• 締切済み

祖母が亡くなった理由(原因)を明確に知りたい場合

 祖母が無くなり、診断結果には『老衰』と書かれています。  祖母は92歳の途中から施設へ入所し  認知症も有った為、特別擁護施設にて看取り看護迄の形で  入所していました。  27日の朝、施設から連絡が有り  『 24日に胸が痛いと仰っていた。 』  と云う旨と、27日の朝食を要らないとお断りされ  それでも少しでも食べなくてはと、食べさせた所吐いてしまった事  そして血圧が低くなっている事、脈拍も通常の人の1/2程度に  なっているので覚悟をしておいてください、と言われたのです。  不安になり、当然心配になり家の鍵も掛けずにすぐに  施設へ向かい様子を見ると  呼吸がとても苦しそうでした。  浅く、早い呼吸です。  丁度施設の隣が大きな病院で、そちらの院長先生(内科に属されている先生でも有ります)  が1人1人の状態を毎日1回確認するのですが  丁度来られており、説明は特に無し。  指先迄冷たくなっているので、既に末端迄、血液が行っていない事と  酸素が回っていない事を看護師から聞かされました。  祖母は諦める様子は無く『神様、仏様、死にたく無い。お願いします。』と  言っていましたし『腹が減ったって言ってるのにほったらかしだ』とも。  その話も当然しましたが、食べても吐いてしまい   それだけ体への負担が掛かる為、亡くなってしまう迄の時間を早める可能性が  有りますが食べさせると云うよりは、とろみの有る飲み物を  飲ませてみましょうか?と。  お願いしますと、やって貰おうとしたのですが  1口目→飲み込むも、吐き出す。  2口目→何とか飲み込みましたが体を起こすと胸が苦しい様で      『やめてくれ・・』と言いました。  1口目と云っても、小さなティースプーンに軽く乗っている程度の量で  水分摂取したとは到底言えない量で、吐き出すのは嘘では無いと分かりました。    結果的にその日の夜23時30過ぎに亡くなりました。  施設にいた数名のスタッフの皆さんが頭を深く下げ  『お疲れ様でした、ありがとうございました。』と。  最後まで頭を下げて見送って頂き、30日に無事火葬まで済みました。  今更ながらなのですが  『老衰』による『多臓器不全』は有り得ないと云う医学的に記述を目にし    祖母は24日に胸が苦しいと訴えていた時、意思がなんらかの  治療を適切に行っていれば死なずに済んだのでは無いかと  疑う様になっています。  そもそも24日時点で『胸が痛い』と訴えたのに医者の診断を仰がず  27日に衰弱した状態になってから家族に連絡をして来るのは  可笑しい事なのでは無いでしょうか?  祖母の訴えでは、胸が苦しいと言い出した当日ないし  翌日には血圧が下がっていった様です。  95歳で老衰とも言えるのかもしれませんが  多臓器不全で胸が苦しいと言うのは肺に問題が有るのが多いともかかれており  その時、適切な診察なりを受けていたら今も生きれていたのでは無いか  と思うと悲しさと怒りと、疑いが出てしまって。  老衰の場合は食欲も無くなり、水分摂取もしたなくなる事が多いと書いて有りましたが  祖母は最期まで『腹が減った』『喉が渇いた』と言っていました。    医師の診断 『老衰』は正しかったのでしょうか?  24日時点で胸が苦しいと言った時点で適切な診断を受けていたら  一気に衰弱し、そのまま亡くなる事は無かったのでは無いか?と云う点  多臓器不全と、老衰は『=』では無いと云う記述が正しいのか  多臓器不全と、老衰は『=』だと云うのも有るのか・・・  今更ながらですが、何かあちら側に落ち度が有ったのなら  許せる事では有りません。  あくまでも注意と云う形で話をさせて頂きたいと思っている程度ですが  (金銭は一切要りません、本人は戻ってきませんので)  詳しい方教えてください。  読んでおられる皆様にとっては、単なる祖母と孫の関係に思えると思いますが  私が3歳か4歳の頃引取り、後見人とすると認可を受けて  実の子同然に育ててくれた母親同然の人です。  その為、こだわりが強い事をご理解ください。    点滴等で栄養を・・と相談もしましたが  既に指先迄血流が回っていない為、血管がほぼ見えないと言われ  無理に体に苦痛を与えるよりもこのまま眠る様に休ませた方が良いと  言われ断られました。(私は鎖骨辺りからの点滴で有れば血管を傷めず出来ると言いましたが  無理だとの事でした)  既に臓器が駄目になっているから、と。  私から見た光景は  まるで『餓死をさせる為の時間』だったとしか思っていません。  確かに吐き出して食べれなかったのですが  24日の胸辺りの痛みを知った時点で可笑しいと思わなかったのか  それに気付いていたら、何らかの治療を受けていれば  こうはならなかったのでは無いか、と思うのです。  長くなりましたが宜しくお願い致します。

