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両親が宗教に入ったのですが…
私の両親が宗教に入りました。 霊波之光という宗教です。 父の妹夫婦が何年か前に入っていたのは知っていました。 当時両親は、少し引いていましたが、 「信じる対象があるのは良い事だから」と、 認めてはいました。 伯母はとても良い人で私は信用しています。 年末くらいに両親から妹夫婦と同じ宗教に入ったと聞かされました。 今日母から交通安全のお守りとステッカーを貰いました。 それで初めて霊波之光という名前を知りました。 父は18金のネックレスをしていました。 二月にまたお参りに行くから、 私にも買って来てあげると言われました。 母も何かお守りを肌身離さず持っていると言っていました。 新しい神棚もできていました。 叔父さんが作ってくれたそうです。 元々うちの実家は毎年二ヶ所の神社にお参りに行き、 お札をとお守りを貰って来ていて、 仏壇も神棚もあります。 例えが良くないかもしれませんが、 宗教を乗り換えた?と思っていて大丈夫なのでしょうか?? 伯母夫婦はとても私の両親と仲が良く、 私も良くしてもらっていますし、 父の兄弟はみんな仲が良いです。 ですが、伯母夫婦はもしかしてノルマのためだけに両親を勧誘したのか… そして両親が誰かを勧誘するようになってしまったらと思うと悲しいです… ノルマを強制される事はあるのでしょうか⁇
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- 177019
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このような振興宗教に真っ向から反対します。以下、この教団の欠点を書きました。この霊波の光教会は大宇宙神の分神と称する波瀬善雄が「霊波による病気治し」を掲げ戦後に創設した教団です。教団は「人類救済・世界平和実現」を設立目的とし何事も素直な気持ちで守護神・善雄にすがり幸福を願う事によって全ての悩み苦しみから救われるというのです。「溺れる者は藁をもつかむ」と言いますが、まさにこの教団は病気という人の弱みに付け込み教線を拡大しようという詐欺的な集団です。病気治しの方法は当初は密教的な九字を切るというものでしたが、波瀬善雄はいつの間にか自身の霊波(光)によって治癒すると言うようになっています。中心的な礼儀を簡単に変える事によって象徴されるように教団の教義や主張は一貫性が無く場当たり的なものです。この教団には教義らしい教義も無く「ただ御守護神様におすがりすればどんな病気も治る」と安直に奇跡を売り物にしていますがその因果関係は全く明らかではありません。また宇宙神を根本にしているはずなのに「礼拝堂」には地球儀の上に立った教主像が祀られており、波瀬善雄という人間を拝む宗教となっています。善雄自身、心臓発作で急死しているように所詮、奇跡の力を示す事が出来なかった凡人です。その者に縋りつき必死に拝む事は愚かな行為です。また、善雄の長男が二代目になり三代目も二代目長男に内定しているといいます。教団内で語られるように善雄が病の中各地の霊山を修行して歩きやっと悟りを開いたするならば二代目三代目は一体どのような修行をしたのか?「人類の親たる宇宙神から霊波を受けるには媒介者がなければ受けられない」と言いますが、それでは教主以前の媒介者は誰であったのか?教主以前の人類は理罪に苦しんでいたということはそれまで大宇宙神は人類を救おうとしなかったことになり、無慈悲と言わなければなりません。人類が理罪を受ける事は大宇宙神の罪というべきであり、このような神が本当に人類を救えるのでしょうか?信者は各家の神棚に祀る「ご神体お札」を通して代々の教主に繋がり守護神からの霊波が送られるといいますが、なぜ守護神から直接霊波につながらないのでしょうか?またお札の有効期限が一年あるとして買い換えさせたり、死者や信者本人の「除霊祈願」と称して御札を買わせるのは金もうけ宗教そのものです。(振興宗教研究)
- ichikawa2017
