そういう発想が起きているだけで、まだ読者がほとんどいないのだということがわかります。
まず何をやっても稼げません。
読者が全部同じ層の同じ生活水準の人間だと発想することが異常だからです。
自分の生活レベルより上か下かそんなことを考えるのが、客層を考えていないという証拠です。
サイトをつくったら、病院の院長もみるし、失業者も見るし、大企業の社長も小学生も見る可能性があるのです。
もし大会社の社長だとすれば、だいたい自分の生活レベルより上でしょう。最初から。
その社長だけが読む前提で書いた文章を、求職中の人間が見て好感を持ちますか。
落語家がまくらで「皆さまのところはそんなことはありませんがわれわれ同様の愚かものが落語では大立者で」といってから熊さん八ッつぁんの話をするのは、これから話すことはあなた方へのあてつけや批判ではありませんよ、という宣言です。
これは観客を自分より上の水準の人間だと言っているのではなく、これからの話は想像上のばか話だからと断った上、ありえないようなフィクションの世界の扉をひらくためです。
自分はフィクションの世界に居て、フィクションを語ります、と言っているのです。
語り掛けではこれはあり得ますが、文章ではあり得ません。
文章は何度も読み直すことができ、そこにきっちり固定しておかれている表現だからです。
愚か者などということばが文章上にあったら、そのことが火を噴き問題になることがあります。
ですから、読者を決めつけるような文章は決して書いてはいけません。
自分自身がどういう人間であって何を考えるかを述べるのは問題ありません。
キャラクタを設定し、訪問者が常連観を持ってくれるテクニックとして許されます。
しかし、ここが失業者のページであるとか、落第生のページであるなどと言ったら、ちょっと覗くかもしれないけど、まず再訪はしません。
最初から見る人を選ぼうとしているからです。誰もそんなものに染まりたくありません。
サイトを作るのに最低限必要なことは、来訪者を選別したりすることを避けなければいけないということです。