• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:縁というものを信じますか?)

縁とは?信じるべき存在なのか考えてみよう

このQ&Aのポイント
  • 縁とは、人々が相互に関係を結ぶきっかけや運命のようなものです。
  • 縁を信じるということは、人生の出来事やつながりを偶然ではなく必然と捉えることです。
  • しかし、縁だけに頼ることはできず、努力や選択も必要なのかもしれません。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • 3m2s6tlple
  • ベストアンサー率36% (412/1126)
回答No.2

頑張らない人は縁にも見放される。 頑張らないと縁に気づかない。 感謝をしないと縁が切れる 良縁ってそんなに強いものじゃないのでしょう。 縁が良いものばかりとは限りませんしね。 腐れ縁ってのもあります。逆縁という言葉もあります。 縁が良いものだけを連れて来るとは限らない。 嫌な人間、悪い奴が周りにいるならそれも縁ですよ。 悪縁が結ばれないようお気をつけて。

rural_temple44
質問者

お礼

配属された本社が大大大嫌いなのでこれは悪縁ですね。 なので転職して断ち切ろうかなと考えています。

rural_temple44
質問者

補足

縁をつかむには謙虚に努力を重ねていくことが大切なんですね。 どうも自分ばかりがうまくいかない時期が長い気がしてハートが腐ってました。

その他の回答 (12)

  • marisuka
  • ベストアンサー率38% (657/1685)
回答No.13

>つまり縁のあるなしは結果論、後付け論じゃないですか? 私は安易に縁という言葉が使われるのが我慢ならないのです。 結果が出なかったとき、縁がなかったと全否定するような日本特有の言葉の使い回しには無性に腹が立ちます。  大賛成、まさにその通りだと私も感じています。拍手を送りたい。  縁=運命 これも今までの回答にありますが、どちらも結果が出てから言われるだけです。どんな結果が出ても、それを「縁」と言い「運命だった」と言って、努力不足や運の悪さを慰めているだけだと思います。  ましてそんなの操れたり前もってわかるものでもないから、役にも立たない。運命を変えてやる、と言って違う方向に進んだとしても、そうやって出た結果が「運命」なんです。  「なるようにしかならない」とよく言われますが、そんなの当たり前。ならないようになる訳がないんだから。言わないほうがマシな言葉です。  会社のことでいろいろ思うことがあるようですが、それはまた別の話。お説教するつもりはありません。ただ、縁とか運命については、前もってわかる人がいない以上、まちがいなく結果論、後付け論です。

rural_temple44
質問者

お礼

同意見の方がいて良かったです。」 「なるようにしかならない」これもその通りですね。 それがたまに良い方向に転べば本当に嬉しいのですが、そこは努力とハート、そしてプロセス次第だと思います。

  • lions-123
  • ベストアンサー率41% (4360/10497)
回答No.12

>つまり縁のあるなしは結果論、後付け論じゃないですか? 私は安易に縁という言葉が使われるのが我慢ならないのです。 結果が出なかったとき、縁がなかったと全否定するような日本特有の言葉の使い回しには無性に腹が立ちます。 個人的には、<結果や成績評価が思わしくない&納得がいかない場合> 努力や意思意欲に関わらず結果が決まるケースが多い。 その時に、ある時には自助努力の不足、自己責任と考えるでしょうが、もう一方で精一杯の努力や精進に対して自らをアキラメ・納得させるために、あるいは新たな出発・挑戦に向けての自己撞着として「縁」「運命」を思考し心の整理や割り切り総括をするのかも・・・ それは、性格や価値観や生きざまで、ケースバイケースでしょうが、自己防衛的な意味も含めて自業自得・因果応報・自己責任・縁「縁は異なもの味な物」と先人は訓え諭しているのでは・・・

rural_temple44
質問者

お礼

縁だけでなく、努力のプロセスも加味させるべきですよね? そこに触れず、単に「ダメだった=縁がなかった」という短絡的な発想は大嫌いです。 日本人の女性に特にこういう言い方をするおばちゃんが多くて困ります。 中途半端な人間ほどプロセスをきちんと分析せずに何でも縁のせいにするように感じて憤りを覚えます。

  • izumi044
  • ベストアンサー率36% (1333/3622)
回答No.11

いわゆるくされ縁と言える関係の友人がいますので、縁は信じます。 ただ、質問者さんの言われているものは縁とは解釈が違うように思います。 「袖振り合うも他生の縁」というように、人が道ですれ違っただけでも縁ある方がいる。 それをきっかけにどう関係を築くかは、自分自身の行動次第です。 縁があろうとも、それを疎かにすれば「疎遠」にも「縁遠く」にもなります。 他の方もおっしゃっていますが、たとえ「縁」でプロ野球球団に入団出来たとしても、実力が伴わなければ即クビになります。 決して 縁、最強! じゃないですよ。 また、縁という言葉以外にも、「めぐり合わせ」という言葉がありますので、決して日本独自の考えではないと思います。 自分が積み重ねてきたものに対して、一番ふさわしいと思う存在と引きあう。 それが「めぐりあい」や「巡り会う」ということに繋がるのではないでしょうか。

