はいはい、では説明して差し上げます。なに、そんな大仰な話ではありません。
きっかけは「普通に爆弾を落としても当たらず、しかも米軍の激しい対空砲火に撃墜されてしまう」ってことでした。米軍に損害を与えられないうえに、こっちの飛行機が全部やられてしまう。どうせ撃墜されちゃうんだったら、もう突っ込んじゃったほうが早くね?という提案が出てきてしまうのは必然ですね。でもさすがの日本軍もそれを実行するのはすごく迷ったのです。そこで最初は「今回だけの限定。まずはお試しで」ということでやったのです。
やるに当たって、海軍はなんとよりにもよって「爆撃の神様」と呼ばれる人にお前がやってくれと頼んだのです。もちろんその人は「俺ァ突っ込まなくても当てられますよ」といったのですが、「あの人がやった」となればみんなが納得するからと説得されたのです。「俺がこんなことをやるようになるんだから、この戦争は負けるよ」というのが出撃前の最後の一言だったそうです。
そしてやってみたら、これが予想を大幅に超える大戦果を与えたのです。この「予想以上の大戦果」が禁断の快楽になってしまったんですね。結局「あの大戦果をもう一度」でその後は神風攻撃が段々主流になってしまったのです。というか、もう神風攻撃以外で米軍に損害を与えることがほとんど不可能になってしまいました。
実は、意外に思うかもしれませんが陸軍航空隊はこの神風攻撃に非常に冷淡でした。陸軍ではパイロットってやっぱりエリートだって認識されていたのです。だから最初の頃は神風攻撃をしたのは海軍だけでしたし、陸軍はその参加を拒否しました。
話が横道にそれますが、ゼロ戦や一式陸攻が防弾装備が皆無だったので日本軍の航空機って人命軽視ってイメージが強いですけれどそれは海軍機の話で、陸軍機ってちゃんと防弾装備もしていたんですよ。爆撃機なんて二酸化炭素ガスの消火装置なんかも持っていたのです。ただ、その代りとして防弾装備で重量をとられるので爆弾の積載量が少なくなってしまったのですけどね。そのためカタログスペック至上主義の戦後ミリタリーマニア界隈では陸軍機は長く「使い物にならない」と酷評されてきたのです。防弾装備はカタログデータに出てこないし、爆弾積載量はカタログに出てきますからね。
だけど戦局の悪化で、陸軍もそうもいってられなくなりました。「海軍は体当たり攻撃までして必死で戦ってるのに、陸軍は甘いんじゃないか」っていう世間の目が厳しくなっていったのです。
だから要するに「みんな特攻してるんだから(君もやれ)」ってことなんですよ。みんなが残業してるのに、お前だけ自分の仕事が終わったから帰るのかってのと同じです。会社が潰れそうなのをみんなサービス残業でなんとか頑張っているのに、家族の介護があるからってお前だけ残業しないってかってことです。
1945(昭和20)年になると米軍も対処法を編み出し神風攻撃でさえ有効な損害を与えられなくなってきました。さらに困ったことに、戦局の悪化で各地の物資が届かなくなったので爆弾がますます貴重になったのです。人間は一杯いるけど、爆弾が限られる。どうすればいいかはもう簡単ですね。
それでもう、有効な攻撃方法ではないことに日本軍も気づきながら「かといって他に良い方法も思い浮かばず」で、もう最後の3ヶ月くらいはかなりダラダラでやっていたような感じですね。それが戦後に愛国者諸兄によってやたらと美化されただけのことです。
質問者さんだってさ、「周りの人たちはみんな特攻しましたよ」っていわれたら、僕だけは嫌ですとはとても言えそうにないでしょう?私も「友達や知ってる人がみんな特攻で死んじゃったのに、俺だけ拒否して生き残るのは夢見が悪い」って思いますよ。