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相談です
父親に対し、早く死ねばいいのにとか、誰かに殺されればいいのにと考えてしまいます。 このように思うのはそれなりの理由があります。詳細は省きますが、それだけの事をしてきたからです。身内からそう思われるという事は、外や周囲の人間からも、少なからずそう思われているはずです。 自分の父親に対して、このように考えてしまう人はいますか? また、幼い頃から虐げられ育った人間は、それから解放された時どのようになるのでしょうか? 抽象的な質問ですが、回答の程よろしくお願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
全ての父親が立派なわけではないし、どうしようもない人でも子供はできてしまいますからね。 考える事くらいなら許されるんじゃないでしょうか。 >外や周囲の人間からも、少なからずそう思われているはずです。 外面の良い人っていますよ。 家の中の態度とは真逆の・・
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早く死ねばいいのに とは私も思ってます。 そしたらどれだけ家の中が変わることやら。 でももう自分は家を出たので関係ないですがね。
お礼
同じような思いを抱えている方がいて、自分だけではないのだと励みになりました。回答者様は家を出れたとの事、大変羨ましいです。私は事情があり、当分家を出られそうにありません。だから、余計に死ぬ事を望んでしまいます。 ご回答頂きありがとうございました。
- obrigadissimo
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もしかしたらお父さまには、引き摺りつづけている 挫折(感)があるのかもしれませんね。それに、 暴力や言葉の暴力が擦り込まれてしまうなど、 Victim of Circumstances だったのかもしれませんよ。 諦めなければならなかった(諦めさせられた)夢、 長い間 叶わずにいる願望etc.があるのかも しれませんしね。だとしたら、そうした お父さまがこの世から消えてしまうことを望むのは チト可哀想な印象があります。 質問者さまとしても許すこと・許せる心を持つことで 新生が始まるのではないでしょうか。 〈ふろく〉 【許すには、心の中の部屋を1つだけ増やせばいい。 『私の頭の中の消しゴム』】 【許しは魂を自由にする。虞をも取り除いてくれる。 人を許す心は最強の武器なのだ。 Nelson Mandella】 【許すことができなければ、穏やかな人生が訪れることはない。 我々は許すことを学ばなければならない。 Elpidio Rivera Quirino】 【弱者は決して許すことができない。 許しとは強者の態度である。 Mahatma Gandhi】 先へ行って、後悔しないように、もっとよく お父さまの生育史を知ってみませんか。 機会を選んで、お父さまに、優しい眼差しと穏やかな表情で、 《お父さん、お父さんは、本当は何に成りたかったの?》とか 《ねぇお父さん、お父さんが一番楽しかった思い出を教えて!》 といったことを訊いてみませんか。 オジ(=伯父・叔父)さんか、オバ(=伯母・叔母)さんに、 お父さまが好きだったことや、憧れていたことを 訊いてみるのも宜しいのではないでしょうか。 早期に、許せるようになると いいですね。 Good Luck! All the Best.
お礼
今の私の状況において、父親に優しい眼差しを向けたり、穏やかな表情で語りかけるのは困難です。そのような余裕はありません。父親の生育史に関してですが、大まかには理解しているつもりです。しかしその点を考慮しても、決して好きにはなれません。 せっかくご回答頂いたのに、申し訳ございません。ありがとうございました。
- HeyXey
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50代男性です。 因果関係を何に求めるかによって“事実”に対する“解釈”が違ってきます。人間の脳細胞は140億個と言われています。その連携によって様々な思念が浮かんできます。とても複雑で、ひと言で言い表せるようなものではありません。虐待、嫌悪、否定、どうのようなレッテルでその行動・思念を表現するかによって、その後の解釈が違ってくるでしょう。 たとえばの話、あなたのお父様が遺伝子的に何らかの発達障害があって、他者の気持ちを察する能力に欠けていた場合、虐待に繫がるかも知れません。