苦しい時、神に祈りが聞かれていないと思うなら・・・
以下の方法について、皆さんからのご意見を求めます。
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【苦しい時、神に祈りが聞かれていないと思うなら・・・】
私は以前、「苦しみが過ぎ去るようにしてください」というふうに祈っていました。
しかし、私は考えるようになりました。神はその苦しみを知らないのだろうか? そんなはずはありません。あるいは、神にはその苦しみを防ぐ力がなかったのだろうか? そうでもないはずです。神は全知全能なのですから。
では、どうなるのか? 神はその苦しみを知っているし、それを防ぐ力もある、なのに、なぜそれを止めてはくれないのか? いずれ気がつく点です。
別れ道はここです。神は何か義にかなった目的があってそれを許しているに違いない、と考えるか。それとも、何て神は意地悪なんだろう、あるいは私のことを気に留めていないんだ、またそもそも神はいないんだ・・・などと考えるか。
ですから、もし、「苦しみが過ぎ去るようにしてください」というような祈りをしているなら、是非、前者に基づいて祈り直すことをお勧めします。つまり、「あなたがこの苦しみを許しておられる目的は何ですか?」と。
確かに、神は義にかなった目的をもって苦しみが臨むことを許しておられます。無意味ではありません。むしろ、その目的が果たされたなら、即座にその苦しみを取り除かれるでしょう。その義なる目的を知った人は、その深いお考えのゆえに感動をさえ覚えるでしょう。(創世記50:20)
苦しみに目的があることを知った人たちはそれに対する見方が変わります。自分がなぜ苦しんでいるのか、それによって何が成し遂げられるのかと明確に理解している状態になります。それが忍耐するための力となるのです。また、「苦しみを忍耐する力をお与えください」とも祈ることができます。(使徒5:41)
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しかし、苦しみは心に傷を負わせます。心が混乱している状態では、正常な思考力が働かず、問題に首尾よく対処できないかもしれません。そのような時こそ、神に心の中のすべてを注ぎ出し、話を聞いてもらいましょう。心の中のごちゃごちゃを言葉にして祈る、つまり言語に変換する時、そのごちゃごちゃは整理整頓されます。そして、話を聞いてもらったという安堵感を得ます。つまり、これが神のカウンセリングですね。24時間いつでもどこででも受付中です。そのように、ある程度心の混乱が収まれば、思考力も正常化し、問題に首尾よく対処できるでしょう。(サムエル第一1:18)
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また、神の愛を実感していますか? 神が愛であることは「頭では」理解しているでしょう。しかし、「心で」実感していますか? もし、まだでしたら、こう祈れます。「あなたが愛であることは頭で知っています。そして、あなたは確かに愛を示しておられるはずです。しかし、まだ、心では実感できていません。どうか、そうできるように助けてください」。劇的に即座にそうなるわけではありませんが、その敬虔な祈りは聞き届けられることでしょう。(詩編34:8)
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「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。 」(コリント第一10:13 新共同訳)
神はあなたが試練を忍耐できるようにしてくださいます。さらに、試練を通過した時、あなたは一まわり大きな人間へと成長していることでしょう。現在、イモ虫たちはチョウになるために懸命に脱皮中! そう、世界中のイモ虫「たち」が!!
お礼
ご来訪有り難うございます。 少し解り難い表現でしたかね 済みませんでした。 補足しますね。 人等の団体において 時という概念、または事実、事象、 此れを神とおく そういったものは ありますか? 無論、神も、時も、 団体に「勝手に」 そう指摘されているだけ ですから 其れ等、神や時は 其の団体の内 で、なくとも 構いません 如何でしょうか?