rural_temple44
質問者

お礼

ということは失敗したときに「縁がなかったからダメだったんだ」というのは、努力した人のみ言う資格のあるセリフということですね。 何でも才能のせいにして努力しないヤツが、「縁がなかった」なんて言ってるのを見てるとはり倒してやりたくなります。

rural_temple44
質問者

補足

>自分が積み重ねてきたものに対して、一番ふさわしいと思う存在と引きあう。 なるほど、これは納得いきます。

回答No.10

再びです。 何かクサクサしていますね。 良くも悪くも、縁、であることには違いありません。 あなたが会社を、縁がなかった、と言って辞めることも、あながち間違っているわけではないと思います。 確かに、やめれば縁は切れますから。 で、次にどこかに就職すれば、それもやっぱり、縁、だと思いますよ。 縁、っていうのはただの現象だと思いますよ。

rural_temple44
質問者

お礼

じゃあ縁というのはコントロールできる要素もありますね。 でも運の部分はどうにもできない。 だからあとは腐らず努力を継続しなさいと・・

回答No.9

なかなかユニークな考え方ですね。 ただ他の方と同じで、少し解釈がずれていると感じました。 あなたのお父さんとおかあさんとの出会いは、見方によっては縁ですよね。 あなたに姉弟がいれば、それも縁です。 小学校・中学校・高校、同級生になった人たちは全員縁です。 関係がうまくいくかは関係ありません。縁があったということは出会った、ということにすぎないですね。 確かに会社の選考に堕ちた時「ご縁がなかった」って書いてありますね。 そもそも、これが変なのですよね。 ご縁がなかった、じゃなくて、単に、お断りですよ 笑 お見合いの言い方と同じですよね。 でもお見合いでも、「ご縁がなかった」っていうのは、よく考えると変ですね。 角が立たない言い方として、 ご縁、って言っているだけですよね。

rural_temple44
質問者

お礼

じゃあ私も「縁がなかった」と言って今の会社辞めたいです。 好きで入社したわけじゃないし、所詮は滑り止めの会社なんですよね。 幸い今は駐在で各支店を周ってるんですけど、いつか本社に戻されるくらいなら辞めてやります。 ホント本社の欺瞞っぷりはバブル世代の愚劣さを如実に表しています。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11073/34515)
回答No.8

そうですね、私は縁を信じます。だってそうじゃないかったら、こんなにステキな男性が独身でいることはおかしいと思いますからね・笑。「ご縁がなかったから独身なのだ」となれば自分自身が納得します。 だれでも運やチャンスはやってくると思います。でも、そのチャンスを引き寄せられるかどうかは本人の実力次第です。プロ野球に川崎宗則選手という人がいますが、彼は元々ダイエー(現・ソフトバンク)ホークスに入団しました。しかし彼のポジションであるサードには、小久保裕紀という「不動の四番打者にしてチームリーダー」が存在していました。もし小久保選手(当時)がそのままホークスにいれば川崎選手はほとんど一軍出場の機会がないまま数年で戦力外となり今頃何か違う一般のお仕事をしていたことでしょう。しかし小久保選手が球団幹部と衝突しチームを出されてしまうという事件が発生して、川崎選手に思わぬチャンスが巡ってきます。これはもう運としかいいようがありません。しかしもし川崎選手がそのときのたった一度のチャンスをモノにできなかったら、ポジションは外国人助っ人選手辺りに簡単にとられたでしょう。生涯たった一度の大チャンスをモノにできたのは、川崎選手の実力であり、諦めずに準備をしていた賜物だと思います。そういうのって、チャンスが巡ってから準備してももう手遅れなんですよ、不思議とね。 若き日のイチロー選手も、当時の監督に振り子打法を「そのバカバカしい打ち方をやめない限り一軍では使わない」といわれて腐りかけたものの、コーチに「監督は変わるかもしれないから」といわれて曲げずに振り子打法を続けました。するとその監督は解任され、次にやってきた仰木監督が面白いもの好きな人だったので「なんだお前は!面白いやつだな!」と抜擢のチャンスを掴みました。そういう出会いも縁だと思います。 ま、こういう考えもあると思ってもらえればと思います。チャンスは一度はきます。でも、二度来るとは限らないし、努力している人には二度目のチャンスが巡ってくることもありますが、努力をしないやつにもう一度チャンスを与えてやる義理なんてこれっぽっちもありません。だったら、頑張ってるやつにもう一度チャンスを与えてやりたいのが人情でしょう?

rural_temple44
質問者

お礼

努力の先に縁があるということですか。

rural_temple44
質問者

補足

日頃からいつチャンスが巡ってもつかめるように謙虚に努力を続けなさいということですね。

noname#246720
noname#246720
回答No.7

仰ること、その通りだと思います。 普通の人がする努力を何もしなくても誰かの財産を偶然引き継いで億万長者になる、という人はいます。 まさに縁ですね。 でも、それが果たして幸せなのかまではわかりません。 その人が幸せに縁があったのか不幸に縁があったのかは死ぬ時になってみないとわかりませんよね。 成功者の代名詞としてよく挙げられる、質問者さんもお書きのプロ野球選手ですが、確かに努力以上に評価されてプロ入りした人は過去にいたようです。 私はあまり詳しくないですが、その人生を幸せと思えるならあなたもその縁を待ってみて下さい。 どうか後悔のない人生を。

rural_temple44
質問者

お礼

んなもん勝てば官軍っすよ!

