ニーチェにおける「超人」と「凡人」について
ニーチェを読んでいる者です。
『ツァラトゥストラ』と『反クリスト』を読んで気になったことがあるので質問です。
『ツァラトゥストラ』においては、「超人が大地の意義であれ」とか「超人のために破滅する者を愛する」と、超人以外は滅びてしまえみたいな論調で書かれています。
ところが『反クリスト』を読むと、「超人たちは思いやりをもって凡人を扱え」「凡人をばかにするな」ということも書いてありました。
私は、ニーチェは「すべての人間が超人たりえ、超人以外は滅びる社会」を志向しているのかと思っていたのですが、「凡人」を肯定しているあたり、そうでもなさそうです。
ニーチェにとって「凡人」とは、「超人」でも「おしまいの人間」でもない「いてもいい存在」なのでしょうか?
彼は、「超人」がノーブレス・オブリージュで多数の凡人を統治する社会を目指していたのでしょうか?