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逃げ癖 現実とのギャップ
タイトルが定まっていないのは、自分の中でも悩みがうまく言語化できていないためです。 なので、質問という形をとらせていただきました。 ずいぶん昔の話ですが、様々な精神的苦痛を受け、来る日も来る日もそれを耐え続けていました。 他のことをして気を紛らわすことによりエネルギーが分散し、苦痛に耐えることができなくなってしまうので、我慢したこと以外記憶にない灰色の日々でした。 そんな我慢にも限界があったらしく、「逃げる」という選択をしました。 この行為により1度は社会からフェードアウトしたものの、何とかうまくやろうと普通に青春を経験し大人になるのだろうと漠然と思っていました。 成長するにつれ、夢は進路や就職につながり、明確な目標を持つことを余儀なくされ、周囲のプレッシャーとフェードアウトした時の将来への不安からか、無理やりやりたい事をねん出し、それを頑張ろうと決めました。 しかし、ここで待っていた誤算は、やりたい事でもなかったし、苦痛を伴うだけで、楽しくない灰色の日々。周囲の環境も悪く、一応の目標が存在するという点以外は私にとって悪夢の再来でした。 前回とは違い、逃げるという選択肢を知ってしまったが故。思いのほか安易に苦痛から逃走しました。 無理やりとはいえ、こうなれたらいいだろうと思っていた未来の理想像。それを成し遂げてしまっている人を見ては嫉妬し、自分はなぜ楽しむことができないのか悩み、自傷行為にも走りました。 肩書は無く無職の状態は不安が付きまとうだけ、そう決心した私は、目標に向かい再起することに。 我慢して耐えた忍耐力ですら、逃げによって失ってしまったらしく、何度も何度もやる気が無くなり、長い時間をかけてやる気を出してもすぐ逃げる。 そんなことをしているうちに鬱になってしまい。年齢的にも金銭的にも再チャレンジすることができない現実が直面することに。 実は今、もう1度頑張ろうという気が湧いてきています。 ですが前述したとおり、再度逃げ、鬱に戻るのは目に見えています。 諦めて働くという選択肢は、実りのないバイト生活と低賃金の質素な暮らしを死ぬまで続けることに等しく、自分には耐えられない(同時に選択肢がこれくらいしかないのも事実) 本当にやりたいことなんて何もない。羨望の思いだけで、目標をかなえるのには無理がありすぎるのは重々承知ですが、どうしても「羨ましい」から「好き」に変わらない。 思えばガキのころから何かを好きになったことなんてまともに無かったのですが、もっとも多感な時期を耐えしのぐことだけに全力を注いでいたため当然だと思う。 毎日泣いては天井を見つめ、逃げ癖という甘さを獲得してしまった運命と己を呪い続ける日々。 楽に死ねたらどれだけいいことか。1度首つりを試みたが、あまりの苦しさからまた「逃げた」。 逃げることに甘んじてきた私が、最後の最後で、生きるか死ぬか、どちらにも逃げることができないというあまりにも滑稽な結末が待っていた。 病院やネットなどで相談しても、鬱に対する理解の欠如や、順風満帆な人生を歩んでこられた方々の上から目線のご高説。相談に乗った方が悦に浸るだけで現状打破の手掛かりにはなりませんでした。 反面、甘えにとらえられてもしかたがないという思いもあり、もとはと言えば逃げた自分が引き起こした事、渡りの環境さえよければと他者を責めても、社会から相手にされないことは身に染みて存じているので、やはり問題の根幹は自分だと思います。 ・頑張っていた時の辛さを思い出し、新しく頑張ろうとする私に歯止めをかける事 ・逃げてしまう結果が見えていること ・どうあがいても幸せになれないと思う絶望感 長くなりすぎたので現状、特に何とかしたいことを上げましたが、わがままを言わせてもらえば、可能な限り始めから読んでほしいです。 余計かもしれませんが参考程度にスペックを。容姿は非常に悪く、禿とチビのサラブレッド。友人はゼロで、現在日雇いバイト。中卒、特技なし、知能が低い。親に頼ることは無理です。20代。 書いといてなんですが、回答に期待はしていません。ただ同じような経験をしていて、脱却された方がもしいたらと藁にもすがる思いで質問しました。 叱咤激励より、どうやって辛い現状を解決したか体験談を書いていただければありがたいです。 最後にこの長すぎる拙文をもし、全て目を通してくださった方がいたら感謝したいです。ありがとう。
