• 締切済み

生=全てを失う事を受け入れられるように?

生=全てを失う事を受け入れられるように? こんにちは(^_^)/ まだ40歳の若輩者です。 私は西野カナちゃんの歌詞や曲が大好きです。 まあそれは兎も角、 質問のタイトルについて老若男女の皆さんはどう思われますか? 輪廻天性・輪廻転生と言う言葉がありますが、 私の解釈ですけど、 私の身体にも魂があるとして、 臨終と同時に、頭の上10m位の所に異空間が見える。 ひとまず、自らの意思で絶命した自らの身体から起き上がり、 起き上がった魂である自分にも目があり、 抜け殻となった、亡骸(なきがら)・屍(尸・しかばね)・遺体、 つまり、元の自分を直視する事が出来る。 いわゆる幽体離脱、状態となる。 魂と元の自分は一緒に移動。 家族の前で生前にお世話になった人達に通夜やお葬式でお坊さんに最期の自己紹介をしてもらう事により、 喉仏から煩悩を抜き取ってもらい、 それを、その魂そのものがパソコンで例えるなら、 フォルダであるとして、 その中に価値ある経験と言うファイル、つまり先ほどの煩悩を詰め込む事が出来る。 以下の冥土の土産とは信念と読み替えても良いと思います。 何故なら、心ならずも不慮の死を遂げた人は、 要するに自分が亡くなった事を受け入れられない、あるいは理解が出来ないので、 無念状態でつまり信念が無い、更に言い換えると冥土の土産が無いので、 俗世から旅立つ事が出来ないと思います。 無心(冥土の土産あり) 無念(冥土の土産なし) って感じかな? お坊さんがお経により冥土の土産である煩悩を、元の自分から取り出してくれて、 自分である魂の中に手渡してくれる。 お坊さんはさながら、 俗世から天国(あの世)への水先人(水先案内人)って感じなんかな? こう言う解釈で合っとんかは分からへんねんけどね。 これで自分は最期に元の自分の亡骸でもいいんやけど、 それと一緒に家族と焼場へ移動。 遺された家族には見えないけど、 間違っていたらごめんなさい、 意味は分からないけど、榊(サカキ)?シシャキ?どちらかを忘れたけどで、ペッペッとしてもらう。 まあ、その時大抵は家族は泣いている。 良かったなと思いながら、 元の自分が焼けて無くなるのを確認し終える。 家族は一旦休憩を兼ねて昼食の為に焼場を離れる。 亡骸と自分である魂の移動関係は不明であるが、 昼食を終えて焼場に戻ってきた家族が、 最期に残った煩悩が抜けた、つまり家族との生きた証である、 喉仏を持ち帰る後ろ姿を見ながら永久の別れ。 これで旅立てるね、と安心して、 先ほどの頭上10mの異空間に自らの意思で入り、 進んで行くとその先には三途の川が流れていて、 そしてその更に先が天国・浄土があり到着。 そこには、神様もいらっしゃて仏様に変えてもらえる。 他にも自分の先祖など色々な方々がいらっしゃって、 各々の家族を見守っているし、 神様からは仏である自分に家族の課題点などを見守って色々考えておきなさいと言われている。 お盆には、神様に一時帰宅を許されて家族の元へ。 行き先は骨壷にある、喉仏。 現生にいる家族から煩悩を聞き、 それを、お盆休みを終えて持ち帰り、 神様に報告し、家族に神様に加護を与えてもらう。 家族を見守り、もう大丈夫やなと思ったら、 では、次はどこへ行くん?と聞かれて、 前世から持っていた、煩悩や先祖と一緒に見守ってきた家族の状況を考えて、神様に希望をお願いする。 神様も煩悩からではあなたにはこの、 3個の選択肢はどう?と与えられて、 ではこれでお願いします、と選ばせてもらい、 神様に本当にこれでいいの?と聞かれて、はいと答えたらその時点で人間の魂に戻してもらえて、 その後に受精した瞬間の卵子へ送り込まれて次世に生を受ける。 行き先は地球人か果ては宇宙人かは不明。 宇宙人なら卵子ではないと思うけど…。 輪廻転生・輪廻天性ってこんな感じかな? 俗世で煩悩を失う事は、つまり俗世に何かを残しているのかな?と思ってみたり。 とりあえず、地球人って事で。 皆さんはどう思われますか? あらゆる宗教の信者の方の私の考えへの肯定や否定、 あるいはお信じの宗教の教えもお聞かせ頂ければ嬉しいです、よろしくお願い致します。

