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那須の雪崩 登山の講習会の件
那須の雪崩・登山の講習会の件は、 こういう講習って、事故の可能性が一定の割合ある内容ですよね。 ちょっとでも危険かなと思って中止にしたら、最初に謳った内容と変わってしまうし、 大人と違って、来年また参加しようというのも難しいだろうし。 指導者の瑕疵があったとしても、事故の直接原因では無さそうな気がします。 事故の可能性がある内容で、その少ない事故の可能性に遭ってしまったということではないでしょうか? それ以上、責任は誰?と揉んでも、後の同様の事業の改善にしかならないですよね。 ※以上の中で質問者を叱りつける要素は無いと思いますが、なぜか叱りつけるのは止めてください。
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- fict923ikayoma
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お礼
ありがとうございます。 納得すべきって、良い言葉ですね。 でも、これ歴史長いようですね。 ということは、支持され評価も高かった事業なんでしょう。 そして、実際、体験して参加して良かったという子(今はもういい大人)もいるでしょう。 指導者に感謝してる子や親もいるでしょう。 数で言えば、参加しなきゃよかったという人より多いかもしませんね。 リスクはあるんですよね。 例えば、高速・短時間で移動する飛行機や特急とかも事故が起きれば犠牲が多いじゃないですか。 火山の近くにわざわざ近づけば、噴火した時、死ぬのは当然だし。 要するに、完全に予測できないものに関わること。 確率から、自分が悪い結果に遭うことはないだろうと踏んだんでしょうけど。 もう、納得できないけど納得せざるを得ないですよね。 ほらね?ですよ。 でも、人間は愚かだから(そこが文明を発展させた面もありますが)、 ほとぼり冷めたら、またやっても良いのかもしれませんよね。 その時のノウハウや科学力で。 いまは、もう気象や雪崩を人間が完全にコントロール出来ない以上、 それより遥かに些細な、あの道具をどーしたとか、確認手順がそれで良かったのか?言っても、そこらへんを完璧に仕上げても、冬の雪山に対応できるとは言えませんよね。 大人で私的な登山だったら、自己責任で納得でしょうけど、 でも、こういうお教室ごとでも、それは同じなんじゃないかと。 と、色々考えることが出来ました。