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- dottimiti
- ベストアンサー率12% (286/2363)
日々の工夫で少しづつ今の状態から離れていくしかないんだと思います。 一進一退かもしれませんし。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34518)
>他のことをして気を紛らわすことによりエネルギーが分散し、苦痛に耐えることができなくなってしまうので ごめんなさいね。よく分からないのだけれども、エネルギーが分散するとなんで苦痛に耐えられないのですか。いやね、私は他のことで気を紛らわせた方が苦痛に耐えることができますからね。例えば、じーっと座ってなければならないとしたら、何か考え事をするとかです。 それでエネルギーを集中することによって耐えきれればいいのだけれど、結局苦痛に耐えきれなかったわけですよね。そしたら、その経験で学んだことは「集中して苦痛に耐えても、結局耐えきれない」ってことだったんじゃないかしら。 質問者さんの文章を拝見すると、どうもその、また苦痛な出来事があるといつも「耐える」を選択しているようですが、必ず負けになる戦術をナントカのひとつ覚えのようにくり返すのもいかがなものかと存じますよ。上手くいかなかったら、違う戦術を試してみてはどうですかね。どうも視野が狭くていかんですね。 >夢は進路や就職につながり、明確な目標を持つことを余儀なくされ 目標はある程度明確にしたほうがやるべきことは分かるようになると思いますよ。例えば、「山に登りたい」だけだとあまりに漠然としてるけど、「富士山に登りたい」なら何を準備すればいいかは分かりやすいじゃないですか。しかも「余儀なくされ」っていうのは、その言葉はそういう場面で使う言葉じゃないんだけどなあって思います。むしろ夢を諦めることのほうが余儀なくされるものじゃないかしら。 >無理やりやりたい事をねん出し >誤算は、やりたい事でもなかったし、苦痛を伴うだけで、楽しくない灰色の日々 >それを成し遂げてしまっている人を見ては嫉妬し うーん・・・自分からやりたいと思ってなければそれはやりたいことでもなんでもないのだけどなあ。それはやりたいことじゃなくて「周囲への説明のための名目」だったのでしょう? 例えば、なんというかなあ。引きこもりで親から「お前、なんかちゃんとやれ」っていわれて、「そしたら声優になりたい」といって声優育成の学校に行ったとしても、それはその人は声優になりたくてやりたいことを作ったじゃなくて、親への言い訳のために声優になると言い出したってことじゃないですか。 そしてそうであれば、心底声優になりたいと思ってやってきた人に勝てるわけがないですよ。向こうはやりたくてやりたくて、人によっては人生かけてやってきてるんですから、「ま、本当はやりたいわけじゃないんですけどね」って人に負けるわけにいかないじゃないですか。 >生きるか死ぬか、どちらにも逃げることができないというあまりにも滑稽な結末が待っていた 自殺するっていうのも、すげえエネルギーが要りますからね。 >どうやって辛い現状を解決したか たぶんですが、質問者さんから見てそういう体験をした人でも解決まではしていないと思います。解決っていうと、もうその先は心配いらないってイメージですよね。解決というより、改善じゃないかと思います。あとはまあ質問者さんにとっては不愉快な回答になるでしょうが、どうやって改善したかといえば、逃げずに踏みとどまったってことだと思います。それ以外にあるとしたら、宝くじに当たった級のとんでもないラッキーなことが起きたくらいじゃないかな。自分を変えないとしたら、もうあとは運頼みですよね。そして運不運は自分でコントロールできるものではないから、宝くじに当たった人の話を聞いても参考にすることはほとんどないでしょうね。 ですから、質問者さんにとって参考になる回答があるなら、それは「自分自身を変えた」ということになるのではないかな、と思います。 最終的には私のアドバイスとしては(そんなものは求めていなさそうですが)、苦痛に対して「耐える」以外の選択肢を自分で用意できたほうがいいと思うよ、ですね。僕にはこれしかないと主張されそうですが、こちらから申し上げるのは、「それは毎度負けている戦術だよ」ってことですね。それにさ、結局耐えられていないのだから、耐えてないのと結果としては変わらないじゃないですか。まあ熱湯風呂に2秒耐えたのと10秒耐えたのではだいぶ違いはありますけれど、人生で耐えなきゃいけないことは熱湯風呂ばかりではないですからね。