みんなの回答

  • oyatsuya
  • ベストアンサー率21% (111/517)
回答No.7

>疑念を抱く理由は何をどうして欲しいと云う事もなのですが  24日の時点で胸付近の苦しさを訴えていた事を知らされたのが  26日の朝なので、何故当日に連絡をして来なかったのか、  自分達の要望が有る時は細かく連絡をして来るのに、です。  そうすれば24、25、26、27、28日の夜迄と  もっと一緒に過ごせる時間が有ったと思う点も有ります。 そうですね。家族としてはとても心底心残りで残念ですよね。 考えてみましたが、 クリープ等の要望は、施設のその当担当者にその義務と権限があるからできるしするししたのだと思います。 >家族からすれば24日の出来事を連絡せずに  衰弱してからやっと連絡をして来たと云う部分に対しての不信感は  当然生まれます。 憶測ですが、 胸が苦しいという訴えだけで、症状としての状態が 見た目で重篤な疾患を思わせる特徴が見られなかったのかも知れなくて、 もしかしたらもう少し様子を見てから医師に伝えようという判断を してしまったのかも知れないですね。 そしてその判断は、 身の回りの介護を責任を持ってするスタッフとは別のスタッフの担当なのかもしれません。 >勿論24日の時点で何の治療も出来ないとしてでも、その連絡位  何故出来なかったのかと思ってしまうんです。 施設のその判断をする担当スタッフの判断ミスだと思います。 >既に短いかもしれないと思っていた、思っている、  医師からそう言われていたとした場合、  家族に連絡を取るのが当たり前なのでは無いかと言う気持ちです。 当たり前だと思います。 もしかすると、医師に診せたのは27日近くではないかと思います。 >人としてどうなのか、命に携わる仕事を常にしている者として  どうなのか、 何十名もの、亡くなりゆく方々を一度に抱えて 何百名もの、灯が消えていきつつある様子を看取っていく中で 肉体としての人の最後に至る変化を直視し続けていくと、 少しは麻痺することもあるかも知れないですね。人は神ではないですから。 それか、 老人介護施設の人手不足と多忙さとで気持ちにゆとりが無くて そこまで細やかには気が回らなかったのかもしれませんね。 >本人の苦しいと云う訴えを聞いた者としてどうなのかと。  祖母は痛みにも辛さにも我慢強い方で、もしかしたら以前から違和感が  有ったのかもしれません。  性格上、我慢するタイプでどうしてもの時以外は  絶対に弱音を吐かなかった人でしたので、  それを伝えて来たと云うのなら余程苦しい状態だったんだと思います。 きっと、施設のスタッフは、お祖母様の性格を把握できるような触れ合いまで出来るゆとりが、時間的にも労力的にも無かったのだと思います。 >施設と病院は連携してる形での運営だったので安心し切ってた部分も  有ります。  何か有れば隣がすぐ病院ですし、  当然緊急も24時間フル体制でしたので。 公言している設備や体制に関して、 使用者と実行者との意識や認識に、大きな隔たりがあるという現実、 もしかしたら多くの施設で同様のことがあると推測される状態。 >ただ辛い気持ちと、違和感と不信感だけが今だに残っています。 私も、辛い気持ちになりました。 でも、きっとお祖母さまは、今は痛みも無くなりホッとして 今のほうが案外動き易くて良いものだと思われて、 笑顔で質問者さんを見守ってらっしゃるのではと思います。