みんなの回答

  • oyatsuya
  • ベストアンサー率21% (111/517)
回答No.8

私も霊的面経験者です。 他にもたくさんいらっしゃいます。 私は、私のその殆どの経験に裏付けを取り、証拠になるものを見つけ出しています。 なので、私の霊的面の経験は、現実です。 話は少し変わりますが、 あれは、楽しいですネ。頭の波長?か何かが他の何かと一致するとき、 その感覚。。 などなど、ここではこれ以上語りません。 でも、特別なことではなくて、同様の経験者、同時に同様の思いの人は、 たくさんいるということを知っておくのは素敵で幸せなことだと思うので、 一応ですがその中の一人の私が、伝えてみました。

UhaUha-Yon
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 経験者は似た経験をしている様ですね。

  • doraneko66
  • ベストアンサー率11% (535/4742)
回答No.7

すでに霊的な体験は、脳の一部が見せていると科学的にも証明されています。ホルモンバランスが崩れた人や認知症の人などは、特に見やすいです。 それと猫犬が部屋で吠えるというのも視聴感覚に優れていて、水道管などの音に反応していることがわかってます。 なので、あなたの実体験というのも脳の一部が見せた幻想です。 人には、わからないってのはもう通じなくなっている時代なのです。

UhaUha-Yon
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 私は40歳ジャストです。 森羅万象(万物創生)=0=1 でも良いし、 輪廻転生(輪廻天性)=0=1 でも良いし、 西野カナちゃんやKiroro=0=1 絶命する時や、絶命後も、 魂や心は、UhaUha-Yonかも知れないし、 無念かも知れない。 生きて現生にいる私たちの身体に入っている自分自身の魂や、 亡くなった魂も、 0=1 1=0を理解ができれば楽しいかな? この永遠のテーマを神様がお創りになられた、 と言うのが私の究極の結論かな(笑) 追伸: 正直言えば宗教は日常生活には殆ど取り入れていませんでした。 知識としてはかなりありましたが、 今まで、それら一つ一つを結び付けた事はありませんでした。 何も宗教の意味を理解していないに等しかった。 真剣に考えたのはここ数ヶ月だけです。 これからは以前の様に、盆と正月だけで十分と思う様になりましたが、根本的に意味が違う事は言えますし、 宗教=人生なので、 私には宗教は必要はないので、 自分は気が向いた時(盆と正月)だけとか、苦境の人には話してみます。 千日回峰行みたいな荒行人生はもう結構だし、 ウェルカムどちらでもOK(笑)

