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薬物依存で刑期中の息子に為になる本を紹介下さい。

息子46歳が横須賀刑務所に服役中で残すところは8カ月余となっています。 そこで彼のために役立つ(二度と手を出さない・反省させる)心にガッツっとくる薬物依存者への教訓の本がありましたらご紹介ください。本人中卒ですので学歴に適した内容の本をお願いします。 施設内でも教育がなされているかと思いますが、親からの一冊を4月の新学期とした気分で 送りたいのです。宜しくお願いします。

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回答No.2

「薬物依存」で彼の為になる本?私はこのような本が仮にあったとしても、彼の為にはならないと思います。それは彼は「薬物依存症」という病気だからです。恐らく刑期を終えて帰って来ても何か機会があれば再び手を出して収監されると思いますので、薬物を断ち切る指導をしてくれる専門家の施設に入る事が彼の為になる事だと思います。私も長年、精神科病院に勤務して来ましたが、そんなに簡単に薬物を断ち切る事は出来ないのが現実です。「禁断症状」も出て来ますしそれは患者さんにとっては辛い事でだとは思いますが、しかし、治りも早いです。

an3113soudan
質問者

お礼

有難うございます。ダルグ館山に送り届けて時間をかけてダルグ館山で治療をさせます。

その他の回答 (3)

noname#226203
noname#226203
回答No.4

「置かれた場所で咲きなさい」渡辺和子著、です。 2.26事件でお父さんが殺されたところを9歳で目撃した方ですね。 本は文字間隔が広く、字も大きくて読みやすいと思います。 薬物依存症はお辛いですね。治療を既に受けられていると思いますが、出所後は加療されないのでしょうか? 専門の方もお答えくださっていますが、なかなか難しいと存じます。 プラシーボ(別の安全なものを摂取することで脳が満足する効果)でうまく脱出できるといいと思いますが、根気がいる事だけは心の準備をしないといけませんね。 何かに満たされないと再び薬に向かいますよね。 自分が世の中にすごく必要とされているというように強く思ってもらえるといいのですけれど。本でも何でもいいので何か不足している物が満たされればという一縷の望みとお察しします。 ご両親様もどうぞお体をお大事にしてください。

an3113soudan
質問者

お礼

ご返事ありがとうございます。出所後は自宅に帰ることなく直接ダルグ館山に送り届ける所存です。 本人にも面会の度に伝え又本人も了解していますのですが?いざその場になって態度が変わらないことを今も祈っています。有難うございます。

  • pipipi911
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回答No.3

「独立行政法人 国立病院機構 久里浜医療センター」の ドクターのような専門家が刑務所にいて、治療にあたっている のでしょうけれど、自身が薬物と距離を置こうとしても 薬物の方が人を離さないのが、アディクトの嫌らしい ところですので、1冊の本を読んでも何もならないと 考えるのが妥当な線ではないでしょうか。 「子は親の鏡」です。 アナタ様の背中で導いてあげていれば、もっと 違った生き方ができていたのではないでしょうか。 昔のロシアの長編小説がおススメですが、 状況的に難しそですので、 マクシム・ゴーリキーの『どん底』を おススメしたいです。戯曲ですので、 小説よりは読み易いのではないでしょうか。 <それを読んで、息子さんが絵本・童話・小説などを 書くようになったら、素晴らしいと思います> 100歳まで、54年有りますので、 「置かれた所で咲きなさい」といった感じで、 充実した暮らしが可能になるように 背中で導いてあげませんか。 <「置かれた所で咲きなさい」という本は 塀の中でも読まれているでしょうから、 割愛します>

an3113soudan
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。わたしが「置かれたところ。。。。」を読んでみます。

