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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:何故「断定口調」?)

何故「断定口調」?

このQ&Aのポイント
  • なぜ人々は容易に「断定口調」になるのか?
  • 断定口調の使い方について考える
  • 太宰治の言葉から考える「断定口調」の意味

質問者が選んだベストアンサー

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  • izumi044
  • ベストアンサー率36% (1333/3622)
回答No.10

1つは、ここがQ&Aサイトだから。 一問一答で答えたい方は、おそらくそういった回答の仕方になるだろうとおもいます。 あとは、長文を嫌う方が一定数おられること。 (長いと、読む気にもならないそうです) 回りくどい言い回しをさけ、本質をついた回答をと考えておられる方は、言葉は短くすっきりと。 端的に表せているかどうかが大切なのだろうと思います。 プレゼンなどでは、最初に結論を述べ、その後に理由を述べるたりしますから、そういう切り口が自然な方もいらっしゃるのではないでしょうか。 ほかにも、同じ質問を繰り返している方だったり、自分に都合のいい回答しか求めていない人に対して、そういう回答はつく率があがるだろうと思います。 その流れでいくならば。 文章の書きかたから、回答者の質が見え隠れしている場合も。 「いい加減にしなさい」といった意味で、ピシャリと書かれる時もあると思いますよ。

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 簡潔さを最優先している。 他の方の回答にもあったように、ある種の批判の意味を込めて。 このふたつの理由から、というこですね。 お返事、ありがとうございました。

noname#226970
質問者

補足

そういえば、わたしも「断定的な口調」でものをいうことがあります。 それは権力に反対するとき。 権力が「ない」というのなら、断固「ある」というでしょうし。 権力が「白」というのなら断然「黒」というでしょう。 何故なら、権力とは、「常に」「まちがえるものたち」であるから。

その他の回答 (11)

回答No.12

#11 早速お礼をいただきありがとうございます まずは… http://www.chigai.org/%E3%80%8C%E3%81%A5%E3%81%A4%E3%80%8D%E3%81%AE%E3%80%8C%E3%81%9A%E3%81%A4%E3%80%8D%E9%81%95%E3%81%84/ です 明らかにおかしいと思う根拠が不明とのことですが、精神的にも肉体的にも満足な健康体の方には理解してもらえません 私が20代半ばの頃、仕事で振り回され人生しくじったからこそ解る立場にあるんです 完全に雨戸を閉め、自宅⇔職場⇔病院が半年以上続きました 新聞読まない・ニュース見ない・欲しい物がない・どこにも出掛けたくないetc その頃、とりとめのない愚痴ばっかりを主治医に言っていました 「もっとアホになれ」 何度言われたか数知れず… ご理解いただけましたか?

noname#226970
質問者

お礼

こんばんは(かな?) >精神的にも肉体的にも満足な健康体の方には理解してもらえません 誰のことでしょうか?いくつかの過去の質問にも書いていますが、(いえ、御覧になっていないのは仕方がありません。プロフィールのページにでも書いておこうとは思っているのですが) わたしは精神障害者手帳を持っています。精神科通院歴22年です。 友達もひとりもいない引きこもりです。 多分心身ともに健康・・・とは言えないと思いますよ。 >新聞読まない・ニュース見ない・欲しい物がない・どこにも出掛けたくない わたしは何年もこの状態ですよ。今現在もね。 尚、「づつ」を誤りであるとするなら、近代文学の表記の多くは訂正されなければなりませんね。

回答No.11

>例えばメンタルヘルスのカテゴリーなどでは「すぐに精神科を受診してください」というような「~してください」という口調が気になります。 私はその質問を見ていませんが、明らかにおかしいやろ?と思ったらそうなりませんか? 精神科じゃなくっても例えば「子供が学校でいじめられている、でも担任は何もしてくれない」と質問があれば「教育委員会に行け」「新聞社に匿名で手紙を書こう」といろんな策がありますので「○○したらどうですか~?」なんて呑気なこと言ってる場合じゃない質問には断定的なモノの書き方になってしまいますね ちょいとヒマ系質問「来月、新入社員の歓迎式の幹事を頼まれました、何か面白い企画はないですか?」とあれば「○○って面白そうかも?」などと緩い口調でも通じます それとね、老婆心ながら言っておきます 「づつ」は「ずつ」、「勧め」は「進め」です 誤字脱字は誰にだってありますから仕方ないんですけど、揚げ足取りがいますから注意して下さいね

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 「明らかにおかしい」と思う根拠が不明です。 緊急であればあるほど、重大であるほど、軽挙妄動は慎みたいですね。 つまり「短絡的思考」は却って事態をややこしくさせかねないと思います。 わたし自身がとても短気なので、自戒を込めて、「暢気に」行きたいと思います(苦笑) そうなんです。「勧めは」「進め」でした。このことは何処かで訂正するつもりでしたが「何処で訂正するのがよいのか」わかりませんでした。 誤字を訂正いたします。 ただし「すこしづつ」は誤字ではないので、訂正の必要はありません。 お答え、ありがとうございました。