  • oyatsuya
  • ベストアンサー率21% (111/517)
回答No.6

>また生まれ変わる時に、希望を言えば良いかな?とも思ったり。 生まれ変わりたい というのも 欲 という人間的煩悩な気がして。 >ただ亡くなった時に、無で無ければならないのではないか? そんなこと出来る人間はいないと思います。 >善行の元人も悪行の元人も、 善行 とか 悪行 とか、人間の作った基準ですヨネ。 >生まれ変わる時に、神様がその受け取った煩悩からお決めになられるので、 >神などから与えられる次生については、 >こちらの選ぶ権利は一切存在せず、 そうだと思います。 >産まれ変わる際に、 >内容すら知らされずに選ばなければならない場合もあるのではないかな?と思います。 選ぶ ということが出来るとは、私は思ってないです。 >もしくは、仏に成る事を許されず、 >そのまま神様などに君のやって来た事はこれだよ、とビデオを一緒に見て、 >極楽浄土の手前で中にいる沢山の仏は見えているのに、 >何らかの憂き目に合う意味を帯びた選択肢の次生のみを選ぶ羽目になり、 >しかも当然ながら魂から仏に成るどころか、 >魂に必要な時に引き出せるようにする、 >前世の情報など一切なく、 >そのまま俗世(次生)へ追い返されて、 >生を受ける事もあるかも知れないです。 罪人の処理方法の発想が、とても優しいですネ。 ほのぼのとした感じです。 >私は、物心が付いた幼い頃より現在の40歳あたりまで、バケツに水を一杯張った所に、 >顔を沈み込まされて絶命すら許されないギリギリの状態が続いていました。 >幸いにも、家族の厳しくもあり優しくもある支えや社会の人々から色々学ばせて頂いている事や、 >先祖や親に感謝しています。 その環境素因は親などだと思われるので、親に感謝しているというのと、今現在もその原因親などとの関係を大切に持たれているようなのとがつながらなくて、不思議ですが、まぁ、ご本人が納得されているので。 >そんな自分が今は少しは好きになれ始めました。 >いささかでも社会の一助になれればなあ、と思っています。 >日常生活ではほとんど宗教とは無縁のつもりではあったのですが、不思議な物ですね。 今現在は穏やかな気持ちで暮らしていらっしゃるようで良かったです。 自分の意志での楽な身体的絶命方法は無いので、 そのときの初体験の身体的異常な苦しみに支配され、 苦しみを抱えてどこに行こうかとか行けばとか思う余裕も無く、 苦しい苦しいと彷徨い続けるらしいです。永遠のような時間。 もっとも、残された人たちに、 絶命した人を身体的異常な苦しみから救う気があれば 現生の人たちが祈ることで救えるらしいです。 それから、絶命は一瞬でではないので、 それまでの長い?時間のあいだにいろんなことが頭をよぎり、後悔もしたりする。なぜか希望も生まれたりする。 けど、後戻り出来なかったりしたとき、最後はどういう思いを抱いて絶命することになるのでしょうか。

UhaUha-Yon
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そうですね。 医学や科学や物理学などでは証明できない永遠のテーマに、 輪廻天性(輪廻転生)・心霊(神霊)体験・テレパシー・予知能力や、 他にもあるかも知れないですね。 因みに私は、現生においての予知能力やその他を除けば、 上記に掲げた事象は経験済みです。 万物創生・森羅万象(形ある物ない物)・時間・空間などは、 やっぱり面白い。 ----------私的には---------- 人生体験は、 人間を下回る事はないし、 人間を超える事もない。 ----------ここまで私---------- ----相田満男さんから引用---- だって人間なんだもの ----ここまで相田満男さん---- 実体験としては、 私が勝手に家に上がり込んだ視覚・聴覚的な正真正銘の霊に対して、 ここに居座りたいなら玄関とトイレとお風呂の掃除くらいはしてね~、と語ったのが一番思い出になりました(笑) 道法自然で、 やっぱ、 西野カナちゃんとKiroro(ハート)大好き(ハート)

UhaUha-Yon
質問者

補足

<<選ぶ ということが出来るとは、私は思ってないです。 そうですねそう思われるのもありと思います(^_^)/

  • oyatsuya
  • ベストアンサー率21% (111/517)
回答No.5

事実を、煩悩そのものである人間に分かりやすくするために多少作ったと思える部分をそう書きました。人間に受け入れ易くするために、多少の事実からの逸脱もあるかも知れないとも思っていますけど。 悪気はないです。お気に障るようなことを書いてすいませんでした。