そして、あなたも多少の遺伝によってその傾向を受け継いでいたならば、社会生活において弊害が出てもおかしくありません。しかるに、「父親からの虐待」にすべての原因を帰すように解釈すると、対策を講じ損ねてしまう惧れがあります。 人は「悔しい」という感情があると、それに引きずられて誤った解釈をしがちです。悔しいという感情から一旦離れて、父親を自分とは関係のない一人の人間として見てみることです。父親はなぜ感情を高ぶらせたのか、なぜ融通が効かないのか、なぜそのような考えに憑りつかれたのか。 たいていの人は前の世代の常識を深い考えもなしに受け継ぎます。「ふつうに努力をすれば就職できる」「大学さえ出れば生活できるくらいになる」「適齢期になれば結婚するのが当たり前」などと考えます。そして、「甘やかしてはいけない」「厳しくすることは良いことだ」と考えます。一から自分で考えたのではなく、その大部分は受け継いだのです。そして、そういう考えに基づいて自ら行動することで、そういう考え方が自分の中で強固になっていくのです。 たとえば、「他者の気持ちを察することが苦手」な人は、他者の気持ちを重要とは思いません。気持ち(人情)よりも道理・理屈(義理)を重要視しますし、またそのように行動します。 誰も「自分が間違っている」と思っている人はいません。他に方法が思い浮かばない、それ以外の選択肢が想像できない、というのが真相ではないでしょうか。 父親であれ、身内であれ、他者の出来ない事をあげつらうのは良くありません。そういう人に限って、自分の欠点は簡単に許してしまうのです。父親の良くない点はそれとして、「だから自分はどうすべきか?」と常に自分を反省すれば良いのではないでしょうか。 「悔しい」とか「惨め」という感情は、往々にして「こんな自分を見て、他人はどう思うだろう」と考えた瞬間に生まれます。視点を変えることによって、いかようにも変わるものです。 親にあまり期待をしてはいけません。こう言うと冷たいことのように思われますが、そうではありません。期待をするとは「こうしてくれて当たり前」と思うことです。してくれなかったら恨むのです。「当たり前」か「不幸」かしか無かったら、いつまでたっても幸せにはなれません。他人に対しても、将来に対しても、あまり期待をするのも良くありません。それよりも、『ラッキーだな』『恵まれてるな』と思える方が幸せです。ニヒリズムの良さは、そういう所にあるのではないでしょうか。
還暦過ぎのオジサンです。女房は既に他界し、娘との父子家庭です。 > 父親に対し、早く死ねばいいのにとか、誰かに殺されればいいのにと考えてしまいます。 > 自分の父親に対して、このように考えてしまう人はいますか? どんな父親だって長生きすれば家族からそう考えられるものでしょう。老人なんて成人し、社会人となった子供にとっては負担でしかなくなります。下手をすれば『足枷』です。母から教えられたのは「『親の役目』は授かった子供を育てて社会に返すまで。」と言うことです。社会に返したら親は子供を『自分の子供』としての意識は捨てるべきなのでしょう。私もなかなか出来てはいませんが。 私の両親は、母は60で、父は70で他界しました。田舎を離れていた私たち兄弟は出来る限りのことはしたつもりですが、特に母の場合は、周囲の方からも「もう少し長く生きていてくれれば・・・」と惜しまれながら亡くなりました。皆さん泣いてくださった。 今、私もそうありたいと思っています。娘や、いずれ出来るであろう娘の旦那に惜しまれながら「じゃぁ、ママの所に行くから安心して。ありがとう。」って言って惜しまれながら息を引き取りたいと思っています。 でもこればかりは人事では如何ともし難い。せいぜい出来ることと言えば『健康に良い』なんてことを避けて通るくらい。長生きして長患いなんてなったら最悪と思っています。ですから昨年心筋梗塞で命を拾わされて以来『健康診断』や区役所から来る『がん検診』なんてそのまま捨ててます。 オジサンの場合、やりたいこともやりましたし、買いたい物も買ってしまった。もうこの世に未練なんてありません。 > 幼い頃から虐げられ育った人間は、それから解放された時どのようになるのでしょうか? よく言われるのは「虐待を受けた子供は自分の子供を虐待する。」ってことですね。でもこれは『自覚』で避けられる問題でしょう。「私が虐待を受けて育ったから子供を虐待してしまう。」は言い訳にはなりません。それを自覚していれば良い親御さんになれるでしょう。
お礼
父親のようなどうしようもない人間には、なるべく早く死んでもらいたいです。数年経った今でも、その思いは変わりません。むしろ、年数が経つにつれ、その思いは強くなってきています。 ご回答頂きありがとうございました。