えがあってやっているということをご理解いただけばいいとは思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「家族を食べる」という言葉は初めて聞きましたが、少しショックですね。 気持ちは分かりますが、そこまで考えると、食べられなくなりますね。 昔、我が家でも鶏を二羽ほど飼ってて、毎日生んだ卵を食べていました。 卵を産まなくなったら、殺して食べていました。 首をはねるときは可哀想と思いましたが、食べるときには忘れていました。 牛や豚も殺すときのことを考えると、食べられなくなりますね。 魚も、釣り上げたときに、死んで目を閉じたら怖いと言ってました。 実際は瞼が無いので、閉じることはありませんが、想像すると怖いです。 感謝するのは、養豚場の人や、漁師さんまでに止めたほうがよさそうです。 個人的には、料理してくれた人に感謝するのが、子供に解かり易くて良いと思います。 おっしゃるように、人それぞれの気持ちや態度で、感謝の気持ちを表せばいいですね。 価値観を共有する人が、身近にいれば最高ですが。 有難うございました。
- sansyokudangox
- ベストアンサー率13% (80/600)
私も家では手を合わせたことはありません。 食事はあるCMの「早く食べないとなくなっちゃくよ」って感じでした。
お礼
御回答ありがとうございます。 家では手を合わせない人は、結構いそうですね。 やはり「お百姓さんありがとう」というところまでは、考えが及ばないということでしょうか。 CMの件はよくわからないのですが、兄弟が多かったということでしょうか。 一人っ子の僕には、みんなで争って食べる賑やかさは、羨ましく思えます。 家では、仲良く食べれば、それに越したことはないですね。 有難うございました。
- 00000000aa
- ベストアンサー率26% (385/1478)
こんばんは。さすがに家ではやりません。頂きますは言いますが手を合わせるまでは…感謝の気持ちは大切ですが自然に出たものならいいですが○○じゃなきゃいけない、となると体育会系みたいで不気味です。食事時間がまちまちで一人食事が多いですが、一人の時に逆に手を合わせたり…ぼちぼちやればいいと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 御同輩の登場ですね(失礼しました)。 僕は、独身が長かったので、1人の食事も長く、ほとんど無言でした。 最近は、外食では「頂きます」はいいませんが、レジでは必ず「ご馳走さん」と言います。 お店に対して「美味しかったです」の意味もあります。 たまには、お百姓さんや漁師さんにも、感謝しないといけませんね。 本当は、テレビを作ってくれる工員さんにも、洋服を作ってくれる中国人にもですね。 有難うございました。
- E-1077
- ベストアンサー率25% (3258/12620)
私を含めて我が家は全員手を合わせますね。ちなみにごちそうさまの時にもやります。また、外食で先に料理が来た場合などは「お先に頂きます」とかいいます。 常識外れとまでは言わないと思いますよ。 全員必ずというわけではなさそうですし。
お礼
ご回答ありがとうございます。 明るい家庭が想像できますね。 それは奥様の、躾の賜物なんでしょうか。 または、ご主人が幼いころからそういう環境で育ったのでしょうか。 以前、大きな社員食堂でランチを食べてた時は、殆どの人は手も合わせず、頂きますも言わずに食べてましたね。 1人でランチを食べに行ったときにも、手を合わせるのでしょうか。 僕は恥ずかしくてできませんね。 昔、家では、子供が親に「頂きます」と言って、親は子供に「はい」とか「どうぞ」とか行ってたかも知れません。 そういえば、「ご馳走様」に対しては「はい」や「お粗○○様」と言ってました。 どちらも、親子そろって、同じことは言ってなかったですね。 有難うございました。
- maiko0333
- ベストアンサー率19% (839/4401)
食べられる食材に対して「お命、頂きます」 作ってくれた百姓さん、水産業者さんに「ありがとう、頂きます」 調理してくれたお母さん、奥さんに対して「ありがとう、頂きます」 という意味で手を合わせます。 私が汗水たらして得たもの(お金→食材)に対してであるから 礼などいらないという考えもありますね。 それぞれでいいと思いますが、TVなんかでは「見てくれ」が悪かったり、 揃って手をつける合図だったりしますから それが常識ということではないと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私の場合は、半分無意識に、半分は母親に「いただきます」と言ってると思います。 その時はすでに箸を持ってるので、両手を合わせることはできません。 する習慣もなかったですが。 お百姓さんたちに感謝してというのは素晴らしいと思いますが、何か格好良く、近作られたことのように思いますが、昔からそうやってたのでしょうか。 私の記憶では、幼稚園や小学校(昭和30年代)でやってた記憶はありません。 最も最近は物忘れが激しいですが。 行儀のいい人は、家で一人で食べるときも、手を合わせるのでしょうか。 宗教心の薄い日本人は、あまり気にし無さそうですが。 男の私は、人前で手を合わせて食事をするというのは、何か恥ずかしきがします。 参考になりました。 有難うございました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 良い家庭で育ったようですね。 良い習慣は、引き継がれるほうが良いと思います。 それが文化と、永六輔が言ってました。 家庭では、それぞれの躾が有るでしょうが、社会に出たときに恥ずかしい思いはしたくないですね。 「うちでは違ってんですけど」が通らない場合もありませね。 「娘たちは大丈夫かな」と少し不安になりました。 蛇足ですが、箸の持ち方だけは、シッカリ躾ました。 その甲斐あって、二人の娘は大変綺麗な箸の持ち方をします。 「感謝に始まり、感謝に終わるという事を意識する」いい言葉ですね。 私も年を取って、少しは素直に感謝できいるようになりました。 しかし「頂きます」と「ごちそうさま」は、今更という気持ちもあって言いませんね。 ただ、老後の介護の事を考えて、食後は妻に必ず「美味しかったよ」と言います。 少し抵抗のある場合もありますが。 有難うございました。