UhaUha-Yon
質問者

お礼

さらなるご回答ありがとうございます。 いえいえ、oyatsuya様の仰りたい真意を私が単に理解するだけの力量がないので、 もう少し考える機会を与えて頂ければと思い書き込みました。 煩悩については、 神様仏様(天)など何でもいいのですが、 先ほどまでの書き込みとは矛盾が生じますが、 何もかもご存知なので、 魂に煩悩を入れる必要もないし、 また生まれ変わる時に、希望を言えば良いかな?とも思ったり。 ただ亡くなった時に、無で無ければならないのではないか? ならば煩悩は仏さんが抜き取り、直接神などにお返しするのか? 生まれ変わる時に、神様がその受け取った煩悩からお決めになられるので、 善行の元人も悪行の元人も、 神などから与えられる次生については、 こちらの選ぶ権利は一切存在せず、 提示された2択か3択かは人それぞれかも分からないし、 例えば善行のあった仏(元人)ならば、選ぶ時点である程度、内容を教えられて選ぶ場合もあれば、 決して許されぬ何らかの悪行をした仏(元人)、 例えば前世において自分が指示役で人をそそのかして、実行犯役に人(被害者)を殺めさせ、挙句の果てにその実行犯をも自分が殺めて、 そのまま両者に何ら償いをする事なく、人生を終えた。 しかし、天は全てをご存じであったので、 産まれ変わる際に、 内容すら知らされずに選ばなければならない場合もあるのではないかな?と思います。 もしくは、仏に成る事を許されず、 そのまま神様などに君のやって来た事はこれだよ、とビデオを一緒に見て、 極楽浄土の手前で中にいる沢山の仏は見えているのに、 何らかの憂き目に合う意味を帯びた選択肢の次生のみを選ぶ羽目になり、 しかも当然ながら魂から仏に成るどころか、 魂に必要な時に引き出せるようにする、 前世の情報など一切なく、 そのまま俗世(次生)へ追い返されて、 生を受ける事もあるかも知れないです。 私は、物心が付いた幼い頃より現在の40歳あたりまで、バケツに水を一杯張った所に、 顔を沈み込まされて絶命すら許されないギリギリの状態が続いていました。 幸いにも、家族の厳しくもあり優しくもある支えや社会の人々から色々学ばせて頂いている事や、 先祖や親に感謝しています。 そんな自分が今は少しは好きになれ始めました。 いささかでも社会の一助になれればなあ、と思っています。 日常生活ではほとんど宗教とは無縁のつもりではあったのですが、不思議な物ですね。

  • doraneko66
  • ベストアンサー率11% (535/4742)
回答No.4

死へのいいわけ考えても意味ないと思ってます。 そんなもんあるのかないのか分かるわけありません。 死んだら、誰かの栄養になって、小さな細胞に生まれ変わるだけだと思います。 それが誰かにめぐりめぐって、生まれ変わるのかも知れません。 ただ、その細胞に前世の記憶なんかはありません。 生きている人にしか記憶は残りません。

UhaUha-Yon
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そうですね。 物体という3次元の考え方ですと、 そのお考えも十分に成立すると思います。 人は形ある物については、容易に受け入れられますが、 目に見えない物には恐れをなしたり、否定したいのかなと思います。 故に何事も面白いと思います。 西野カナちゃんの、 ♪♪♪お化けを怖がるとこ♪♪♪ ってありますけど、私は何とも思いません。 実体験済みなので(笑) 多くの人は理解不能でしょうね(笑)