回答No.9

>何故「迷い、うろつき、グズグズすること」は否とされるのかと、考えています。 私の勘違いかもしれませんが「決断力」みたいな話が混ざってきていませんか? 断定することと決断することは違う話(「何が正しいか断定は出来なくても決断するべき」タイミングはままある)だと思います。 それと、「断定できるべき」と思われていることはあって、そういうことに関して断定的に言える人のほうが「しっかり者」に映るというのはあると思います。これは、大事なポイントをしっかり押さえているかどうかという話ですね。 何か参考になれば幸いです。

noname#226970
質問者

お礼

>「何が正しいか断定は出来なくても決断するべき」こと、は確かにあると思います。 断定的にいう(いえる)人の方がしっかり者に感じられる。そうかもしれません。 再度のお答えをありがとうございました。

  • 20160321
  • ベストアンサー率11% (1/9)
回答No.8

>「哲学は世界を救えますか?」 こういうのは本人が自信を持っているだけの話だと思います。 説得力とは無関係だと思います。 回答者本人が自信を持っていようがいまいが、読み手にとってはどこの誰か分からない人が言っただけですから、発言者の自信なんて関係ありません。 発言者が自信を持って言ったことがデタラメという例はあります。 >「すぐに精神科を受診してください」 これは素人では診断できないからじゃないでしょうか。 私が最近した回答を紹介します。 http://okwave.jp/qa/q9147543/a25475890.html >wii用のゲームはwiiUでプレイ可能です。 >ただし、ゲームに対応するコントローラーを別に購入する必要があります。 >http://www.konami.jp/products/dl_wii_gradius_re_ww/ 「ただし、ゲームに対応するコントローラーを別に購入する必要があります。」はリンク先から確認出来ます。 「wii用のゲームはwiiUでプレイ可能です。」は私が確認した上での発言ですから、私にとっては正しいと断言できる内容です。 しかし、質問者を含む読み手にとってはどこの誰かも分からない人が言っただけのことですので、私が「プレイ可能です。」と言おうが「プレイ可能だと思います。」と言おうが関係ないわけです。

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 >wii用のゲームはwiiUでプレイ可能です。 >ただし、ゲームに対応するコントローラーを別に購入する必要があります。 これは「機械」の話で、それは「事実」であるなら、断言口調で回答するのが当たり前かとおもいます。 つまり「事実」を述べる場合は「断定的」にしかなりえない。 けれども「意見」を述べる場合には、それはあくまで「発言者個人」のものであるという「留保」を持った方がいいと思うのです。 けれども、結局のところ、わたしは「そういうべき」などとは思わないし、 「~だと思います」というのが本当だ、などと言おうものなら、それこそ、 「断定する人」になってしまいます。 ですから、「断定口調」への非難・批判ではなく、あくまで、その自信の依って来る所以を知りたい。 明確にカテゴリーを分けるならば、「心理学」「社会学」「比較文化論」なのかな、などと思います。 下らぬ質問にお付き合いくださり、ありがとうございました。

  • citytombi
  • ベストアンサー率19% (1721/8628)
回答No.7

例えば、明らかに聞くまでもないことを聞いてくる場合とか、普通に考えれば分かることを聞いてくる場合には、「皮肉を込めた念押し」として断定口調になるのでしょう。

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 仰る通り、 「これはミカンですか?」と訊かれれば、「いいえ、それはりんごです。」と答えるでしょう。 ただ、「普通に考えれば分かること」とは、その質問を読んだ人たちの主観であって、例えば、「赤信号はとまれですか」と訊かれれば「そうです」と答えることはできても、 「では赤信号ではあなたは必ず止まりますか?」と更に問われるなら、 「いいえ、周囲の状況によります」と答えるでしょう。 わたしにとって、「自明の事柄」ってほとんどないんです。 反論のようになってしまいました。 お返事のお礼と、お詫びをします。

回答No.6

私も昔からそのことは感じています。ここに限らずネット全般にちょくちょく見られるように思います。 「自分の考えが及んでいないことがあるかもしれない」という疑いを持っていれば下手に断定する気にはならないと思うのですが…。 個人的には「~なことが多いです」「〇〇を見る限り~なようです」のような口調の方がかえって信用できます。

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 なんだか、こうして書いていながら、ひどく無駄なことをしているなと感じてもいます(苦笑) といいつつ、断定ができないわたしにはやはり「断定出来る人」との違いを知りたいという気持ちもあります。 何故、「そうではないかもしれない」という思考が入る余地がないのか? そういう一直線のメンタリティーが「怖い」し「不気味」でもあるのです。 また、「ブレない」ということにもわたしは価値を見出せません。 「人間は生きている限り迷うものだ」などと、ここでゲーテを持ち出さなくてもいいんですが、何故「迷い、うろつき、グズグズすること」は否とされるのかと、考えています。 お返事をありがとうございました。

