しても良いんだよ。
する事が自分を助ける場合もある。
これは間違いなく、
〇〇の影響(名残り、せい)なんだ。
そう思う(認める)事で、
自分自身が苦しい事を受け入れやすくなる。
影響があるんだから、
自分が苦しく感じても当然じゃないか?と。
苦しい(と感じる)自分を否定せずに、
そういう自分もいる事を受け止めてあげる。
それによって、
自分の中のしんどさの「風通し」が生まれる。
必死に自分だけの問題として抱えるよりも。
誰か(環境)の影響(せい)もある。
そう思う自分も受け入れてあげる方が、
自分自身がただ鬱屈した感情に飲み込まれずに済む。
それはプラスでさえある。
ただ、
〇〇の影響あり(〇〇のせい)!
それをただ言い続けていても・・・
だからと言って何かが変わる訳じゃない。
人が聞いても、
そうなんだ?としか思えない。
じゃあその影響があるとして、
その影響のある貴方は、
今後どのように変わっていきたいのか?
大事なのは「これから」なんだよ。
「せい」にこだわり続けてしまうと、
自分がいつまでも後ろを向きやすくなってしまう。
何かがあると(上手く行かないと)
直ぐにそんな自分を正当化しやすくなってしまう。
⇒これは〇〇の「せい」だ!と。
その時はそうだと思えてスッキリするんだけれど。
それはどこにも向かっていない世界。
自分自身をしっかり進行形で導きたいなら・・・
「せい」にする世界のスペースを取り過ぎない事。
あっても良いんだよ。
少し位は。
そう思う、思いたくなる事もあるから。
実際にそういう事もあるから。
でも、
「せい」止まりではどこにも辿り着かない。
「せい」にしたくなる自分も受け入れながら。
でもそれだけで今の自分を済まさない、誤魔化さない。
そういう力も必要になってくる。
貴方で言えば、
過去に付き合った人が男性不信を与えた、とかね?
事実なんだろうけれど、
それをいつまでも言い続けていても、
貴方はどこにも辿り着かない。
影響を受けている自分も認めながら、
それだけに今の自分の停滞の原因を語らせない事。
その整理整頓は必要なんだと思うからね☆
お礼
参考になります。 ありがとうございます。