  • ayako728
  • ベストアンサー率17% (81/452)
回答No.6

書き忘れていたことを回答します。確かに、施設の対応不足と主治医の先生の説明不足を感じます。 俺の親の場合は施設から連絡があり、「昨日から食事が出来なくなり、老衰が始まりました。今は点滴をしていますが、薬を飲ませられません。栄養剤を鼻から入れれば、薬を入れることが出来ます」と施設長から言われた。因みに、その時点では認知症で半年前から俺の顔は分からず、意識不明であり、そして一年後に死去した。その間、主治医の先生から、「全身にぶつぶつがあるけど、総合病院を紹介しましょうか?」と言われたこともある。その際は紹介状を書いてもらい、総合病院で検査を受けてぶつぶつは治った。総合病院の栄養剤は保険が使えないタイプで、施設もその後は同じ物を使用した。 ただ、総合病院といえど能力差と地域差がある。俺は右目の一部が網膜剥離となり、検査の当日レーザーを浴びた後にそのまま当日帰宅し、検査は三箇月に一回。それに対して、同じ目の一部が網膜剥離の親戚は、「手術が1泊二日で、毎週半日検査」と話している。こういうことも現実にあるから、主治医が無能だった可能性も否定しきれない。

dokuro_sukaru
質問者

お礼

ありがとうございます。 多分・・私が一番納得が行かなかったのは施設のスタッフの対応と 医師として、家族に対して出来る事・出来ない事のきちんとした説明を 一切して貰えなかった事に対して生まれた不信感だと 皆さんの回答を読んで思いました。 患者を上から目線で見て物事を言う医者しかいない様な病院なので 信用性も腕も無いと思います。 四の五の言った所で本人は戻ってくる事も有りませんし 施設の正確な利用料金(日割り等の)が分かり次第支払いに行くので その時に話をさせて頂こうと思います。 ありがとうございます。

  • oyatsuya
  • ベストアンサー率21% (111/517)
回答No.5

施設は、普通の一般的な対応をしたのだと思います。 一般的でなく特別な対応を望む場合は、 事前に、しかもしつこいくらいに事あるごとに、 お願いしておく必要があると思います。 できれば、こういうときはこうしてください と具体的に決めておくと良かったと思います。 希望や要望を明らかにして伝えれば、 それが可能かどうかとか、何故不可能かとか それならと、施設や医療で可能な限りの代替案を出して貰えたりと、 話し合いの中で互いの理解と思いやりが深まり、 質問者さんが納得したうえでの処遇になったと思います。 人が亡くなる時は、 急変して亡くなることも多くて、 そのばあい、昨日まであんなに元気だったのに という状態なもので。 だから、その元気なときに、つい希望を持ってしまうのが家族の情愛ですよね。申し訳なく他人事ながら、悲しいことだと思いました。

dokuro_sukaru
質問者

お礼

ありがとうございます。 急変する事が有るのは誰でも言える事で こうして健康で今文字を打っている私達でさえ、明日は我が身かもしれない事も承知しています。 疑念を抱く理由は何をどうして欲しいと云う事もなのですが 24日の時点で胸付近の苦しさを訴えていた事を知らされたのが 26日の朝なので、何故当日に連絡をして来なかったのか、自分達の要望が有る時は細かく連絡をして来るのに、です。 そうすれば24、25、26、27、28日の夜迄ともっと一緒に過ごせる時間が有ったと思う点も有ります。 家族からすれば24日の出来事を連絡せずに衰弱してからやっと連絡を して来たと云う部分に対しての不信感は当然生まれます。 勿論24日の時点で何の治療も出来ないとしてでも、その連絡位 何故出来なかったのかと思ってしまうんです。 多分私がこだわり続けているのはそこに問題が有るからだと思います。 普段ならクリープが無いだの砂糖が無いだのと細かい要求を頻繁にしてくるのに、大事な時に連絡をして来なかった事。 既に短いかもしれないと思っていた、思っている、医師からそう言われていたとした場合、家族に連絡を取るのが当たり前なのでは無いかと言う気持ちです。 人としてどうなのか、命に携わる仕事を常にしている者として どうなのか、本人の苦しいと云う訴えを聞いた者としてどうなのかと。 祖母は痛みにも辛さにも我慢強い方で、もしかしたら以前から違和感が 有ったのかもしれません。 性格上、我慢するタイプでどうしてもの時以外は絶対に弱音を吐かなかった人でしたので、それを伝えて来たと云うのなら余程苦しい状態だったんだと 思います。 施設と病院は連携してる形での運営だったので安心し切ってた部分も 有ります。 何か有れば隣がすぐ病院ですし、当然緊急も24時間フル体制でしたので。 ただ辛い気持ちと、違和感と不信感だけが今だに残っています。