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回答No.1

無知の涙 4人の命を奪った永山則夫は、獄中で本を貪り読み字を学びながら、生まれて初めてノートを綴りました。そして「無知の涙」を書きました。 極貧の生活環境が彼の犯罪を引き起こしたとされたことからその著書も注目されるわけですが、私たちの多くは、普通の教育を受けながらも本を出すということはそうあることではありません。 永山則夫がまともな教育を受けていたら4人の命が奪われるという事件は起きなかったかもしれません。そして、「無知の涙」とは縁のない本を書くこともあり得たのではないかとも思います。そのことを思うと、教育の重要性を痛感します。 彼の著書は、普通の教育を受けた人以上に社会に向けて問題提起している面があります。獄中生活を送る中でしかそういう能力を身に着けざるを得なかったことが残念でなりません。 裁かれた命 『裁かれた命――死刑囚から届いた手紙』(堀川惠子著、講談社文庫)は、重い内容のノンフィクションです。犯罪を起こした一人の青年に何があったのかを追い求める著者の気迫が伝わってきます。 1966年、東京・国分寺市で主婦が自宅で襲われるという強盗殺人事件が発生しました。4日後に逮捕された22歳の長谷川武は、裁判で弁明らしい弁明をすることなく、半年後に死刑判決を受けます。刑が執行されたのは、5年後のことでした。 独房の長谷川は、一審で死刑を求刑した検事・土本武司、長期に亘り長谷川の弁護を担当した小林健治と手紙を交わしています。「土本はこの手紙を通して確信した。長谷川が自分に手紙を書いてくるのは、検事への怨嗟でも助命でもなく、心からのものなのだと」。 著者は、これらの手紙や証言を手がかりに、長谷川の過去、家族を粘り強く辿っていきます。「ぼくは娑婆に居た時は、勉強などした事、御座居ませんでした。今、後悔してます。本当に。勉強やって苦学してでも、高校へ行けばよかったと。ぼくがこうなったのも一つは無学で無知で内向的のぼくだったからかえって、こんな大それた事件を起こしてしまったのです」。 彼はどういう環境で育ってきたのでしょう。「家庭でも職場でも、被告人は愛が欲しかったのである。被告人は一人の友人もなく誰からもやさしい言葉もかけられず成長して来たのである」。「幼いころから彼が求め続けた愛情、その中で最も深かったのは母親に求めた愛情だっただろう。当時の彼には、それは分かりやすいかたちでは与えられなかったようだ」。 「長谷川が逮捕されてから処刑されるまでの5年半の歳月は、母と子が親子の絆を取り戻そうと向き合うために費やされた歳月だったのかもしれない」。 彼が弁明しなかったのはなぜでしょうか。「長谷川は、被害者を殺めてしまったことへの後悔から、取り調べや裁判で事実と違うことを言われてもすべて認めてしまったと書いている」。 獄中の彼は、自分が犯してしまった罪と罰をどう考えていたのでしょう。「独房におかれた長谷川は日々、被害者に対する思いを深めていた。これまでも自身の手紙の中に何度も『処刑されることが被害者への償い』と書いていたが、『罪と罰』そして『償い』に対する彼の思考は、時の経過とともに少しずつ変わってゆく。・・・かつて『自分が死ねばいいのだ』と居直るかのように考えていた自らの様を正直にふり返り、それでは何も解決しないことに思いを致す。そして『改心したうえで処刑されていくことが理想』なのだと自分に言い聞かせている。・・・しかしこの頃には、自分が奪った他人の命は、たとえ自分の死をもってしても償い切れるものではないと思うに至っている。そして自分のすべてをもってしても償えないことが無念だと書いた。・・・自分が奪ったもうひとつの命の重み、尊さ、そして家族のかたち――、それらに対する取り返しようのない、償いようのない過ちについて心からの悔悟を深めていったのだろう。独房でひとり考えに考えた末に辿りついた答えが『自分の死』をもってしても解決されないことを知った長谷川にとって、『死刑』とはどのような意味をもったのだろう」。 「しかし、死刑判決が確定したことで長谷川武の物語は終わらない。この時から処刑される日まで3年半あまり――。長谷川武は死刑囚として独房に身を置き、『生』と『死』、そして『母』に向き合いながら手紙を書き続けた」のです。 裁く側に問題はなかったのでしょうか。「長谷川事件で作られた調書、それは『殺そうと思って殺意を持って家に押し入った』『声をあげられては困るので被害者の口をふさいでから刺し殺した』という強い殺意を強調する内容が前面に押し出されたものだった。その供述調書は、その後の裁判で二度と覆ることはなかった」。「彼ら(一審、二審、最高裁と審理を重ねた11人の裁判官たち)の誰一人として、被告人の心の奥底に潜んだ思いに触れることはなかった。『厳正』な法廷でいくつもの審理を経て、『極めて凶悪で更生は不可能』と死刑判決は導かれた。そして、死刑は執行された。しかし、司法の場で裁判官たちが練り上げた判決文の中にある長谷川像と、取材を通して現れてきた長谷川武の姿は異なるものだった。獄中で綴られた57通の手紙に見えてきた姿とも、遠くかけ離れていた」。 本書は、人が人を裁くことの重く深い意味を私たちに問いかけてきます。

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