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釜を兜の代わりに被って出陣したさむらいのはなし
たくさんの子供がいて貧乏していたさむらいが戦に出ななければならなくなりました。鎧も兜もないので、仕方なく台所にあったご飯のお釜をかぶって出陣したそうです。この武士の話を酒の席で聞くと涙をぽろぽろこぼす同僚がいます。皆が面白がって座が盛り上がるのですが、中にはやめろという人もいます。私はどちらかというと涙ぽろぽろのほうなのですが、のこされた妻子がご飯が食べられなくなったのではないかと心配します。普段の職場は大変良い雰囲気ですが、あくる日このさむらいの話が思い出されます。ひょっとしたらこの同僚はこの武人を自分に引き比べているのでしょうか。皆さんのご感想をうかがいたいと思います。
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こんばんは どなたかが仰るように作り話なのかも知れませんね ただ鎌倉期に「鉢の木」と言う話があります 執権であった北条時頼が僧侶の姿に身を変えて全国を遊行する訳ですが 一軒の貧しい侍の家に一夜の宿を借りる その侍は自分は貧しくて何のおもてなしも出来ません ただどうぞ暖かくしてくださいと、自分の大事に大事にしている 松、梅、桜の木を燃やしてもてなすのですが こんな貧しい自分ですが「いざ鎌倉」と言う時には及ばずながら駆けつけるつもりです 鎌倉から集まれ❗の知らせがくる この侍は言ったとおり駆けつけるのですが馬は痩せこけ長刀は錆びだらけで 皆んなに馬鹿にされて笑われるのです 質問者樣の言うこの侍はその被るかぶともないほどに貧しい それでも恥じを忍んででも行かねばならぬと言う律儀な心情に同僚の方は涙を流す? 私なども涙もろいほうですから泣けますねえ この「鉢の木」の続きは大将に姿を変えた時頼に呼び出され よくぞ言ったとおりに参った❗ 誉められて褒美に領地をもらったそうです
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こんにちは。お礼コメント拝読しました。 > 似たような経験をなさったことはありませんか。 半世紀以上も生きているとそんな経験や場面は多くありますよ。でも、切ないのは自分ではなく仲間がお釜を被るしかない場合と、自分が被る兜を譲らない選択をする自分ですね。 酒席でする話でもないかと思うし、同席していれば「やめろ」と言う同僚さんが私です(笑)。
お礼
なるほど。見て見ぬふりをするというのもいわゆる武士の情けなのかなと思います。この侍が戦場でどのような活躍を見せたかにもよりますが、しょせん作り話だとすれば、夏草や兵どもが夢のあとなのでしょうね。
酒席での一場面。ただ泣き上戸なだけでは。
お礼
私も泣き上戸なのかも知れませんが、仲間が兜をかぶっているのに自分だけが代用品を使わなければならないという状況がつらいというのがいかにも切ないというような感じです。似たような経験をなさったことはありませんか。
- 2012tth
- ベストアンサー率19% (1893/9468)
50代♂ 飯炊く釜で実際に米も炊いた経験が有るので?言わせて貰えれば… 昔の作り話だから?ちょークソ重たくて被れないです。 あの釜って…一番軽いので?50キロ有るので、戦う前に首が… 因みに…米は? 燃料…薪 (まき) 、炭、電気、ガス 釜…鉄釜、鉄鍋、陶器、アルミ鍋、炊飯器、飯盒 (はんごう) 一通り、経験しています。 若い頃にお弁当屋さんで、飯炊く仕事していた。
お礼
豊富なご経験に基づいた貴重なご意見でした。作り話で泣くのもおかしいかもしれません。
- ミッタン(@michiyo19750208)
- ベストアンサー率15% (3892/25656)
私は涙が出ません >のこされた妻子がご飯が食べられなくなったのではないかと心配します そこまで深く考える事が出来ないからです
お礼
私はむしろ同僚に対して恥ずかしいと思う気持ち(面子というものですね)もあったと思います。もちろん家族のためにも働こうとも思っていたに違いありませんが…
- citytombi
- ベストアンサー率19% (1721/8628)
例えば、貧乏侍の家は唯一の調理道具が釜1個で、それでご飯から普段の煮炊きから全て賄っていたら、それを持っていかれたら残された家族はなにも調理できなくなります。 かといって、釜を被らずに出陣したら今度は自分の身が危うくなるし、忠誠心ということからも何かを言われるかも知れません。 ですが、戦で功名を立てればご褒美がもらえて暮らしも楽になるかも知れない。 家族は、自分たちはひもじい思いをするけれど、我慢するので立派に戦って無事に帰ってきてください・・・という気持ちの釜の兜だったのかも知れませんね。
お礼
そうですね。私は、兜なしより釜をかぶって出陣するほうがむしろつらかったのではないかと思うのです。自分の不甲斐なさがつらかったろうと思います。
- WhatisLOVE
- ベストアンサー率34% (391/1147)
物語はその人によって感じるものは様々である事があります。 ここで述べられている様に、釜を被っている間抜けな侍だったと感じたり、兜も無いほどの貧しさを笑う人もいます。 しかしその貧しさを可哀想と感じる人もいますし、そこまでしても遣える大将への忠誠心があるとも取れますし、またはこの戦に負ければ家族も危うい、なんて考える人もいるかもしれません。 こういうのはどういう風に捉えるか、それでその人の人格をある程度知る事ができるのではないでしょうか。 古い例ですが、あべ貞事件を美談と捉える人が多かったのですが、一方で猟奇的とも取れます。また事件後のあべ貞さんはかなり誹謗中傷にあったそうです。 これもどう捉えるかはひとそれぞれという事でしょう。
お礼
早速のご感想承りました。よく考えてみたいと思いました。
お礼
見栄というか虚栄心から、むしろ兜もかぶらず出陣したほうが気が楽だったかもしれません。しかし妻子のことも考えれば、やはり自分の身は守らなければならない、こういう状況はやはり泣けますね。鉢の木のほうはまだこの侍の武具にも心にも余裕があるように思いますが、おっしゃる通り共通しているものがあると私も思います。