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教唆の時間的効力について
刑法61条の「教唆」についてですが、教唆の効力の時間的範囲はどこまでなのでしょうか? 教唆された者が犯罪を犯した場合、その教唆犯が罰せられるには、正犯者の行為が「教唆によって生じたものでなければいけない」のですが、次の場合はどうなのるのでしょうか? (1)教唆者がAに手紙で殺人依頼をした。 (2)そのときAは受ける気がなかったので、実行に移さず、その手紙をしまっておいた。 (3)10年が経ち、たまたま見つけたその手紙を読み返し、犯意を生じて殺人を実行した。 ★手紙により犯意は生じているのだから、この場合も教唆成立しているといえるのでしょうか? ★また、手紙でなく口頭での場合言われた事を思い出した場合はどうなるのでしょうか? ★教唆の効力が消えるとすれば、どのくらい経てばいいのでしょうか? わかる方、回答お願いいたします。 判例があればなお幸いです。
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概ね#1さんの回答でいいと思いますが、若干訂正させてもらいます。 まず共犯論は時間的効力ではなく、因果関係というのは正しいです。ですからこの場合10年前の手紙が殺人の因果関係にあるとは判断できません。 ただし手紙だから教唆にならないというのは間違いです。手段は言葉だけによらず手紙でも成立します。そそのかし行為は、この場合そそのかしの意味で相手に犯意を催させるような手紙を書く行為をしたということになります。通説でははっきりした言葉でなく、暗示したものや暗黙の了解でも成立する場合があるとしています。「殺れ」の言葉を発することもなく単に目配せであっても2人の中で意味が通じていればそれは教唆になります。メールでも携帯電話でももちろん成立します。
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- been
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私見ですが、このような問題は「教唆犯の時間的効力」という観点ではなく、共犯論の根っこにある「因果性」の観点から考察するのが妥当と思われます。教唆者の「そそのかし」と実行者の「犯意」との間に因果関係が認められる場合に教唆犯が成立するわけですから。 ご質問のようなケースでは、相当因果関係論の立場はもちろん、条件説の立場でも教唆犯不成立と判断されると思います。なぜなら、 ・ 教唆とは行為であって、「そそのかし」の媒介として使用した物体(手紙)ではない。 ・ 当時、教唆者の「そそのかし」は被行為者の実行行為を惹起することなく不発に終わった。 つまり、10年後の時点では教唆行為が存在しないのです。勿論、教唆と実行の因果関係が成立するはずがありません。 10年後の犯行は行為者自身の意思に基づく単独正犯と解するのが妥当です。このようなケースで教唆犯が成立するのは、10年前の手紙にいまだ教唆行為としての意義を認められるような特別な事情がある場合、例えば、同一主旨の「そそのかし」が現に行われている場合くらいでしょう。
お礼
時間ではなく因果関係から判断するべきなんですね。この視点から考えて見ます。ありがとうございました。