• 締切済み

嫌われることを恐れなくなった方へ

「嫌われる勇気」を持つようになったのはどのような機会や心境がきっかけでしたか? また嫌われることを恐れなくなったことによって、実際自分にとって変化がありましたらなんでもよいので教えてください。

みんなの回答

回答No.3

嫌われる勇気ってなんですか? 人は誰からも嫌われたくないんじゃないですか? ここの回答者達にしたって、本当に嫌われる勇気なんて持ってませんからね。 ただ、嫌われたくないから主義を変えるとか、嫌われたくないから単に同調するとかは別の事だと思います。 私は自分に自信がある、私は自分が間違っていないと確信するならば、人が何と言おうと主張していけば良いと思います。 それでも、上手く事が運ばないことだって有りますよね? 自分が正しいと思っていなくても、その思いにちょっと変化を与える事で、万事上手くいく事だって多いと思います。 ここぞと言う時に持論を強く主張し、それ以外は一旦周りの事を受け入れてから物を考えると良いかと思います。 その辺りのさじ加減ができる様になると、周りからも信頼される存在になるのだと思います。 くれぐれも言っておきますが、嫌われないようするのが普通ですからね。

frau
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 回答者1の方のお礼にも述べましたが、親という存在なしに生きてはいけない子どは、親に嫌われるということが生存の危機になりますが、嫌われることへの恐れは生存に対する危機回避から生じているものであり原初的な感情だと思います。 ですから嫌われることは本能的に不快なものであるというのは理解してます。 とはいえ、自立して生きていける自信があるまで成長(これは年齢的なことではなく心としての成長)したのであれば、嫌われることを必要以上に恐れるのは不要なことかもしれません。嫌われることへの恐れが過剰であれば「生きずらさ」に通じますから。 >嫌われたくないから主義を変えるとか、嫌われたくないから単に同調するとかは別の事だと思います。 まったく同感します。迎合ばかりしていると「本当の自分」から嫌われます。それが生きずらさにつながります。 >嫌われないようするのが普通ですからね。 それは外部に表す態度ですよね。 内心では嫌われることを恐れないことを主義としている場合(そしてその考えが多くの人に指示されているのなら。まあ例の本によってそういう時代にきていると思いますが)には「普通」とはなりません。

  • bekky1
  • ベストアンサー率31% (2252/7257)
回答No.2

多分、私的な理解であって、あなたの言われるような「嫌われる勇気」とは 別物かもしれないですが。 特に、群れる必要性が最初からないからが一番の理由でしょう。 迎合してまでも、群れたい人にとっては、殺生与奪権を他者に委ねることです。 群れとと言うのは、流動的であっても、序列を伴うものです。 その群れで、嫌われるということは、序列の逆転を狙うか、群れを離れる事を意味します。会社を辞めるとか、仲良しグループ、趣味の集まり、ネットの群れも意味します。 ’どのような機会や心境’というより、もともと、必要としない規制に縛られて、 そこにいた、存在したけど、’必要でないものは必要ではない’と理解しただけのことです。 ’スタンダードを外す、外れている’=外れるの意味することが、モラルから、経済レベル、教養・学歴レベル間でイロイロあります。 小学校は義務教育です。 でも、登校拒否で行かない、行けない・・・理由は色々。 行かないで、学力がなくても、6年経過するなら、出される。 それと同様な繰り返しが、社会、世間的に繰り返される。 女性なら、結婚適齢として、40になれば、何がどうあれ、 スタンダード(子供が生まれる)な結婚市場からはリタイアです、’嫌われる’=外される、外れるですから。 もちろん、自身の中での あっちとこっちの揺れとか斟酌とかあるでしょう。 で、アウトローになることは簡単です。 底辺で行くか、己の道が漠然としてでも、あるかどうかです。 嫌う=スタンダードでないと誰かのお墨付きももらえるからこその、正面切って、外れだよ、嫌いだよといえる、言われる・・・です。 でも、そのスタンダードが【どこ基準?】と疑問を持つなら、 スタンダードがなくなります。 わかります? 【嫌われる勇気】と、日本語しますけど、【基準としての嫌われない何か】に 疑問を持つなら、どうでもいいことだと気がつくかどうかに過ぎません。