回答No.4

「延命処置をしないで看取る」と言われていた場合には、 何もしない・・という事になる場合があります。それは別にして 今回の場合を考えてみましょう。 胸が苦しいという事がなにから来ていたかを考えてみます。 「心筋梗塞」:ステント治療が必要でしょう。でも、血管がぼろぼろ であり、ステント治療の途中で亡くなってしまう可能性が高いです。 「解離性大動脈瘤」:これは手術しか助ける方法がありませんので無理です。 「胃潰瘍」:胃カメラで確定診断をしなくてはなりませんが、ちょっと無理かと。 薬は内服できないので点滴をしたくても出来ないです。 「逆流性食道炎」:これだけで、ここまで苦しむとは思えないです。 その他もあるとは思うのですが、高齢であること、血管確保が難しくて 中心静脈栄養を行うリスクがある事から考えると、なかなか難しいケースだと 思います。検査そのもののリスクも高いケースだと思います。 痛み止めは内服できず、点滴も使えないという事になりますと貼り薬を使う 程度になってしまいます。 老衰というのは 「眠るように亡くなる」というだけでなく 「手の施しようが無い・診断のための検査まで危険である」 という物まで含んでいるとお考え下さい。そうなれば、多臓器不全がある 場合もあるし、無い場合もあるという事がおわかりになるかと思います。 疑問に思われる点は良く理解できますし「もっと楽にしてあげたかった」 という気持ちもわかります。医師の説明不足もあるとは思うのですが、 検査も難しく、治療も困難という悲しいケースなのかな・・そう思いました。

dokuro_sukaru
質問者

お礼

ありがとうございます。 担当医師から言われた(看護師を通して。医師はこちらとは話もしない)のは 『元々心臓が弱かったんじゃないですかね?』と云う一言のみでした。 なので本人が24日に訴えた胸辺りの苦しい感じは心臓か肺のいずれかだと 個人的には思いました。 治療が出来ないと判断したとしても、それを伝えて来たのは26日の朝で 24日当日と25日は何故連絡をして来なかったのかと そこから不信感が生まれたんです。 確かに眠る感覚で亡くなった様で苦しんで苦しんで死ななかっただけ 救いなのかもしれません。 でも亡くなる当日、ずっとお腹が空いたって何度も言ってるのに ほったらかしだ、とか・・飲み物もくれないとか・・ ずっと嘆いただけに、その光景、その言葉が頭から離れず 『死にたく無い、お願いします』と云う今迄弱音を吐かなかった人が そんな風に口にする事も、全てが悪夢の様で、でも実際に聞いた言葉で モヤモヤしてる状態が続いています。 スタッフへの不信感、医師も家族に何一つ説明もしない。 診察する時だけ『一旦部屋の外でお待ちいただけますか?』と言っただけで 後は挨拶も説明もせずに部屋をさっさと出て行きました。 スタッフ(看護師らしいです)から『体の中が駄目になってる』と 本人がいる近くで言われ・・・人間不信になりそうです。 自分の家族じゃないから、他人だから、こう云う経験に慣れているから 淡々と配慮もせずに物事が言えて、出来るんだろうと痛感しました。 眠る形の状態で息を引取ったと云う事と 看取り看護体制なので、看護師では無い単なるスタッフの1人が 見守っていてくださった様でその方にだけは感謝します。 祖母を一人で逝かせないで、看取ってくれた事への感謝です。 血管が既に見えなくなっている事も確認していましたし 血流が全身に行き渡っていない事も確認出来る程 指先まで冷たくなってるのも分かりました。 それでも『治療は出来ない状態で有る』と医師からきちんと 説明を受けたかったと云う想いだけが強く残ります。

  • ayako728
  • ベストアンサー率17% (81/452)
回答No.3

確かに老衰です。老衰は生きるための力がなくなったということです。 質問者さんは死亡診断書を見ているのかな?因みに、俺の親の場合の死亡診断書では、老衰を原因とする敗血症及び急性腎不全だった。つまり、老衰は死因のきっかけだ。何をしてもだめだったということです。 質問者さんのお祖母ちゃんがそうなる前なら、鼻から栄養剤を入れて生かすことも出来る。でも、意識不明の場合だけで、するかどうかを家族が聞かれる。栄養剤の前が点滴だけど、大半が水分で医療用ポ〇リス〇ットだと思えばいい。因みに、アメリカならお祖母ちゃんの年齢なら、点滴すらいっさいしようとせず、神に召されますだよ。