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>宗教を乗り換えた? 霊波之光という宗教法人に関して詳しくは知りませんが、ホームページ等によれば、葬儀や年忌法要などには関与しないようですので、乗り換えたというよりも追加した、と考えられた方がよろしいかと思います。 日本人は古来仏教も神道も儒教も全て受け入れてしまうという思想を持っています。 キリスト教やイスラム教のような唯一絶対の神という考え方には馴染みません。 質問者さんのお宅に仏壇と神棚があっても何の違和感ももたないのが日本人特有の考え方です。 クリスマスパーティを楽しんだ後、お寺で除夜の鐘をつき神社に初詣に行くなどというのは、欧米のキリスト教徒の方から言わせれば何を考えているのかということになります。 このような点からすれば、霊波之光が発行する御札やネックレスを身につけておられても、車に成田山の交通安全のお守りをぶら下げているのと同じことだとお考えください。 >ノルマを強制される事はあるのでしょうか⁇ 強制されるかどうかは分かりません。 宗教法人が組織として運営されていく上で会員(信者)からの納入金が最大の資金源です。 組織を拡大するには資金を増大させる必要がありますので法人としては会員(信者)の数の増大が重要な課題となります。 創価学会など他の宗教法人の場合には会員(信者)を増やすことに法人内での各付け(地位)に重要な意味を持たせている場合があります。 会の趣旨と言いますか、教義を広げることが人助けや社会に貢献することになるという意識で会員(信者)が自主的に勧誘するだけであれば、ノルマとは意識されないでしょう。 法人内での地位の向上や法人の組織としての拡大を目的とした勧誘を強制するようであればノルマということになるかと思います。 蛇足 日本人はよく、私は(俺は)無宗教だ、と簡単にいいますが、アメリカを始めヨーロッパなどでこれを言いますと、私はあなたが信じる神の存在を認めない、という意味に受け取られますので注意してください。 アメリカ大統領も就任の際には聖書に手を置いて宣言します。 これを全面的に否定することになりますので注意してください。 年末年始、節分、お節句、お彼岸、お盆、などの行事に参加していて無宗教だ、というのは意味不明で支離滅裂な考え方ということになります。 宗教という言葉は元々は、その宗派の教義という意味でした。 江戸時代までは信心と言われていました。 現在使われているのは、英語などのreligionを和訳する際に流用されたものです。 結果として、現在使われている宗教という言葉は、欧米の唯一絶対神の考え方に基づいて定義付けられています。 多くの日本人が宗教ということばに拒絶感というかアレルギーを持つのはこのためでしょう。
- yuyuyunn
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ふつうあるでしょうね 有名人とか入っていると勧誘しなくても入ってくることもあると思いますが たくさん加入させれば天国に行けるとか(んなわけない) マヒしている場合わからないですからね
- Michael-M-Peter
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霊波之光は信仰の宗教ですが、いくつかの新興宗教のように何人入れたからどうなるというものではないみたいです。私は中の人間じゃないのでそれくらいしか知りませんが。 それに葬儀などはそれまでの家系の信仰に従って行ってもよいとされているようです。 戦前からの新興宗教では迫害を恐れて宗教色をなくしたものもいくつかありますが、霊波之光は戦後の設立ですからさほどの迫害はなかったはずです。ただ創始者が周囲を見て排他的な教義を作らなかったのかもしれません。 日本は仏教を信じていても神棚を祀る神仏習合の社会です。明治に政策で分離しましたが、今ではまた曖昧になってますね。だからごく普通にある崇敬神社のようなものと考えてもいいかもしれません。 まぁそれでみんな仲良くできるなら、わざわざやめる必要もないでしょう。と思うくらいの存在だと思いますよ。でも強要されることがあったならご自身の判断で行動してください。
本物の宗教って、物お金が必要ないそうです。 なので、物お金が出てくるのは、本物の宗教の信者ではないかもしれませんね。 強制されることはあるかもしれませんね。