回答No.6

完全に勘違いしていると思います。 「縁」とは、「関係を作るきっかけ」に過ぎない。 (1)浮気したり風俗に行ったのがバレても振られないのは、「縁」ではない。 (2)野球選手を目指してプロに入団できるのは、「縁」ではない。 (1)の答は「運」で、(2)の答は「実力」と「運」。 小学校の国語(言葉)を正しく理解されないまま大人になってしまうと、 大変恥ずかしい思い程度で済めばよいが、この人は少し変だから我が社に 入れてはイケナイ人間だと思われてしまう事の方が損である。 「ゆとり」世代さん達が皆さんそうだとは思わないが、誤った思考により 少しずつ精神や考え方が歪んでしまうことは非常に恐ろしい。 「縁」なんかより、「忠言耳に逆らう」や「良薬口に苦し」の方を信じる。

rural_temple44
質問者

お礼

マジっすか!? なんかやってらんないっすね。 宝くじでも当たってくんねーかなと思う今日この頃です。。

  • bekky1
  • ベストアンサー率31% (2252/7257)
回答No.5

【もし本当に縁などというものがこの世にあるなら私は今日から何の努力もせずに、ご縁に身を任せて日々をダラダラと過ごして出世を願うことにします。そのほうが楽ですから。】 そうですね、私も疑問にずっと思ってきたことがあります。 童話だか、民話だかに、’三年、寝太郎’というのがあって、 ただひたすらなにもしないで、辻?だったか道路だったかに寝ているだけの乞食(差別用語)がいた。 それを面白いとおもってか、人々は食事を与えてもいたように書かれていた。 で、何がハプニングあって、寝太郎が結果的に英雄になって、姫を娶るという出世? 詳しくは思い出せないのですが、題名と、結末だけは記憶がある。 つまりは、あなたは寝太郎を目指すと。 日本には、昔からそういう発想があるようです。 【今回はご縁がありませんでしたという言い方をしますよね。 これって日本だけなような気がします。】 ええ、縁を私は信じますね。 どんなに近くても平行線はマジわならないが、ほんのすこしの角度があるだけで 直線は一点だけで交わる。 これが縁です。 ただ、曲線だと、波長が違うと、何度も交わる。 この交わりが縁。 日本人は縁だというが、一神教的神様は’神のご意思’になって運命です。 ご縁=チャンス、チャレンジですから、機会が多ければ拾えるものは増えていく? ただし実力がなければダメですから、ただ待っているだけでは金メダルは落ちてはこない。 その時のために’鍛える日常’はあるべきですね。 ’3年寝太郎’もそもそも出自がどうとかというオチがあったような? それがずるいなと子供心に思ったものです、いろいろとバーションはあるのかもしれないですが。  だって、後出しジャンケンみたいじゃないですか? ただ、当時というか、昔はどこにでもご落胤とか、没落貴族みたいなものはうじゃうじゃいたんでしょう。 なので、あなたが3年寝たろうをするなら、後出しジャンケンできるものがあればという 条件は必要かもしれない。

rural_temple44
質問者

お礼

後出しジャンケンできるものはありません。 縁などという発想がいかに下らないかを証明するために、「縁」などという言葉を口にする人間とは「縁」を切ってみせます。

rural_temple44
質問者

補足

良いものを積み重ねていきたいです。

  • lions-123
  • ベストアンサー率41% (4360/10497)
回答No.4

>もし本当に縁などというものがこの世にあるなら私は今日から何の努力もせずに、ご縁に身を任せて日々をダラダラと過ごして出世を願うことにします。そのほうが楽ですから。 皆さんはどう思いますか?ご縁などという抽象的なものを信じますか? 「すべて縁で決まっていれば努力の甲斐意味がない」仰る意味はよく分かります。 でも、それが人事を尽くして天命を待つ、良い意味での他力本願(すべての努力と精進の上は神仏の判断加護に委ねる)なのだと私は思っています。 個人的には、「いいことは、縁があってのおかげさま、悪い結果は自己責任自助努力のせい」だと思うようにしております。 縁がすべてを決める(運命)のではなく、縁を活かすも殺ぐも本人の努力精進次第。 縁、それは物事の決め方選択肢であり可能性(与件決め)を定め決めるという領域だと思います。 その結果、物事進退が選択され決まる時、良縁悪縁も含めて、それが縁・因縁だと思います。

rural_temple44
質問者

お礼

つまり縁のあるなしは結果論、後付け論じゃないですか? 私は安易に縁という言葉が使われるのが我慢ならないのです。 結果が出なかったとき、縁がなかったと全否定するような日本特有の言葉の使い回しには無性に腹が立ちます。

関連するQ&A