dokuro_sukaru
質問者

お礼

ありがとうございます。 施設や医師に対して不審に感じたのは(そもそも疑ったキッカケ) 24日の時点で『胸が苦しい』と言ってるのに関わらず 診察を受けさせようとせず、回診の医師にもそれが伝わってなかったと した場合、それはどうなのかな?と云った所です。 24日の時点で胸の辺りが苦しいと本人が訴えていたと云う事実を 26日(27日と書きましたが間違いで26日の朝聞きました)に 初めて知りました。 もしその時(24日)医師がちゃんと診察なり、適切な対応をしていれば もう少し生きれたのでは無いかと思った次第です。 コーヒーが無いだとか、クリープを持って来てくれとか 肌着を持って来て等は細かく連絡して来るのに 24日に胸辺りの痛みを訴えていた事は一切連絡が無く 26日に連絡を受けて夫が代わりに行ってくれたのですが 元気に話をしていたとの事で変わった事は無いし大丈夫だと思うと 言われた程で、いつも通り親類の文句を言いまくってたと聞き 安心していましたがその翌日の事だった為・・・ 尚更の事24日時点でその胸辺りの苦しいと云う部分(肺や心臓なり) を心音なり肺の音を聞くなりして何か治療が出来たのでは無いかと。 24日の胸付近が苦しいと云う日、25日、26日の午後迄は 普通に食事をして、普通にコーヒーを飲んだりしていた訳なので 27日の朝に急変する前に、数日有った訳なので 何か出来た事が有るのでは無いのか、医師として見落としは 一切無かったのか、と疑問に感じています。 延命治療については個々の考えが有ると思いますが 私は本人が生きたい、死にたく無いと言っている意思を尊重します。 なので意識が無くなるとしても、延命治療をお願いしていたと 言い切ります。

  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.2

『そして血圧が低くなっている事、脈拍も通常の人の1/2程度に  なっているので覚悟をしておいてください、と言われたのです。』 『既に指先迄血流が回っていない為、血管がほぼ見えないと言われ  無理に体に苦痛を与えるよりもこのまま眠る様に休ませた方が良いと  言われ断られました。(私は鎖骨辺りからの点滴で有れば血管を傷めず出来ると言いましたが  無理だとの事でした)』 老衰の典型的な症状です。脈拍数が減る(徐脈)で、当然心臓が送り出す力も回数も少ないから血圧は低くなり、指先など末端の毛細血管までの血流が送れずに、酸素供給が全身にできにくくなっているのです。 本来のスタミナ以上のペースで心臓を動かすような薬を使うと、そのときは復活したような錯覚をしますが、それは心臓の急停止を引き起こして、逆に患者さんの穏やかな眠るような死を迎えられず、発作で苦しんだ体勢のまま息を引き取ることになるだけです。

dokuro_sukaru
質問者

お礼

ありがとうございます。 施設や医師に対して不審に感じたのは(そもそも疑ったキッカケ) 24日の時点で『胸が苦しい』と言ってるのに関わらず 診察を受けさせようとせず、回診の医師にもそれが伝わってなかったと した場合、それはどうなのかな?と云った所です。 24日の時点で胸の辺りが苦しいと本人が訴えていたと云う事実を 26日(27日と書きましたが間違いで26日の朝聞きました)に 初めて知りました。 もしその時(24日)医師がちゃんと診察なり、適切な対応をしていれば もう少し生きれたのでは無いかと思った次第です。 コーヒーが無いだとか、クリープを持って来てくれとか 肌着を持って来て等は細かく連絡して来るのに 24日に胸辺りの痛みを訴えていた事は一切連絡が無く 26日に連絡を受けて夫が代わりに行ってくれたのですが 元気に話をしていたとの事で変わった事は無いし大丈夫だと思うと 言われた程で、いつも通り親類の文句を言いまくってたと聞き 安心していましたがその翌日の事だった為・・・ 尚更の事24日時点でその胸辺りの苦しいと云う部分(肺や心臓なり) を心音なり肺の音を聞くなりして何か治療が出来たのでは無いかと。 24日の胸付近が苦しいと云う日、25日、26日の午後迄は 普通に食事をして、普通にコーヒーを飲んだりしていた訳なので 27日の朝に急変する前に、数日有った訳なので 何か出来た事が有るのでは無いのか、医師として見落としは 一切無かったのか、と疑問に感じています。 先にも書きましたが、24日に胸付近の苦しさを訴えたものの 24日の朝・昼・晩と食事も普通に摂り、25日も26日も 普通に食事・飲み物摂取をして普通に会話も出来ていました。 だからこそ24日の胸付近の苦しさに対して何かしらの対応をしていれば 27日の朝から一気に衰弱する事は無かったのでは無いのかと 疑問に感じます。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.1

遺体が残っているのなら解剖で分かることもあります。すでに焼いてしまったのであれば残念ですが調べようがないです。

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