frau
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >群れる必要性が最初からないからが一番の理由でしょう。 カッコイイ! >迎合してまでも、群れたい人にとっては、殺生与奪権を他者に委ねることです。 「殺生与奪権を他者に委ねる」ということに会得いたしました。 群れるときに暗黙に強制される「同調圧力」に私は辟易しますが、たぶん私が組織に入ると必ず嫌われてきたのは言葉にせずともそのような内心にある反抗心を感じ取られたからです。 私のような者こそ、そこから出ていくか、その「序列の逆転」を狙うしか組織との関わり方はないのでしょう。 SNSでは「ブロック機能」というものがあり、ボタンひとつで簡単に人を排除できます。でもその相手は人です。対話で相手と理解しあおう、解決しようとするのではなく自分も傷つくことなく相手を拒絶できます。便利で酷い機能だと思います。 ですからSNSに依存したり、居場所を見つけるのはとても危険です。そのためのいじめやそれによる自殺もありますから。 そのような群れから自分からシャットアウトするためには孤独に対する耐性が必要です。 世間では(日本ではとくに)「スタンダードから外れている」ことに過剰反応し、異物排除したがりますが、スタンダードに縛られているということすらも自覚せず、自らをそして他人を不幸にしていますよね(義務教育もそのひとつです。これについてはいろいろとまた意見がありますが)。 自ら王道を行かないということはそのスタンス自体が幸福といえるかもしれません。

frau
質問者

補足

>嫌う=スタンダードでないと誰かのお墨付きももらえるからこその、正面切って、外れだよ、嫌いだよといえる、言われる・・・です。 逆な言い方もありますよね。嫌いといわれるのは、スタンダードのお墨付きをもらえたことであり、それは誇らしいことだと。 >でも、そのスタンダードが【どこ基準?】と疑問を持つなら、 スタンダードがなくなります。 そのスタンダードの基準に対して疑問をもつのは言う側ですか、それとも言われる側? そもそもスタンダードの定義がなければスタンダードではなくなり、その反対語(異例または固有性)となる。ということだと考えましたがそうではなく、スタンダードそのものがどういうことかを両者が考えないかぎり、嫌われることについての意義もなくなるということでしょうか? >【基準としての嫌われない何か】 それは嫌われることの恐れが具体的に何かということを明確にするということなのでしょうか?

  • IDii24
  • ベストアンサー率24% (1597/6506)
回答No.1

別にアドラーなんかは関係なく、嫌われる事を気にするととりあえずなーんにも出来なくなるし自分を殺して生きる必要があるから。 それはとりあえず嫌われなければ自分が何かあったときに他人が助けてくれるっていう打算が多いにあるわけです。また自分がそれだけの器でもないけど、持ち上げてくれるとか、要するに特に日本は自信のない人は他人に嫌われるなって教訓が大きい。社会でも同じで嫌われなければ仕事が出来なくてもある程度出世する。ところが最近の日本はいわゆる「いい人」をリーダーにする傾向が強く経済は停滞していますよね。昔のリーダーは嫌な奴多かったですよ。それは自分で立ち上げたという自信から。今のリーダーはいい人の集まり。だから集団で悪い事をする。東芝のようにね。一人で決められず周りが良ければ悪い事も判別つかなくなる。そういう集団に日本がなりつつあります。 という事でとりあえず自分一人で生き抜く自信があれば嫌われても構わないという気持ち。そして自分が正義であり正しい事だけを見ているならそれに反するものからは嫌われるべき。そういう生き方をしてますよ。そうすると逆にもたれかかってくる連中も多く、それを振り払うのが面倒です。

frau
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >とりあえず嫌われなければ自分が何かあったときに他人が助けてくれるっていう打算が多いにあるわけです 嫌われたくないという恐れは、嫌われたくない相手に対する信頼や愛着を、嫌われることで失う損害を考えることがまずあるからです。 親という存在なしに生きてはいけない子どは、親に嫌われるということが生存の危機になりますが、嫌われることへの恐れは生存に対する危機回避から 生じているものであり原初的な感情だと思います。 とはいえ、自立して生きていける自信があるまで成長(これは年齢的なことではなく心としての成長)したのであれば、嫌われることを必要以上に恐れるのは不要なことかもしれません。 組織もひとつの人格です。「いい人」という響きには必ずうさん臭さを同じていますが、「偽善的ないい人」をもちあげるとその組織全体もリーダーの性格を反映するようになります。 誰それ構わず「あの人はいい人」だと軽々しく持ち上げる人はその人のことが真にわかっていませんし(まあ社交辞令でしょうが)、他者にも同様に扱われることもよしとしているのでしょう。よく言われるように「いい人」自分にとって「都合の良い人」かもしれません。 欺瞞的な「いい人」だけで構成する集団は過剰な抗菌をするようなもので、異物排除につながります。すると違う考え方に対する免疫ができません。その異物がその集団または個人をよくするかもしれないのにも関わらず。 >そうすると逆にもたれかかってくる連中も多く、それを振り払うのが面倒です。 ネットなどの声を拾っていくと、それまで嫌われることを恐れていたのに嫌われてもいいとふっきれたら、逆に人が寄ってきたという体験談をみかけます。私も早くご回答者様のような心持になれたらと願います。

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