お礼
1つのことにしか意識を向けられないのは、私の特性です。周囲にも理解されなかったのでよくわからなくて当然かと思います。 夢や目標を持たないという選択を許されることはありませんでした。社会と関わっていく上では常に問われてきたかと思うのですが何かおかしかったでしょうか?私にとって「余儀なくされた」以外の何物でもないと思っています。 周囲との説明のためとは違います。それができること自体は凄く羨ましいし、できるようになりたい。ただ好きではないという事です。 おっしゃるとおり解決ではなく改善の方が適切でした。訂正します。 ()を使用した部分や、不愉快になるかもと書いている部分は全く気になりませんし、私の考えが納得できなかったことについても当然のことだと受け止めます。 読ませていただいて、正直、的外れな決めつけに感じる部分も多かったです。余計なお世話かもしれませんが、視野が狭いという言葉は回答者様にも当てはまるのではないでしょうか。 ずいぶん失礼なことを書いた気もしますが、回答くださったことには感謝しております。1つの意見として受け止め参考にさせていただきます。回答ありがとうございました。
- o09080706o
- ベストアンサー率10% (279/2617)
>・頑張っていた時の辛さを思い出し、新しく頑張ろうとする私に歯止めをかける事 >・逃げてしまう結果が見えていること >・どうあがいても幸せになれないと思う絶望感 直近の「うまくできたこと」を中心に考えるといいと思います。 例えば「パジャマがうまく畳めた」というところから始めてもいいと思います。
お礼
心に余裕があれば、世界がバラ色に見えるのですが、小さな幸せを感じることができないのが現状です。 回答ありがとうございました。
- aneq
- ベストアンサー率16% (145/868)
他の回答者さんも言っていますが、質問文を読んでまず感じたのは、どこか偏執的な印象はあるものの、決して知性が低い人ではないということです。 悩み事を深く深く考え、自分なりの答えも出しているんだけど、今のところはまだ、抱えているいろいろな問題について解決策を見つけられていないというところでしょうか。 私も学生時代には、協調性がない、集団行動ができないとされて問題児扱いされ、社会に出てからも会社勤めがうまくいかずに挫折し、家に引きこもってニートという、痛すぎるどん底の人生スタートでした。 それで、引きこもった部屋で何を思ったかと言うと、「何が何でもお金持ちになろう」です。惨めな思い、理不尽な思い、悔しい思いばかりしてきたけれど、お金持ちにさえなれば、すべて逆転できるという、とても単純な目標設定であり、これからどう生きるかを決める「答え」が出たわけです。それが30歳の時でした。 それからパソコンを買って、お金を稼ぐ方法を探し、できそうなことは端から試してみて、そうこうしている内に、人生最大のチャンスと感じるものに出会い、周囲の人がみんな無理だと反対する中、狂気とも思える執念で10年かけてそれをやり抜き、会社勤めの人が10年かけても稼げない額のお金を手に入れて、今度はそれを元手に投資をはじめて、40代半ばで、働かなくても生活できるレベルになり、今は趣味程度に投資を楽しんでいる状態です。 言いたいことは、人生の喜びや感動や快楽は、猛烈に苦しいこと、辛いこと、困難なことを乗り越えた先にある、ということです。 私がなぜ、逃げずに10年も難しいことをやり抜くことができたのかというと、それをやり抜けば大金を手に入れることができると確信していたからで、目の前の苦しいことじゃなくて、苦しいことの先にあるお金を見ていたからです。 どんな生き方をしても、辛いことはありますが、その辛いことの先に、何が何でも欲しいものが見えてさえいれば、乗り越えられるものなんです。人は、辛いことに耐えなければと思っても、そんなに頑張れませんが、欲望や快楽のためなら、猛烈に頑張れてしまうものなので。 普通の人が普通のことを普通にやっていてもお金持ちにはなれません。お金持ちになれるのは、ちょっと変な奴ですよね。あなたにはお金持ちになる素質があると思うので、お金持ちを目指して、お金のために頑張る生き方をしてみたらどうですか。
