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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:信じる事は不幸も招く気がします。)

信じることの不幸と孤独

このQ&Aのポイント
  • 信じることは不幸を招く?孤独を感じることも
  • 自分に都合のいい信じ方が多い
  • 信じる行為は自分に都合のいい方に偏る

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.1

「信じる」ということがその人にとってどれだけの重みを持つかだと思います。 信じるということには本来ある程度の覚悟が必要だと思います。裏切られる可能性が0ということはないからです。 そういう覚悟を持たずに簡単に人を信じれば、裏切られたと感じることは多いのではないでしょうか。 個人的には、自分に都合が良かろうが悪かろうが、信じすぎず疑いすぎず、心のバランスを保つ事が大切かと思います。

noname#228046
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 確かに重みが全く違いますよね。 一番愛して欲しい受け入れて欲しい信じて欲しい人に信じて貰えている。 その実感が心の中にあるから、信じる信じないに固執しない。 一歩引いて俯瞰して自他を見て別の答えを見つける事もできる。 しかし、愛し受け入れ信じられたい想いが成就せず生きていると、 その想いを代理の何かに成就して貰いたくなり、 僅かな可能性にすら縋る様に闇雲に信じ、時に不都合な結末に至る。 不都合な現実を一歩引いて受け入れる覚悟がまだできないと、 不都合な現実は受け止めきれない大きな深い悲しみになる。 裏切られた、信じられない、でも誰かに信じて欲しい必要とされたい。 希望を持てる人を信じたい、信じる、でもそれは都合の良い信じ方。 理解しあえる人は都合が良い信じ方をする人同士になると・・・。 ただ幼少期に、知り理解し受け止めるような愛に満たされなかった それだけで重過ぎる因果関係を抱え生きて行く人も居る。 私の質問は少し無神経だったのかもしれません。 最近一部のキリスト教徒や一部のイスラム教徒の 都合の良い「人の言葉」の解釈の上の信じ方を見たり、 数十年前の若者文化の信じるという言葉の意味合いを見ていて 信じる事についてちょっと疑問を感じてしまい。 何事も偏らず、ほどほどに、バランスが大事ですね。

その他の回答 (1)

回答No.2

Q、信じる事は不幸も招く気がします。 A、それは、色々ある見解の一つ。 第一、信じるの定義、内容も曖昧だし・・・。 不幸を招くという下りの論理もあやふやだし・・・。 そもそも、それはそれ、これはこれかもしれないし・・・。

noname#228046
質問者

お礼

曖昧であやふやだらけの質問でしたね。 ご回答ありがとうございます。

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