  • catpow
  • ベストアンサー率24% (620/2527)
回答No.3

私は、幸福の科学の会員をやっています。 幸福の科学って、宗教団体って一般には思われています。 それは嘘ではないですが、それだけじゃあなく、生涯学習機関というか、うまく生きる方法を教える塾・学校という面も持っていたりします。 また、幸福の科学は、映画を3年おきに制作してきましたけど、これからは、毎年映画を制作するそうです。 その過去の映画作品の中に、アニメ「永遠の法」ってのがあります。 「人間はどこから来て、どこへ行くのか。人類の永遠のテーマである「霊界」のすべてを圧倒的なスケールの映像と音楽で映画化」 というのがあおり文句の作品です。死後まもない人が「どういう世界へ旅立つか」などの内容を含んでいます。 >>皆さんはどう思われますか? おおざっぱにいえば、質問者さんがここに書かれた「輪廻転生」のイメージは、幸福の科学が教えている内容と一致しています。 この「輪廻転生」を信じるってことは、自分の本質が霊であることを知ることでもあり、それは同時に、「自分は、永遠の生命を持っている」ということを理解したことになります。 これは一種の「悟り」です。 言葉としては、短いものですけど、この言葉の意味を本当に理解し、悟るまでには、何年も何十年も宗教学習することが必要になる方も多いものです。 >>では、次はどこへ行くん?と聞かれて、前世から持っていた、煩悩や先祖と一緒に見守ってきた家族の状況を考えて、神様に希望をお願いする。 はい、このとおりです。具体的には、「転生管理センター」のようなところに、自分が生まれ変わりたい先の国とか家族構成を記載した書類を提出し、それで許可が出れば、生まれ変われることになります。 江戸時代には、「生まれ変わりの池」に飛び込んで、この世に生まれるスタイルだったようです。 現代では、冬眠カプセルのようなものに入って眠り、生まれ変わる近代的なスタイルになっているそうです。 そして有名大学には希望者が殺到して、入学するのが大変なように、生まれ変わる先の地域においても、日本のような先進国には希望者が殺到するので、厳しい選考があり、アフリカの後進国や中国のような遅れた国は、希望者が少なくて、比較的容易に生まれ変わることが許可されるみたいです。 ちなみに、他の惑星から地球に移住する魂の場合、やはり最初に生まれる地域は、中国やアフリカになることが多いようです。 特に現代の日本には、根本仏である大川総裁が生きておられます。数千年に1度の「仏と同時代に生きる」ことが可能な黄金時代です。 現代の日本に生まれているってことは、あの世の人たちからしたら、宝くじに当たったようなものらしいです。 偉い人の本当の真価なんて、死後しばらくしないと分らない人たちが多数派です。 たぶん、大手マスコミは、頭が良い人が多いので、大川総裁の偉大さ、世界における「幸福の科学」の価値を理解している方も多いと思っています。 でも、幸福の科学について素直に報道したら、「大川隆法は神である!」という論理的帰結になってしまうので、報道できないのだと推測するこのごろです。

UhaUha-Yon
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 お書き頂いた、 <<「自分は、永遠の生命を持っている」>> つまり、 生=死 死=生 って事かな♪♪♪ 西野カナちゃんの歌詞は、 煩悩の塊と思います。 どの歌手の歌詞でもそうですけどね。 お経も私は煩悩の塊と捉えています(^_^)/

  • oyatsuya
  • ベストアンサー率21% (111/517)
回答No.2

流れとしては、だいたい、それに精通しているかたがたがおっしゃっているものにのっとってはいますが、 あちこちで、ほのぼのとした、人間味のある、煩悩的脚色がなされていますね~。 しかも、自らの意志で絶命したばあいは、このルートではないばあいがほとんどのようです。

UhaUha-Yon
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 <<煩悩的脚色がなされていますね>> との事で、 oyatsuya様に改めてお聞きします。 脚色とは何とお考えでしょうか?

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.1

全ては想像です。前世も無ければ後世も無い。やりたいことを先送りせず生きることが一番大切だと思っています。 記憶や性格などと言うものは病気などで簡単に変貌します。死後の世界を肯定する人は、痴ほう症を起こした人はそのままの状態であの世に存在すると考えるのでしょうか。

UhaUha-Yon
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 色々なご意見があるので尊重致します。 <<やりたいことを先送りせず生きることが一番大切>> その通りだと思います。 細かい部分での考え方の違いはありますが、 充実した人生で終焉時に、良かったなと思えるのが最高ですね。 世間では、非業の死を遂げる方もいますけど、 決してそれも生きとし生ける社会の人々に、 問題点を捧げている(示している)ので、 決して無駄にはならないし意味を持つ出来事と思います。

関連するQ&A