  • manmanmann
  • ベストアンサー率12% (535/4296)
回答No.5

実際しゃべってるときはあんまり断定口調にはならないんですけどね。 「病院にいったほうがいいのではないかと思います」というように書くよりも、文章では「病院に行ってください」のほうが書きやすいというのがあります。

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 >文章では「病院に行ってください」のほうが書きやすいというのがあります。 では、何故断定的口調の方が書き易いのでしょう。 そこがわかりません。 お返事をありがとうございました。

回答No.4

場合にもよりますが、断定口調はハッキリしていて良いと思います。←私は文末が必ず「思います」「じゃないでしょうか」などとあやふやになってしまうのでw アドバイスを求められて、それに対する自分の意見が明確にあるなら断定すべきだと思います。「世の中に絶対はありえない」ってのはわかった上でです。いくつかの回答から質問者が判断すればいいのです。 日本人の特性なんでしょうか、何でもあやふやな物言いにしがちで困ります。仕事の指示なんかもすごくあやふやで、そのくせ意図を汲んでくれてないと「言ったとおり出来てない」と怒る・・・ 「ほのめかす」「察する」ことが日本の心なのかもしれませんが、討論や意見の場ではハッキリした言葉遣いの方が良いと思います。・・・じゃなくて、良いです!www

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 >アドバイスを求められて、それに対する自分の意見が明確にあるなら断定すべきだと思います。「世の中に絶対はありえない」ってのはわかった上でです。いくつかの回答から質問者が判断すればいいのです。 回答者との関係を抜きに、何故、人はそこまで自信を持てるのかかがわかりません。 質問文に挙げた引用でいうなら、太宰と議論している人たちは、太宰は「わかっちゃいない」と考えているのでしょうか?或は「AはBである」を、「AはCやFの可能性もありうる」とは何故考えず、またそう口にしないのでしょう。 わたしの印象では、外国の人に意見を聞いたとき、真っ先に出てくるのは " Well, I Think It's..." と、「ぼくはこう考えるんだが」というイメージがあります。日本に比べて、当然のように、思想、信条、信仰の多様性に満ちている諸国で、「これが当然」というような態度はあまり円滑なコミュニケーションを生まないような気がします。 お返事をありがとうございました。

回答No.3

健康カテを利用していますが、怪しきは診察受けた方がいいですよ。 ルール上このサイトでは診察できませんから。 「病気でしょうか?」に対して「病院に行ってください」としか答えようがないです。 メンタルヘルスも利用しますが、緊急性が感じられるものはやはり断定形になってしまうと思います。 ほかのカテゴリーでも断定形なのはそれが回答者本人の中では「疑う余地がないもの」ではないでしょうか。 例えば桜の季節の質問で関東圏などの方は「今です」と答えますが、北海道の方は「5月です」となります。 哲学も地域や育ってきた環境などによって信じるものが異なります。 宗教も絶対的なものとする人もいれば、無神論者もいます。 「神様はいますか?」という質問に対して「いつもあなたを見守っています」という回答と「いません」という相反する回答があるのです。それぞれの回答者の中ではそれが真実なのですよ。

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 >「病気でしょうか?」に対して「病院に行ってください」としか答えようがないです。 わたしはやはり、「○○科を受診されてはいかがですか?」或いは「○○科の医師のアドバイスを受けられてはいかがでしょうか?」 と、質問者の選択の余地(自由)を残すことを心掛けたいと思います。 仮にわたしがその道の専門家であっても。 >ほかのカテゴリーでも断定形なのはそれが回答者本人の中では「疑う余地がないもの」ではないでしょうか。 そう、それは回答者にとって疑う余地のないもの。 誰かにとって、世界で最も偉大なバンドはビートルズで、 「彼が」「世界で最も偉大なバンドは?」と個人的な意見を訊ねられれば 躊躇することなく「ビートルズです」と言えるでしょう。 つまり「あなたにとって」という「限定的」真実ですよね。 >「神様はいますか?」という質問に対して「いつもあなたを見守っています」という回答と「いません」という相反する回答があるのです。それぞれの回答者の中ではそれが真実なのですよ。 これもやはり「その人たち」にとっての「限定的・個人的真実」であるならば、「~とわたしは思います」「そう信じています」と言った方がより「事実」に近いのではないかと思います。 と、いうよりも、わたしは彼らに共通してみられる「すさまじい自己肯定と自信に満ちた態度」が正直「こわいな」と感じてしまいます。 不十分なお礼になりました。お返事をありがとうございました。

noname#216959
noname#216959
回答No.2

怒りが根底にある時かもしれません。 乱暴な気持ちだと、そうなってしまいます

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 >怒りが根底にある時かもしれません。 「怒り」、ではないのかもしれませんが、「乱暴な気持ち」こころに余裕がないときなどはそういう言い方になってしまうのかもしれませんね。 お返事をありがとうございました。

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