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生命(寿命、天命他)について

疑問に思うことがあります。 最近は思いもよらぬ事故や事件などにより、亡くなられたりするニュースを見ます。 特に事故は「運」というものなのでしょうか・・・本来ならもっと人生をこれから 歩んでいくところなのにそういった事故に巻き込まれて、短い生涯を終えてしまう方を 見ると、この生きている私たちの「差」とは何なのか?と疑問に思います。 みなさん生きている中で一度は「死にかけた」という経験はあるかと思います。 しかし、そこは何かしらの事情で生き延びているのが私たち・・・。 でも「運が悪い」というとそれまでかもしれませんが、亡くなられてしまった方たちと生きている私たちの「差」って何なのでしょうか? なかなかうまく文章で書けませんが・・・みなさんの思いをお聞かせ下さい。 よろしくお願い致します。

みんなの回答

回答No.5

シニア男性です。 年度により若干異なりますが、    病死        約9割    自然死(老衰)    3.8%    外因死(事故事件等) 6.3    上記以外       0.9 このような割合です。 H26年の死亡者数は127万人でした。 >亡くなられてしまった方たち 決して少なくはないですね。

  • marissa-r
  • ベストアンサー率21% (634/3008)
回答No.4

死後の世界なんて誰にも分からないものでしょ それを理解する為に『○○だよ』て つまりは“こじつけ”でもそうしなきゃ、残された方も納得できないのでは

noname#215350
noname#215350
回答No.3

私どもの息子の友人が昨夏、事故で亡くなりました。18歳の生涯でした。 お母様にメールで話を伺うと平素の生活はしている。けれど、涙が出ない日はないと。 なぜ、我が子なの、うちの子が何かした・・・そう思うでしょう。 ある方は、「死んだもん、仕方ないと思わないと遺された者は生きていけない」と。 納得はいきませんが、宿命と思うしかないのです。 逆縁ほどむごいものはありません。 そして、わたくしは諸処、理由はあるでしょうが自殺を選択する方は卑怯だと思います。 生きることができる方は生きて欲しいです。

noname#228046
noname#228046
回答No.2

大昔は人間そのものが捕食者に狙われる事も多々ありました。 食料を巡って奪い合い殺し合い、幸せなど簡単に崩壊しました。 力がある者の気まぐれな欲望任せの搾取も横行していました。 今なら死なない病気でも治せず沢山の命が失われていました。 不衛生な水や食料から弱り病死する子やお年寄りがいました。 安全性が不足したもので色々な死者が今以上に出ていました。 恐らく、昔は死が身近に満ちていた事で 慣れていたのだと思います。 無数の先人達の悲しみを繰り返させたくない切実な願いが 私達の当たり前の暮らし、平和な日々を築いてくれています。 そして今私達が目にする悲しい出来事の裏側にも、 悲しみを繰り返させたくない切実な願いと活動があり続けています。 誰かから見ればただの恐怖や理不尽止まりの犠牲でも、 別の誰かから見れば、その悲しみの無い世界を築く 揺るがない信念や動機になったりもします。 私達が自然界には無い膨大な恩恵に 無自覚に守られ生き永らえている事も1種のその証でしょうか。 この世界に無駄なものは1つも無い と見る事も出来ます。 どう見るかはその人次第ですね。 お望みの方向性の回答では無かったなら失礼しました。

  • tkmn_001
  • ベストアンサー率16% (45/268)
回答No.1

差は目に見えないものなので、表現が難しいところではありますが、 生きている人は今必要な人なので、そのまま成長をしていくとして、 亡くなった方の場合は、役目を終えたか、必要なくなったか、自分で終了したか、 人に取り込まれたか、という形で様々なので何とも言えないですね。 ただ、事故の場合は、意味がありそうな気はしています。

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