お礼
私はお金にはあまり執着がないので、回答者様のようにお金のために頑張る生き方というのはできそうにありません。 しかし、ニートから一転大きな目標を達成し、それをかなえるために数多の困難を乗り越えたという人生訓は非常に参考になりました。 先を見据えてひたすら邁進する。わき目を振っていた私には良い薬になりました。回答ありがとうございます。
- espresso1081
- ベストアンサー率19% (123/631)
同じような経験はしていませんが、ベニヤ板一枚踏み外せば路頭に迷うであろうおばさんです。泥舟の船長とも言えるかもしれません。 どうも質問者さんは、逃げることを悪いことと捉えているように感じましたが、質問文を読む限り、適切に逃げていると思いますね。戦況が不利で予想される被害の方が大きければ、退却は英断ですよ。一刻も早く逃げた方が良い場面は多々あります。 死から逃げたのも生物として正解です。 精神科医から診断されているのは、鬱病だけですか? 中卒、知能が低いとありますが、質問文の文章力と辻褄が合わない気がしますし、精神的苦痛に耐え続けた日々というのは子供時代だろうと思いますので、学業どころではなかったのはもちろん、順調な脳の発達ができていない可能性があるように思いました。もしかしたら学習障害があるのかもしれません。だから知能が低いとは限らないですよ。 お住いの地域の発達障害支援センターにご自身のことを相談して、病院で知能検査を含めた発達検査をしてもらって、まずはご自身の能力を把握した方がいいと思います。 その結果もしも発達障害と診断されて障害者手帳を取得すれば、国の支援の対象となりますから、障害者枠で良い会社に無理なく勤められる可能性が出てきます。 鬱病などで一時的に働けなくても生活保護を受ける時に話が早いとか、いろいろとサポートしてくれる組織もあると思います。 脳はいくつになっても発達しますので、検査結果で現在の状態を理解した上で、適切で適度な努力を続けると少しずつ良くなっていくと思います。 がんばるというのは本来、そんなに辛いことではないので、質問者さんが過去にがんばったことは、ちょっと無理な目標を設定したか、辛いことに耐えること自体をがんばると表現しているのかな?と思いました。そうであれば逃げるのは身を守るための適切な行動だと思います。
お礼
知能が低いと書いたのは、学生時代頭も悪く運動もできない奴とレッテルを張られた経験があるからです。事実、学力テストでも常に順位は最下位に近 かったです。 発達障害の可能性は以前から感じており、検査を受けようというという気持ちと結果を知りたくない気持ちがせめぎ合っています。 頑張ることはさほど辛くないですか。確かになぜ自分だけ頑張ることがこれほどにまで辛いのだろうと悩み続けていたので、そういった所にも周囲とのズレがあるのかもしれません。悩みすぎたせいか考えが固くなっているみたいです。回答ありがとうございました。
- KenjiMasuda
- ベストアンサー率18% (37/196)
文章の内容からすると、叱咤激励しても「そんな話は何度も聞いたよ・・・」になるし、体験談を読んでも「それは俺にはあてはまらないんだよなぁ・・・」になる。 文章の内容よりも気になったのは、「中卒とは思えない高度な文章力と自己観察力」です。で、「提案」なのですが、中島義道の著書をオススメします。中島義道は良くも悪くも日本を代表する哲学者ですが、難解な著作はなく、むしろ「それ、当たってる」とうなずきながら読み進められる本ばかりです。「中島義道の本を買うために今のバイトを続ける」は1つの生き甲斐になるかもしれません。私は全ての著書を読んだ訳ではありませんが、いくぶんかは救われました。
お礼
中島義道調べてみました。本や人の考えに強く揺さぶられたり救われた経験は少ないのですが、1度手に取ってみようと思います。 いきなり生きがいにはできないかもしれませんが、1つの考えとして参考にさせていただきます。回答ありがとうございました。
お礼
一進一退。肝に銘じておきます。 回答ありがとうございました。